2016年7月31日日曜日

絶景なる世界遺産 9

The Great Scenery for the Future [The Rhine Ravine]
未来へ残す壮大な景観 [ライン渓谷]


ドイツ中央部を南北に渡って流れるライン川、その中部流域が世界遺産に登録されています。
両岸に建ち並ぶ古城とぶどう畑の景観が多くの芸術家や作曲家を魅了した絶景です。

ライン川の中部流域は「ロマンティック・ライン」と呼ばれます。
多くの古城や歴史的な建物が点在し、この辺りは白ワインの産地としても知られています。

13世紀から14世紀にかけ、ライン川を行き交う船に税金が課され、税関所として建てられた「ネズミの塔」。
中州に立てられた「ブファルツ城」は、税金を支払わない船が通過するのを監視するために建てられた砦です。
「ライヒェンシュタイン城」14世紀、川を渡る船をおそう盗賊団の根城でした。
盗賊討伐のため破壊されたものの、その後再建されました。
「ラインシュタイン城」西暦980年頃、税関として建てられ盗賊団討伐の拠点となりました。

昔、数多くの船が沈没したというライン渓谷最大の難所「ローレライの岩」
不実な恋人を嘆いて川に身を投げた美しい乙女ローレライは、行き交う船を誘惑し、沈めてしまうという伝説が残されています。

川の流れにともなって流れるDOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽。
どちらも流れを楽しんでください。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



ライン川中流域の渓谷《ドイツ》
Upper Middle Rhine Valley《Germany》

http://whc.unesco.org/sites/1066.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例
登録年:2002

ライン川中流域の渓谷は、ドイツの南部、ラインラント・ブファルツ州とヘッセン州のライン川中流の川幅が狭い渓谷のマインツからコブレンツまでの65kmにわたって展開する。ライン川中流域の渓谷は、ヨーロッパにおける地中海地域と北部地域との間の2000年の歴史をもつ重要な輸送ルートの一つである。ライン川中流域の渓谷は、人間が築いた長い歴史を物語るラインシュタイン城、ライヒェンシュタイン城、ゾーンエック城、シュタールエック城、シェーンブルク城、ラインフェルス城、グーテンフェルツ城、エーレンフェルツ城など伝説に包まれた古城群、白い壁に黒い屋根の家々が印象的なリューデスハイム、コブレンツ、ビンゲンなどの歴史都市、そして、ドイツ有数のワインを産するブドウ畑が、ドラマチックな変化に富んだ自然景観と共に絵のように展開する。ライン川中流域の渓谷には、長年にわたる歴史とローレライの岩の伝説などが息づいており、詩人のハインリッヒ・ハイネ(1797~1856)、作家、芸術家、そして作曲家などに強い影響を与えた。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月30日土曜日

絶景なる世界遺産 8

The Great Scenery for the Future [Petra]
未来へ残す壮大な景観 [ペトラ]


広大な砂漠の真ん中に突如として現れる、かつて繁栄を極めた古代都市の遺跡があります。
薔薇色の都とよばれるペトラです。
巨大な岩の奥深くに忽然と現れる神秘的な絶景です。

ヨルダン中東部、高さ100mを超える巨大な岩の間に細長い谷が続いています。
谷にできた道はおよそ1.5kmに渡って続きます。
およそ2300年前につくられた古代都市、ペトラの入り口です。

正面には「エル・ハズネ」と呼ばれる巨大な宝物庫がそびえます。
遺跡は岩の壁を彫り込んでつくられており、柱にはエジプトやギリシャなどの古代の神々が刻まれています。
失敗したからといってやり直せるはずはなく、当然失敗は許されない、作業は極度の緊張を強いられたことでしょうね。
そんなストレスにも負けず、これほどのものを造り上げてしまう、人間の能力は大したものです。

「エル・ハズネ」からさらに奥へと進むと、およそ3万人が暮らし、1000を超える住居や神殿の跡が残っています。
岩に彫り込まれた無数の穴、ここに住んでいた遊牧民族ナバテア人の墓です。
ヨーロッパとアジアをつなぐ公益で巨大な富を手にし、街を築きました。
かつての繁栄を偲ばせるローマ式の円形劇場。
他にも街を訪れる人々をもてなすための施設が数多く残されています。

DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽にのせて、バラ色の古代都市の絶景をお楽しみください。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。



ペトラ《ヨルダン》
Petra《Jordan》

http://whc.unesco.org/sites/326.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:
(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例
登録年:1985

ペトラは、首都アンマンの南190km、標高950m、岩山に囲まれたワジ(涸れ川)の峡谷にある。ペトラは、ギリシャ語で「岩」という意味で、岩山のシックと呼ばれる亀裂に、アラブ系の遊牧民族のナバタイ人が砂岩の壁面を彫った紀元前2世紀頃の古代遺跡。最も有名なのは、ベドウィンが「ファラオの宝物庫」と呼び、世界一美しい葬祭殿とされた高さ30m、奥行き25mのバラ色のエル・カズネ・ファルウンの神殿。この他にローマ時代の1~3世紀に建造された6000人以上もの収容能力があったといわれる円形のローマ劇場跡、浴場、宴会場、墳墓群、礼拝堂、住居址、貯水池、舗装道路などが残る。1812年にスイス人の探検家ヨハン・ブルクハントによって発見された。英国の詩人ディーン・パーコンは、ペトラを「東の国の壮麗な要塞、時の刻みと同じ位古いバラ色の都市、いつしか私もこの中に一体化していく」と称賛した。また、映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のクライマックス・シーンの舞台にもなっている。レバノンのバールベク、イランのペルセホリスと共に中東三大遺跡として称えられる。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月29日金曜日

絶景なる世界遺産 7

The Great Scenery for the Future [Machu Picchu]
未来へ残す壮大な景観 [マチュピチュ]


南米ペルー、6000m級の山々が連なるアンデス山脈の中に突如として現れる遺跡、標高およそ2300mの断崖の上に築かれた幻の都マチュピチュ。
美しい高地にそびえる神秘的な絶景です。

ペルー南東部の街クスコから列車で4時間、終点の街、アグアス・カリエンテス。
このマチュピチュの麓の街には世界中から数多くの観光客が訪れます。
アグアス・カリエンテスの街からつづら折りの道を登ります。

20世紀まで知られることのなかった幻の都マチュピチュ。
精巧に石が積み上げられていて、かつての人の技術水準の高さに驚かされます。
石造りの街並みはとても高度な技術でつくりあげられています。
15世紀、南アメリカに勢力を誇ったインカ帝国によって築かれ、最大でおよそ750人の人々が住んでいたといわれています。
街中には山の湧き水を使った水路も整備されています。
16世紀、インカ帝国はスペインに滅ぼされてしまいましたが、高地にあったマチュピチュは発見されることなく、当時のままの姿をとどめています。

天空に築かれた街の絶景に色を添えるのは、cocolo supplie ココロさぷりではすっかりおなじみ?のDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



マチュ・ピチュの歴史保護区《ペルー》
Historic Sanctuary of Machu Picchu《Peru》

http://whc.unesco.org/sites/274.htm

登録種別:複合遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの:(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(ix) 陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生物学的、生理学的プロセスを示す顕著な見本であるもの
登録年:1983

マチュ・ピチュは、インカ帝国の首都であったクスコの北約114km、アンデス中央部を流れるウルバン川上流の緑鮮やかな熱帯雨林に覆われた山岳地帯、標高2280mの四方を絶壁で隔てられた自然の要害の地にあるかつてのインカ帝国の要塞都市。空中からしかマチュ・ピチュ(老いた峰)とワイナ・ピチュ(若い峰)の稜線上に展開する神殿、宮殿、集落遺跡、段々畑などの全貌を確認出来ないため、「謎の空中都市」とも言われている。総面積5平方kmの約半分は斜面、高さ5m、厚さ1.8mの城壁に囲まれ、太陽の神殿、王女の宮殿、集落遺跡、棚田、井戸、排水溝、墓跡などが残る。日時計であったとも、生贄を捧げた祭壇であったとも考えられているインティワタナなど高度なインカ文明と祭祀センターが存在したことがわかる形跡が至る所に見られ、当時は、完全な自給自足体制がとられていたものと思われる。アメリカの考古学者ハイラム・ビンガムが1911年に発見、長らく発見されなかったためスペインの征服者などからの侵略や破壊をまぬがれた。また、マチュ・ピチュは、段々畑で草を食むリャマの光景が印象的であるが、周囲の森林には、絶滅の危機にさらされているアンデス・イワドリやオセロット、それに、珍獣のメガネグマも生息している。2008年の第32回世界遺産委員会ケベック・シティ会議で、森林伐採、地滑りの危険、無秩序な都市開発と聖域への不法侵入の監視強化が要請された。2010年1月24日、マチュ・ピチュ遺跡付近で、豪雨による土砂崩れが発生、クスコに至る鉄道が寸断され、日本人観光客を含む約2000人が足止めされた。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月28日木曜日

絶景なる世界遺産 6

The Great Scenery for the Future [The Great Wall of China]
未来へ残す壮大な景観 [万里の長城]


万里の長城、秦の始皇帝の時代からおよそ2000年に渡り築かれました。
中国の歴史とともにつくりあげられた絶景がそこにあります。

首都北京から北西およそ70kmにある万里の長城の中で最も有名な八達嶺、高さ8m、幅6mの城壁が築かれています。

中国東部、渤海(ぼっかい)に突き出た長城の東端、老龍頭(ろうりゅうとう)。
16世紀、明王朝の時代に築かれました。
老龍頭とは長城を龍にたとえ、その頭に当たる場所という意味です。

山海関、万里の長城の東端から最初の関所です。

長城の中でも最も険しい場所に築かれた司馬台、標高およそ1000m、断崖絶壁の上につくられています。

長城に沿って西に進むと砂漠へと景色が変わります。
老龍頭からおよそ3500km、嘉峪関(かよくかん)、万里の長城の一番西の関所です。
その嘉峪関からおよそ7km、万里の長城の西の果てです。

歴史を語る最大の建造物のBGMはDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽です。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



万里の長城《中国》
The Great Wall《China》

http://whc.unesco.org/en/list/438

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1987

万里(ワンリー)の長城(チャンチョン)は、紀元前7世紀に楚の国が「方城」を築造することから始まって、明代(1368~1644)に至るまで、外敵や異民族の侵入を防御する為に、2000年以上にわたって築き続けた城壁。北方の遊牧民族の侵入を防ぐ為の防衛線としたのが秦の始皇帝(紀元前259~210年)。東は、渤海湾に臨む山海関から、西は、嘉峪関までの総延長は約8851.8km(約1万7700華里)。城壁の要所には、居庸関、黄崖関などの関所、見張り台やのろし代が置かれている。万里の長城は、現在の行政区分では、河北省、北京市、山西省、陝西省、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、甘粛省など17の省、自治区にまたがる。なかでも、北京市郊外の八達嶺や慕田峪からの眺望は、山の起伏に沿って上下し延々と続き雄大そのもの。このほか、金山嶺、司馬台、古北口などからの景色もすばらしい。世界的に有名な万里の長城は、その有給の歴史とスケールの大きさから中国文明の象徴そのものともいえる。月から肉眼で見える地球で唯一最大の建造物とされる。万里の長城は通称で、一般的には「長城」と呼ばれている。万里の長城の総延長は、これまで、約6350km(1万2700華里)とされてきたが、中国国家文物局と中国国家測量局が共同で、2006年から2年がかりでGPS(全地球測位システム)など最新の技術を駆使して測量した結果、約2500km長い8851.8kmであることが判明し総延長距離を確定した。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月27日水曜日

絶景なる世界遺産 5

The Great Scenery for the Future [Guanacaste]
未来へ残す壮大な景観 [グアナカステ]


南米コスタリカには火山地形からマングローブ林まで、多様な環境に恵まれるグアナカステの森があります。
ここには自然と生命がおりなす絶景があります。

コスタリカの北西部、およそ1500平方kmに渡って広がるグアナカステ保全地域。
この森は地形の関係で、山を挟み、熱帯湿潤林と熱帯乾燥林に分かれています。

グアナカステには、およそ20万種以上もの動植物が生息しています。
体長30cmほどのネズミの仲間、アグーチは中央アメリカから南に生息しています。
サンショクキムネオオハシもグアナカステに生息する鳥の一種。
ハナジロハナグマ、木登りが得意なアライグマの仲間。
多様な生態系を育む豊かな森です。

多様な環境が緑や数多くの生き物を育む、命あふれる絶景をDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽とともにお楽しみください。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。



グアナカステ保全地域《コスタリカ》
Area de Conservacion Guanacaste《Costa Rica》

http://whc.unesco.org/sites/928.htm

登録種別:自然遺産
登録基準:(ix) 陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生物学的、生理学的プロセスを示す顕著な見本であるもの;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1999・2004

グアナカステ保全地域は、コスタリカの北西部、グアナカステ州とアラジュエラ州にまたがっている。グアナカステ保全地域は、火山地帯も含む陸域の104,000ha、海域の43,000haからなる。グアナカステ保全地域には、植物群落、絶滅寸前の種や珍種の宝庫。多様な生物相を保護するこの重要な原生地では、内陸性、海洋性の両方の自然環境での生態系の変化を見ることができる。その変化には、太平洋熱帯乾燥林の進化、推移などの過程や、また、ウミガメの産卵、サンゴの群落の移動などが見られる。2004年に陸域のサンタ・エレナ保護区(15,800ha)が登録範囲に含められた。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月26日火曜日

絶景なる世界遺産 4

The Great Scenery for the Future [Edifices by A. Gaudiy]
未来へ残す壮大な景観 [A. ガウディの建築物]


スペインが誇る天才建築家アントニ・ガウディが手がけた建築群が建ち並ぶ絶景があります。

バルセロナのシンボル、サグラダ・ファミリア贖罪(しょくざい)聖堂。
19世紀から20世紀にかけ、彼が手がけた建築は、そのうちのサグラダ・ファミリア教会を含めた7つが世界遺産に登録されています。
(グエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、ヴィンセンス邸、パトリョ邸、コロニア・グエル教会の地下聖堂)

ガウディの建築は、曲線と細部の装飾を多用した生物的なものを得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えました。

「カサ・バトリョ」1906年にガウディが手がけた住宅、別名「骨の家」と呼ばれています。

バルセロナの街並みを一望できる高台にある「グエル公園」は、分譲住宅としてつくられたものの、買い手がつかず、その後公園として開放されました。
バルセロナ市民の憩いの場所して人気を集めています。

DOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽にのせてお贈りする鬼才の芸術の数々。
類稀な感性にただただ脱帽です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



アントニ・ガウディの作品群《スペイン》
Works of Antoni Gaudi《Spain》
(バルセロナのグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ《スペイン》
Parque Guell, Palacio Guell and Casa Mila in Barcelona《Spain》
※1984年登録時の名称)

http://whc.unesco.org/sites/320.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例
登録年:1984・2005

アントニ・ガウディの作品群は、スペインの東部、カタルーニャ自治州のバルセロナとサンタ・コロマ・デ・セルヴェロに分布し、スペインの孤高の建築家でカタルーニャ・モデルニスモの旗手アントニ・ガウディ(1852~1926年)の作品、グエル公園(1904~1916年)、グエル邸(1886~1890年)、ミラ邸(1906~1910年)などからなる。グエル公園は、もともと未来指向の住宅地として計画されたが、後に公園に転用された。デザインとレイアウトは、カラフルで美しい波うつようなセラミック・ベンチの広場や、「百本柱」の空間などガウディ独特の奇抜な彫刻などで飾られた夢とおとぎの不思議な世界。グエル邸は、建築材料として、鉄材とセラミックを多用した豪華な住宅。ミラ邸は、別名「ラ・ペドレラ(石切り場)」とも呼ばれ、大胆な曲線を多用した風変りなアブストラクト彫刻の集合住宅。鬼才ガウディによるこれらの作品群は、建築素材の持ち味を活かした独創的なデザインで芸術的。2005年、サグラダ・ファミリアのイエス降誕のファサードと地下聖堂(1884~1926年)、ヴィンセンス邸(1883~1885年)、パトリョ邸(1904~1906年)、サンタ・コロマ・デ・セルヴェロにあるコロニア・グエル教会の地下聖堂(1898~1905年)の4つの建造物群が新たに登録範囲に加えられ、登録遺産名も変更された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月25日月曜日

絶景なる世界遺産 3

The Great Scenery for the Future [Himalaya Range]
未来へ残す壮大な景観 [ヒマラヤ山脈]


インドやパキスタンなど、6カ国に渡って連なる巨大な山々、ヒマラヤ山脈。
世界最高峰のエベレストを中心に、雄大な山々と、氷河がつくる絶景が広がっています。

エベレストを含むネパール北東部の山岳地帯、サガルマータ国立公園は世界自然遺産に登録されています。
ネパールの言葉で「サガルマータ」とはエベレストのことを指し、「世界の頂上」という意味があります。

エベレスト街道、エベレストの姿を間近に望める場所、カラパタールへと続く道です。
カラパタールまではおよそ60kmの道のり、2週間程かけて歩きます。

ヒマラヤ山脈の山中に生息するのは、カモシカの仲間、ヒマラヤタールや、高山に咲くエーデルワイスの仲間。

プモリと呼ばれる山の麓、標高5600m、カラパタール。
世界最高峰エベレストを目の前にヒマラヤの絶景が広がります。

DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽とともに、世界の屋根の絶景を堪能してください。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



サガルマータ国立公園《ネパール》
Sagarmatha National Park《Nepal》

http://whc.unesco.org/sites/120.htm

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの
登録年:1979

サガルマータ国立公園は、ネパールの東部、首都カトマンズの北東165km、中国と国境を接する総面積1244平方kmの山岳地帯、サガルマータ県ソルクンプ郡にある。世界最高峰のエベレスト(ネパール語ではサガルマータ、シェルパ族の間ではチョモランマ)をはじめローツェ、マカルー、チュオユの4座を中心に7000~8000m級のヒマラヤ山脈の山岳地帯を含む世界の屋根である。サガルマータ国立公園は、1976年に国立公園に指定された。世界遺産の登録面積は114,800haである。公園内には高山植物やヒマラヤ・ジャコウジカ、ヒマラヤグマ、ヒマラヤタール、ユキヒョウ、レッサーパンダなどの大型動物やイワヒバリなどの珍しい鳥やテンジクウスバシロチョウなどの蝶も数多く生息する貴重な動植物の宝庫。観光客が残すゴミなどの環境対策、外来種の侵入、森林の伐採、気候変動による氷河の後退などの脅威や危険に対応した保全管理が課題になっている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月24日日曜日

絶景なる世界遺産 2

The Great Scenery for the Future [Cappadocia]
未来へ残す壮大な景観 [カッパドキア]


標高1000mを超えるアナトリア高原中央部(トルコ)、ここに奇妙な形の岩が広がる不思議な絶景があります。
イスタンブールから東に700km、15の町や村が集まるカッパドキアです。

奇岩は固い溶岩の乗った凝灰岩(ぎょうかいがん)が柱のように侵食されて出来上がったものです。
「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩、鳥の形をしている奇岩、「薔薇の谷」と呼ばれる奇岩地帯、これらの奇岩群の中に無数の穴が開いたものがあります。
人が住んでいた跡です。
紀元前およそ4000年頃から、凝灰岩をくり抜き、住居としていました。
現在でもたくさんの人が住んでいます。
カッパドキアには住居だけでなく、キリスト教の洞窟聖堂や修道院もあります。
その数はおよそ400以上あるといわれています。

自然がつくり出した驚きの絶景が広がるカッパドキア、DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽が旅情をかきたてるくれることでしょう。


この世界遺産の詳細を見てみましょう。



ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群《トルコ》
Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia《Turkey》

http://whc.unesco.org/sites/357.htm

登録種別:複合遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの
登録年:1985

ギョレメ国立公園は、トルコの中部、ネヴシェヒール地方にあるアナトリア高原にある。カッパドキアの岩窟群は、エルジェス山やハサン・ダウ山の噴火によって、業界席が風化と侵食を繰り返して出来上がったもので、キノコ状、或は、タケノコ状の奇岩怪石が林立する。この他に、4世紀前後にローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が、横穴式に掘り抜いて約360の岩窟修道院や教会などをつくった。なかでも、ギョレメ峡谷一帯のギョレメ国立公園は、周辺の自然を損なうことなく人間の手の入った世界でも珍しい地域で、どの岩窟教会、トカル・キリッセ、エルマル・キリッセ、バルバラ・キリッセなどの聖堂が集まっており、内部には彩色鮮やかなビザンチン様式のフレスコ画が残っている。また、カッパドキアには、オオカミ、アカギツネなどの動物、100種を超える植物など、貴重な動植物が生息している。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月22日金曜日

絶景なる世界遺産 1

The Great Scenery for the Future [Cape of Good Hope]
未来へ残す壮大な景観 [喜望峰]

南アフリカ西ケープ州、ケープ半島の突端に喜望峰があります。
荒々しい海がつくり出すロマンあふれる雄大な絶景です。

喜望峰のあるケープタウン、アフリカ大陸南西端喜望峰は大航海時代の幕開けを告げた場所の一つです。
1488年、ポルトガルの航海家バルトロメウ・ディアスが「嵐の岬」と命名しました。
ポルトガルの王ジョアン2世(完全王)は彼の偉業をたたえ、「喜望峰 Cape of Good Hope (Cabo da Boa Esperança)」と名前を改めました。
(アフリカーンス語ではKaap de Goede Hoop。)
その後ヴァスコ・ダ・ガマがこの岬を経由してインドへとぬける航路を発見しました。
かつて船乗りたちに恐れられていたインド洋と大西洋がぶつかる流れの激しい海です。
世界一周をしたフランシス・ドレークが「もっとも美しい岬」と讃えたといわれる喜望峰。

しかし海に生きる動物たちにとっては海流が豊富なえさを運ぶ楽園となっています。
カツオドリは夏になると集団をつくり、繁殖と子育てをここの海岸で行います。

美しい景観に恵まれているばかりか、多数の貴重な生態系をもち、それらの動植物を保護する保護区も含め、多くの観光客が訪れる地として知られています。

音楽はDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)。
もうかなりの数の動画で使わせていただいてますね。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。
喜望峰だけではなく、周辺一帯の登録となっています。



ケープ・フローラル地方の保護地域《南アフリカ》
Cape Floral Region Protected Areas《South Africa》

http://whc.unesco.org/en/list/1007

登録種別:自然遺産
登録基準:(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:2004

ケープ・フローラル地方の保護地域は、南アフリカの南西、ケープ州のケープ半島国立公園、シーダーバーグ原生地域など8か所の保護地区からなり、総面積は5530平方kmにも及ぶ。ケープ・フローラル地方の保護地域には、アフリカの植物相の20%が見られ、世界で最も植物が豊富な地域にも数えられ、フィンボスと言われる特有のブッシュ植生が発達している。ケープにおける植物の数や多様さ、更に、固有種は、世界でも有数で、地球上に18か所ある生物多様性のホットスポットの一つに数えられている。ケープ植物区系とは、植物地理学的に地球をヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ合衆国、カリフォルニア、ケープ地域、南西オーストラリアの6つに区切った植物区系の一つで、ケープ地域のみで単独の植物区系と見なされるほど植生は際立っている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月21日木曜日

黄昏の世界遺産 12

ヴェネツィアの夕陽 Sunset on Venice


1000年に渡る輝かしい繁栄を遂げた「地中海の女王」とたたえられる街、ヴェネツィア。
15世紀に貿易の中継地として繁栄の絶頂期を迎えました。
その頃、多くの芸術家が集まり、絵画の分野ではヴェネツィア派が興り、17世紀にはオペラなどバロック音楽の中心地となりました。
現在では、宝石、工芸品の製造、繊維工業が盛んで、ヴェネツィア・ガラスと呼ばれるガラス工芸も有名ですね。

街を貫く大運河「カナル・グランデ」の両側には繁栄を支えた「ベニスの商人」たちの館が並んでいます。
ヴェネツィアで最も有名な場所、サン・マルコ広場は、かのナポレオンが「世界一美しい広場」とたたえたといわれています。

水上に浮かぶ美しい街の夕景をDOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽に乗せてお送りします。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



ヴェネツィアとその潟《イタリア》
Venice and its Lagoon《Italy》

http://whc.unesco.org/en/list/394

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1987

ヴェネツィアは、イタリア北東部のヴェネト州にある。ヴェネツィアは、アドリア海の118の州の上に造られた水の都で、176の運河と400余の橋で島を結んでいる。9世紀には聖マルコの遺体がエジプトから移されると発展しはじめ、15~16世紀には、胡椒などの香辛料、絹、銀などの貿易で強国を築き、東西文明の結接点となった。大運河(カナレ・グランデ)の入口にあるサン・マルコ広場には、高さが100m近い鐘楼、ビザンチン、ゴシック、ルネッサンスなどの様式が混在した大理石のサン・マルコ大聖堂、それに、ドゥカーレ宮殿が、また、潟の岬の部分には、バロック様式の傑作といわれるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会がある。ヴェネツィアでは、海面上昇や地盤沈下等が原因で、満潮時に冠水することが多くなっており、問題が深刻化しつつある。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月20日水曜日

黄昏の世界遺産 11

スコータイの夕陽 Sunset on Sukhothai


タイ族による最初の王朝、「幸せの夜明け」という意味を持つ仏教王国、スコータイ。
王国の誕生は13世紀初頭、仏教を取り入れ、独自の文化を築きました。

スコータイ最大の遺跡、王宮寺院ワット・マハタート。
遺跡の残る森の中には、およそ100体にのぼる仏像が、整然と並んでいます。
その中でも最も大きな仏像がアチャナ仏で、高さは14.7m。
アチャナとは、タイ語で「恐れない者」という意味です。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。



古都スコータイと周辺の歴史地区《タイ》
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns《Thailand》

http://whc.unesco.org/sites/574.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの
登録年:1991

古都スコータイは、首都バンコクの北部約447km、ビッサヌロークの西約60kmにある。古都スコータイは、タイ族最古のスコータイ王朝(1238~1438年)の都跡。スコータイという言葉は、「幸せの夜明け」を意味する。東西1.8km、南北1.6kmの城壁と三重の塀に囲まれた都城には、見る場所、角度によって、実に様々な表情を見せる古都スコータイの中心を占めるワット・マハタートをはじめ、静寂の中に大きな仏像が鎮座するワット・スィー・チュム、トウモロコシを直立させた様な塔堂が並ぶワット・スィー・サワイ、その優雅さはスコータイ随一といわれるワット・サー・スィーなどの多くの寺院、クメール文字を改良しタイ文字を創出した第3代ラムカムヘーン王の王宮遺跡が残る。スコータイ美術は、小乗仏教を移入したスリランカの影響が色濃い。ラムカムヘーン国立博物館では、発掘された仏像など数々の遺物をじっくり鑑賞することができる。尚、ラムカムヘーン王の碑文は、世界記憶遺産に登録されており、タイ国立博物館(バンコク)に収蔵されている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月19日火曜日

黄昏の世界遺産 10

ギザのピラミッドの夕陽 Sunset on Pyramids in Giza



ナイル川下流域に広がる肥沃な大地に花開いた古代エジプト文明、その象徴、ギザのピラミッド。

ナイル川の河口から200kmに位置するエジプトの首都、カイロ。
西側の対岸にはギザの街があり、世界遺産の中でも最も深い謎に包まれた遺跡、ギザの三大ピラミッドがそびえています。

ナイル川流域には、他にもおよそ100以上のピラミッドがあります。

音楽は DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯《エジプト》
Memphis and its Necropolis --- the Pyramid Fields from Giza to Dahshur《Egypt》

http://whc.unesco.org/sites/86.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979

メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯は、古代文明発祥の地であるエジプトの首都カイロ近郊のナイル川西岸に展開する。その構成資産は、メンフィスとそのネクロポリス(ミートラヒーナ、サッカラ、アブシール、ダハシュール)とギザのピラミッド群からなる。カイロの南25kmにある古王国時代(紀元前2700~2200年)のメンフィスを中心に、約80のピラミッド群がギザからダハシュール~メイドゥームに集中している。ギザのクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドは、オリオン座の3つの星に対応した位置関係にあるとされ、最大のクフ王のピラミッドは、高さが137m(創建時の高さは146m)、底辺が230mの正四角錘形で、平均2.5トン、約230万個の石が使用されている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月18日月曜日

黄昏の世界遺産 9

パルミュラの夕陽 Sunset on Palmyra


ユーラシア大陸を東西に貫くシルクロード、かつては貿易の拠点として栄華を極めたのがパルミュラ。
街の別名はタドモル Tadmor、聖書に記載があるのはこちらです。
歴史と共に砂漠に埋もれた古代都市。

街並みはギリシャやローマの文化を取り入れた石造りの建築と、ペルシャなど東洋の文化を取り入れた様式で築かれました。
東西両文明の影響を物語るつくりになっています。

現存する遺跡のひとつ、パルミュラの神々が奉られていたベル神殿は、かつて金箔やレリーフなどで綺麗に飾られていたそうです。
ローマ皇帝ハドリアヌスをたたえた記念門から街の中心部を1200mに渡って真っ直ぐに伸びる道もあり、両側に建ち並んでいた列柱はおよそ750本にものぼりました。
ローマ様式の大劇場は、2000人以上の客席が設けられています。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



パルミラの遺跡《シリア》
Site of Palmyra《Syria》

http://whc.unesco.org/sites/23.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例
登録年:1980・2013【危険遺産】

パルミラの遺跡は、ダマスカスの北東200km、シリア砂漠の中央にある。パルミラは、西方と東方の結節点として、そして、シルクロードの中継地としての隊商都市としても、なかでも、ローマ時代の1~3世紀には、交易路の要所として栄えた。パルミラという名前は、ナツメ椰子を意味するパルマに由来する。起源は聖書にもある程古いが、パルミラのゼノビア女王がローマ帝国から独立を謀ったことによりローマ軍に破壊され廃墟となった。アラブの城塞、凱旋門、広場、列柱道路、コリント様式の列柱廊があるベール神殿、葬祭殿、元老院、墓地などが往時の繁栄を偲ばせる。2013年の第37回世界遺産委員会プノンペン会議で、国家の内戦状況が直面する危険への注意を喚起するために、「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)


「パルミラ」「パルミュラ」どちらの表記も見られ、音の響きが好みなので「パルミュラ」を選びました。

2016年7月17日日曜日

黄昏の世界遺産 8

モン・サン・ミシェルの夕陽 Sunset on Mont-Saint-Michel


広大な干潟の海に浮かぶカトリックの修道院、モン・サン・ミシェル。
その神秘的な景観から「海上のピラミッド」とうたわれます。
付近の海域は潮位の差が大きく、かつては満潮時には陸の孤島と化したようです。

夢に現われた天使のお告げできたといわれる、美しく祈りに満ちた「奇蹟の島」。
8世紀の着工からおよそ800年の歳月をかけて現在の姿になりました。
混在する建築様式の中でも、ゴシック様式の回廊は特に有名です。

巡礼者や観光客なども多く、名物のオムレツと羊のステーキを出す店もたくさんあります。

この神に捧げられた祈りの館のバックに流れるのはDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/) のメロディーです。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。


モン・サン・ミッシェルとその湾《フランス》
Mont-Saint-Michel and its Bay《France》

http://whc.unesco.org/sites/80.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979・2007

モン・サン・ミッシェルは、フランス北西部、ノルマンディー半島のつけ根、モン・サン・ミッシェル湾にある全周約900mの小島にある修道院。709年司教オヴェールの夢に聖ミカエルが現われ、大天使を奉る聖堂建築を命じた。その命に従い、建築が開始され、難工事の末、16世紀に完成した。14世紀には、英仏百年戦争の戦火の渦に巻き込まれ、修道院の周囲に城壁や塔を築いて要塞化されていった。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス様式が併存。干潟に築かれた堤防で、陸と繋がる奇岩城。19世紀になって防波堤が築かれ、安全に島に渡れるようになった。現在は、ベネディクト派の修道院として使われており、今でも祈りをささげる修道士の姿が見られる。年間250万人もの人が訪れる観光地でもある。急激な陸地化により、かつての景観が失われたとして、2009年から岸との間の道路を取り壊し、新たな橋を架ける工事を行い、2014年7月に完成した。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月16日土曜日

黄昏の世界遺産 7

カトマンズ盆地の夕陽 Sunset on Katmandu Valley


8000m級の山々が連なり、世界最高峰のエベレストがあるヒマラヤ山脈。
その麓にあるのが、カトマンズ盆地。
カトマンズ、パタン、バクタプルという3つの古都があります。
「人より多くの神が住む」といわれており、街にはおよそ500もの寺院があり、日々人々が祈りを捧げています。
ヒンドゥー教と仏教が共存してともに信仰を集める、世界でも珍しいところです。

ネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナートはカトマンズにあります。。
この寺院はシヴァ神を奉るヒンドゥー教の聖地となっています。

カトマンズの中心部から3kmほど離れた丘の上に建つチベット仏教寺院、スワヤンブナートは、およそ2000年前に建てられたといわれています。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。



カトマンズ渓谷《ネパール》
Kathmandu Valley《Nepal》

http://whc.unesco.org/sites/121.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979・2006

カトマンズ渓谷は、ヒマラヤ山脈の南、標高1300mの盆地にあるカトマンズ市、バクタブル(バドガオン)市、ラリトプル(パタン)市にまたがる。先住民のネワール人による13~18世紀のマッラ王朝の時代に、パタンとバドガオンの2王朝とも共存し、仏教とヒンドゥー教が融合したネワール文化を開花させた。カトマンズ旧市街のダルハール広場にあるマッラ、パタン、バドガオンの3王朝の王宮をはじめ、銀の扉の優美な建築で有名なシヴァ神の寺院であるパシュパティナート寺院、323年にハリ・ドゥッダ王によって建てられたチャング・ナラヤン寺院、世界で最も壮麗な仏塔の一つであるスワヤンブーナートなどの遺跡が数多く残っている。人口増加が、世界遺産の保護や周囲の景観に重要な影響を及ぼしている。日本政府もカトマンズ渓谷の文化遺産の保存修復には、官民をあげて、資金面、技術面等で長年協力している。2003年には危機遺産リストに登録されたが、保護管理状況が改善されたため、2007年に危機リストから解除された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)


Katmanduと綴るのが一般的ですが、KathmanduやKhatmanduと綴られる場合もあるようですね。

個人的に、渓谷という言葉は「山にはさまれた川のある所」とのイメージが強いのですが、「谷間」という意味もあり、盆地を指すものと解釈しました。
なので、原文に手を加えずそのまま記載させていただきました。
たしかに英語のvalleyを訳すと渓谷になってしまうのも肯けます。
盆地もvalleyですが。

2016年7月15日金曜日

黄昏の世界遺産 6

イグアスの滝の夕陽 Sunset on Iguassu Falls


アルゼンチンとブラジルの国境にあるイグアス国立公園。
ここに大小およそ270の滝が集まるイグアスの滝があります。
最も落差のあるこの滝は、およそ80mにも及び、「悪魔ののど笛」と呼ばれています。
イグアスとは先住民の言葉で「壮大な水」という意味。
流れ落ちる水量は平均で毎秒およそ1750立方mと世界最大級の規模です。

巨大な滝の巻き上げる水しぶきに虹のカーテンがかかり、幻想的な風景が現われました。
壮大な滝は見る人を圧倒します。

大地を切り裂くような大量の水にかかる夕陽のBGMは、DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



イグアス国立公園《アルゼンチン/ブラジル》
Iguazu National Park《Argentina》/Iguacu National Park《Brazil》

http://whc.unesco.org/sites/303.htm(アルゼンチン)
http://whc.unesco.org/sites/355.htm(ブラジル)

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1984(アルゼンチン)・1986(ブラジル)

イグアス国立公園は、南米のアルゼンチンとブラジル二国にまたがる総面積4,920,000平方kmの広大な森林保護区で、金色の魚ドラド、豹、鹿、小鳥、昆虫や蘭、草花など多様な動植物が生息している。なかでも、国立公園内にある総滝幅4km、最大落差約85mの世界最大級のスケールと美しさを誇るイグアスの滝は世界的にも有名。イグアスとは、「偉大な水」の意味で、滝の数は大小合わせて300以上、大瀑布が大音響と共に繰り広げる豪壮な水煙のパノラマは圧巻で、しばしば、空には美しい虹がかかる。川の中央でアルゼンチン側ミシオネス州ととブラジル側パラナ州にわかれ、それぞれが登録時期も異なる為に、二つの物件として世界遺産に登録されている。ブラジル側の登録遺産(登録面積170,086ha)は、無計画な公園を分断する道路建設による遺産への脅威から1999年に危機遺産に登録されたが、2001年に解除された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月13日水曜日

黄昏の世界遺産 5

グランド・キャニオンの夕陽 Sunset on Grand Canyon



赤茶けた大地と切り立った断崖、先住民には聖地と崇められ、冒険者たちからは「魔の谷」と恐れられた、グランド・キャニオンは、アメリカ南西部、アリゾナ州北部におよそ450kmにわたって広がる、世界最大の渓谷です。
コロラド川の急流がおよそ1億年の時をかけ、平原を侵食することで、このような景観が生まれました。
川に削られて現われた地層は、およそ20億年前のものだといわれています。

グランド・キャニオン国立公園の入り口付近、デザートビューにある展望台からは、大自然の造る雄大な姿を見渡すことができます。

地球の歴史を刻む大地に沈む夕陽のBGMは、Ben Tissot 氏作曲「Slow Motion」(Bensound.com)。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



グランド・キャニオン国立公園《アメリカ》
Grand Canyon National Park《The United States》

http://whc.unesco.org/sites/75.htm

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(viii) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの〔生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、或は重要な地形的、または、自然地理的特性などを含む〕;(ix) 陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生物学的、生理学的プロセスを示す顕著な見本であるもの:(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1979

グランド・キャニオン国立公園は、アリゾナ州北西部のココニノ郡とモハーヴェ郡にまたがる。コロラド川がコロラド高原の一部であるカイバブ高原とココニノ高原を侵食して形成したマーブル峡谷からグランド・ウォッシュ崖までの長さ450km、最大幅30km、深さ1,500mの壮大な大峡谷。世界遺産の登録面積は、493,077haである。全体的には赤茶けて見えるが日の出と日の入りの景色は荘厳で美しい。断崖絶壁の谷底を流れるコロラド川の両岸の約1億年前に隆起した地層は最古層で20億年前の先カンブリア紀、表層部で2.5億年前の二畳紀のものといわれる。貝類の化石から太古に海底であったことがわかる。紀元前500年頃から農耕を営んでいた先住民族の居住跡も見られる。大空を悠々と弧を描くイヌワシ、オオタカ、ハヤブサの雄姿が印象的。グランド・キャニオンは、1540年にスペインのカルデナス隊が発見した。また、グランド・キャニオンは、アメリカの大自然の象徴であり、世界七不思議の一つとしても有名。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月12日火曜日

黄昏の世界遺産 4

イースター島の夕陽 Sunset on Easter Island



南太平洋に浮かぶ孤島、そこに残る謎の石像モアイ像がたたずむ、チリ、イースター島。

南米チリの沖合いからおよそ3800kmにあるイースター島。
現地の言葉でラパ・ヌイ「大きな島」と呼ばれています。
テピトオテヘヌア Te PIto o te Henua(世界のへそ)とも呼ばるそうです。

この島には800体を越える巨大な石像モアイがあります。
モアイは、島に住んだ人々が部族の先祖を祭ったもので、「アフ」と呼ばれる祭壇の上に立てられています。

島の東部にある、ラノ・ララク火山です。
モアイは山をそのまま削りだしてつくられました。
モアイ像は現在でも多くの謎に包まれています。

神秘のヴェールに包まれたモアイ像を照らす夕陽、DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)さんの音楽でお届けします。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。






ラパ・ヌイ国立公園《チリ》
Rapa Nui National Park《Chile》

http://whc.unesco.org/sites/715.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:
(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例
登録年:1995

ラパ・ヌイ国立公園は、チリの首都サンチアゴから西へ3,760km、タヒチから東へ4,050kmの南太平洋上の火山島のイースター島(公式名:パスクア島)にあり、1935年に国立公園に指定された。ラパ・ヌイとは、現地語で「大きな島」という意味。入植は、4世紀頃と推定され、原住民はポリネシアのマルケサス島から移住したといわれている。その後、オランダ人の探検家によってこの島が発見されるまでの1300年間、この島は殆ど孤立状態にありながら、驚くべき複雑な文化を発展させた。不可思議な凝灰岩の巨石像モアイ、大きな石の祭壇アウ、鳥人の儀式村、墓や火葬場、住居跡、石で内壁を縁どった洞窟、洞窟の壁画や岩絵等、モアイが切り出された石切り場、武器や道具などは、ラパ・ヌイ文化の所産である。なかでも、海岸沿いに立つモアイの石像は有名。10~16世紀にかけて、各部族または血族の神化された先祖を村の守り神として、モアイと呼ぶ創造性豊かな石像を残した。しかし、16~17世紀に部族間で内戦が次々と起こり、敵である部族を守っていたモアイ倒し闘争(フリ・モアイ)によって多くが破壊された。現在島内に残るモアイは約1,000体とされているが、その大半はうつ伏せに倒れたまま放置され、岩塊と化している。イースター島は、孤立が故に造り得た謎と神秘に満ちたユニークな文化的背景を現在も残している。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月11日月曜日

黄昏の世界遺産 3

ドレスデンの夕陽 Sunset on Dresden


バロック様式の建物が建ち並ぶ美しい街並み、文豪ゲーテが「エルベ川のフィレンツェ」とその美しさをたたえたのがドイツ、ドレスデン。
残念ながら世界遺産からの登録抹消となってしまいました。

ドレスデンは、ドイツの東部、チェコとの国境からおよそ30kmほどにある歴史ある街。
ヨーロッパを東西に分けるエルベ川が街の中を流れています。

12世紀末からザクセン選帝侯(せんていこう)の宮廷都市として栄えました。
街には宮殿や古城、教会などが建ち並び、昔の栄華を忍ばせます。

ツビンガー宮殿は、18世紀にフリードリヒ・アウグスト1世の命により建てられました。
ここにはヨーロッパ中の絵画や財宝が集められました。

街の中心にあるオペラハウス、かつてワーグナーが楽団長を務めたことで知られるゼンパーオーパーです。

街のシンボル、聖母教会は、ヨーロッパで最も大きなプロテスタントの教会です。

エルベ川のほとりに広がる美しい風景と歴史を感じさせる街並みが人々の心をとらえる。「芸術の都」を染める夕陽、Ben Tissot 氏 (Bensound.com) の音楽「Slow Motion」でどうぞ。

世界遺産に登録されていたときの詳細を記しておきますね。






ドレスデンのエルベ渓谷《ドイツ》
Dresden Elbe Valley《Germany》

登録種別:文化遺産
登録基準:(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例
登録年:2004・2006【危機遺産】
※2009年世界遺産リストからの抹消

ドレスデンのエルベ渓谷は、ザクセン州の州都ドレスデンを中心に、北西部のユービガウ城とオストラゲヘーデ・フェルトから南東部のビルニッツ宮殿とエルベ川島までの18kmのエルベ川流域に展開する。このエルベ渓谷には、18~19世紀の文化的景観が残る。ドレスデンは、かつてのザクセン王国の首都で、エルベのフィレンツェと称えられ、豪華な宮廷文化が輝くバロックの町で、16~20世紀の建築物や公園などが残っている。なかでも19~20世紀の産業革命ゆかりの鉄橋、鉄道、世界最古の蒸気外輪船、それに造船所は今も使われている。2006年、ドレスデン建都800年の記念すべき年であったが、エルベ川の架橋計画による文化的定款の完全性の損失を理由に、「危機にさらされている世界遺産」に登録された。2008年の第32回世界遺産委員会では、「ドレスデンのエルベ渓谷」の4車線のヴァルトシュリュスヘン橋の建設により文化的景観の完全性が損なわれるとして、世界遺産リストからの抹消も含めた審議を行ったが、橋の建設中止など地元での対応などを当面は静観することを決した。代替案としての地下トンネルの建設などにより景観の保護が行われず、このまま橋の建設が継続され完成した場合は、2009年の第33回世界遺産委員会での世界遺産リストからの抹消が余儀なくされることになっていた。この物件の取り扱いについては、第30回、第31回、第32回の世界遺産委員会で、慎重な審議が重ねられたが、ドレスデンの関係当局者は、文化的景観の中心部での4連のヴァルトシュリュスヘン橋の建設プロジェクトを中止しなかった為、2004年の世界遺産登録時の「顕著な普遍的価値」と「完全性」が喪失、2009年の第33回世界遺産委員会でのオマーンの「アラビアン・オリンピック保護区」に次ぐ、世界遺産登録史上二番目となる「世界遺産リストからの抹消」という不名誉な事態になった。しかしオマーンの抹消と異なり、世界遺産委員会は、“Every time we fail to preserve a site, we share the pain of the State Party.”という議長声明と共に、「ドレスデンのエルベ渓谷」は「顕著な普遍的価値」を有する箇所もあるので、ドイツは異なる登録基準と境界線のもとでの新登録の推薦書類を提出することは出来ると温情を示した。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月10日日曜日

黄昏の世界遺産 2

武夷山の夕陽 Sunset on Wuyi shan


豊富な水の流れと切り立つ断崖が山水画のような風景を生み出している武夷山(ぶいさん)とは、面積1000平方kmの広大な山系の総称で、およそ6千万年以上前に起きた地殻変動で造り出されたものです。
九曲渓(きゅうきょくけい)と呼ばれる曲がりくねった水の流れと、両岸にそびえる変わった形の山々(風雨の浸食による奇岩)が絶景をつくりだしています。
この風景は、山水画のように美しいことで知られ、目の前に広がる雲海、山と水の一体感、まるで仙人の世界に迷い込んだかのような風景が広がります。
中国人に一生に一度は訪れたいと思わせる景勝地だそうです。

刻々と変わりゆく山水の世界に色を添える夕陽の光景を、DOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽でお楽しみください。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。


武夷山《中国》
Mount Wuyi《China》

http://whc.unesco.org/en/list/911

登録種別:複合遺産
登録基準:(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1999

武夷山(ウーイーシャン)は、福建省と江西省とが接する国家風景名勝区にある。「鳥の天国、蛇の王国、昆虫の世界」と称され、茫々とした亜熱帯の森林には、美しい白鷺、猿の群れ、そして、珍しい鳥、昆虫、木、花、草が数多く生息しており、1979年には国家自然保護区、1987年には、ユネスコの「人間と生物圏計画 NBA」の生物圏保護区に指定されている。また、脈々とそびえる武夷山系の最高峰の黄崗山(2185m)は、「華東の屋根」とも称されている。武夷山は、交錯する渓流、勢いよく流れ落ちる滝、水廉洞の洞窟の風景もすばらしく、玉女峰が聳える九曲渓では、漂流を楽しむことも出来る。また武夷山中には、唐代の武夷官、宋代の朱子学の開祖、朱憙(朱子)が講学を行った紫陽書院なども残っている。武夷山は、ウーロン茶の最高級品として名高い武夷岩茶の産地としても有名である。
──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月3日日曜日

黄昏の世界遺産 1

ウルル(エアーズ・ロック)の夕陽 Sunset on Uluru (Ayers Rock)

砂漠の中に突如出現するのが、大自然がつくりだした巨大な一枚岩、ウルル。
「エアーズ・ロック」の名でも知られていますね。
1872年にアーネスト・ジャイルによって発見されたとき、エアーズ・ロックと命名されたものの、1985年先住民のアボリジニに返還されたときに正式名称をウルルに定めたそうです。

オーストラリア中央部、ノーザンテリトリー準州のウルル、カタ・ジュタ国立公園に属しています。
世界で2番目に大きな一枚岩でできているなんて驚くばかりです。
高さ348m(付近の平坦な土地の標高そのものが約500mあるので、標高は868m)、周囲9.4km。
アボリジニの人々に聖地で、世界の中心に位置すると考えて、「地球のヘソ」と呼んでいるそう。

この岩は、大昔に堆積した砂が固まってできた砂岩(さがん)と呼ばれる岩で、表面が赤く見えるのは、含まれる鉄分が錆びて赤くなったためです。
太陽の移動に伴い、様々な色に移り変わる山肌は神秘的で美しいらしいですね。
実際目にしたことはありませんが。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。
この世界遺産の詳細を記しておきますね。


ウルル‐カタ・ジュタ国立公園《オーストラリア》
Uluru-Kata Tjuta National Park《Australia》


登録種別:複合遺産
登録基準:(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(viii) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの〔生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、或は重要な地形的、または、自然地理的特性などを含む〕
登録年:1987・1994

ウルル‐カタ・ジュタ国立公園は、オーストラリアのほぼ中央の北部準州にあり、総面積は1,325,666haで、地質学上も特に貴重とされている。この一帯の赤く乾いた神秘的な台地に突如、「地球のヘソ」といわれる世界最大級の一枚岩のエアーズ・ロック(アボリジニ語でウルル)と高さが500m、総面積が3500haとエアーズ・ロックより大きい36個の砂岩の岩塊群のマウント・オルガ(カタ・ジュタ)が現れる。エアーズ・ロックは、15万年前にこの地にやってきた先住民、アボリジニが宗教的・文化的に重要な意味を持つ聖なる山として崇拝してきた。また、周辺の岩場には、古代アボリジニが描いた多くの壁画も残されている。また、圏内には、22種類の哺乳類や150種の鳥、世界で2番目に大きいトカゲなど多くの爬虫類が生息している。エアーズ・ロックは、気象条件が良い時には、岩登りができるようになっており、頂上から眺める景色は観光客にも人気がある。また、マウント・オルガの風の谷や洞窟を歩くツアーにも多くの人が訪れる。ウルル‐カタ・ジュタ国立公園は、カカドゥ国立公園と共に先住民参加の管理がすすめられている。エアーズ・ロックへの登山については、先住民アボリジニの聖地として、一時は登山禁止が要請された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月2日土曜日

NHK『新・シルクロード』サントラ

いにしえの都のこだま Echo of a Lost City

街角の歌 Song of the City Streets

全部で10本ですが、このページでは2つのみ掲載しています。
他のビデオは下記リンクからどうぞ。
天山の峰々 Mountains are Far Away HD  
https://youtu.be/xKnSmRd56l
天空への道 The Path Leads into the Wind HD  
https://youtu.be/69eyZee4uD
草原の夏 Summer in The High Grassland HD  
https://youtu.be/fKVfoSCdUM
戦の記憶 The Battle Remembered HD  
https://youtu.be/O0T9Vxxr2-
千巻の経典の声 Voice of a Thousand Scrolls HD  
https://youtu.be/dR0vtFFpvi
収穫の踊り Spirit of the Harvest Dance HD  
https://youtu.be/7Q0ss3dOFu
山の嵐のあとに Clear Sky after Mountain Storm HD  
https://youtu.be/T8vR9Yewx_
玉の河のセレナーデ Serenade by Jade River HD  
https://youtu.be/85Rt7XtNqy

まとめて見る場合はコチラ

NHKで1980年4月から1年間、全12回にわたって放送されたNHK特集『シルクロード 絲綢之路』から30年以上経過しました。
2005年、NHKでは放送開始80周年記念事業の一環として新シリーズ、NHKスペシャル『新・シルクロード』が放送されました。
そのサウンドトラックのプロモーションビデオです。

演奏は、同番組の音楽監督も務めるチェロ奏者のヨーヨーマさん率いるシルクロード・アンサンブル。
1980年の放送の際はシンセサイザー奏者の喜多郎さんでしたね。

皆さん歴史の授業で「シルクロード(絹の道)」という言葉は習った記憶があるのではないでしょうか。
どんなものか、復習してみましょう。



シルクロードという言葉は19世紀ドイツの地理学者F.リヒトホーフェン(1833~1905)によって、その大著『シナ China』(1巻、1877)において使用されたのが最初であろう。彼の弟子S.ヘディン(1865~1952)がその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用して以来有名になったが、元来は東トルキスタン(中国、新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交通路を意味するものであった。しかしシルクロードを中国とローマとの間の主要貿易路とするならば、その起点は長安(西安)でその終点はシリアのアンチオキアだとすることができよう。この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味に解するならば、この隊商路の主要な路線は次の3本になる。(1)最も古いのは敦煌からアルトゥン山脈に沿い、ホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠の南辺を通過してパミール高原に達する南方の交通路。(2)北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれたもので、敦煌からトルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。(3)中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の前2世紀にさかのぼり、敦煌から楼蘭を経てコルラに達する。最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていたと考えられる。広義のシルクロード、すなわち西トルキスタン(旧ソ連領中央アジア)以西の東西対象路は多数の路線に分岐していた。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

中央アジアのオアシスを通る古代の東西交通路。中国産の絹がこの道によって西方のインド、イランやローマにもたらされたことに由来する。現代中国語では「絲綢之路」。東西貿易路であるとともに文化交流の道でもあった。そのルートには中国北西部からタリム盆地の北辺、天山山脈南麓沿い(天山北路)とタリム盆地の南辺、崑崙(こんろん)山脈北麓沿い(天山南路)とがあり、ともにオアシス都市を結ぶ隊商(キャラバン)ルートである。この「オアシスの道」が本来のシルクロードであるが、この語を広義に東西交通路の意味で用いる場合は、次の2コースも加わる。北方には「草原の道(ステップ・ルート)があり、モンゴリアからアルタイ山麓、ジュンガリア、カザフ・ステップをへて南ロシアの草原地帯に至る。さらに南シナ海、インド洋、アラビア湾、ペルシア湾などの海路による「海上の道」がある。
     ──『百科事典マイペディア』

2016年7月1日金曜日

幸福を求めるすべての人に

《01 - 無限の力》

《02 - 潜在意識》

《03 - 奇蹟》

《04 - 治癒力》
《05 - 願望実現法》  
《06 - 技術者》  
《07 - 生命》      
https://youtu.be/N6H8Oony0S
《08 - 夢の実現》    
https://youtu.be/9GEzeK_i0v
《09 - 富と成功》    
https://youtu.be/24Hm7Da_jG
《10 - 資産》      
https://youtu.be/7UXsECugDJ
《11 - 真の成功者》   
https://youtu.be/54ufeZi5dC
《12 - 幸福》
《13 - 愛と調和》    
https://youtu.be/gqUQDq62-5
《14 - 許し》      
https://youtu.be/aKoM7H2N-O
《15 - 悩みの克服》   
https://youtu.be/vu4258aky9
《16 - 無限の生命》  
https://youtu.be/75ZaEwjB5b

「人生の成功と失敗を分けるものは、決して偶然や運命ではありません。すべての人に生まれつき備わっている潜在脳力をどれだけ活用できたかによるのです」との言葉に代表されるように、潜在意識の活用の重要性を説いたジョセフ・マーフィー博士の理論を音声で聴く動画シリーズです。
全部で16話あります。
(このページでご覧いただけるのは最初の3話のみです。
残りは各リンクをクリックしてご覧ください。)
まとめてみる場合は下のリンクからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=8PogfllWFJo&list=PLe99y-VJsR20xlzE8eA3BsntqyXoxMm_U

使用したのはダウンロードした動画素材ですが、どこから入手したのか記録をとっていなかったので、不明です。
すみません。
音声は『聞きながら夢をかなえる』から拝借しました。

ジョセフ・マーフィー博士をご存じない方もいらっしゃるでしょう。
略歴をご紹介します(Wikipediaからの引用)。

ジョセフ・マーフィー Joseph Murphy
1898年5月20日 - 1981年12月15日
米国で活動したアイルランド出身の宗教者、著述家。
幼年時、末の妹エリザベスが祖母の急死を幻視するという体験をしたことが、現実を超えた世界への関心を呼び起こした。少年時代は、イエズス会の会員であったという。
青年時代、サルコーマという悪性腫瘍を患ったが、フィニアス・クインビーなどが用いた「潜在意識への呼びかけ」による心理的療法によって、完治したという自身の経験が、彼の思想形成の出発点となった。
その後、ロサンゼルスのディヴァイン・サイエンス教会において、牧師職をつとめ、28年にわたり活動した。
潜在意識を利用することによって自らや周りの人さえも成功、幸福へと導く「潜在意識の法則」を提唱した。関連著作は自己啓発書として広く流通している。ニューソート関係の思想家では、もっとも愛好された人物のひとりである。
主な著書
『眠りながら巨富を得る - マーフィーの成功法則実践編』 ISBN 4382055873
『眠りながら成功する』 ISBN 4382040175
『マーフィー 自分に奇跡を起こす心の法則』 ISBN 4837907695
『あなたも幸せになれる』 ISBN 4382044006
『眠りながら奇跡を起こすCDブック』 ISBN 4877712348


神学・法学・科学の各博士号を持つマーフィー博士は、教育家、講演家として、また、カウンセラー、牧師として幅広く活躍しました。
博士は、常に明瞭で優しい語り口と文章で、人間の心の原理と実践についての貴重なノウハウを人々に提供し、多くの悩める人々を精神的、身体的、環境的な苦しみから救済してきました。
特にそのカウンセリングとセラピー(精神療法)は驚くべき効果を生み出し、やがてマスメディアやブログラムを通じて多くの人々の願望を実現し、人生の成功者となる原理と具体的な方法が伝えられるようになりました。多くの熱心な支持者を得た博士の活動は、その後、全米からヨーロッパ、南アフリカ、インド、オーストラリアなど世界中に広がり、日本においても1970年代にたびたび講演を行っています。

また、マーフィー博士の著書はミリオンセラーになり、大きな反響を巻き起こしました。代表的なものだけで35冊以上におよび、世界各国で翻訳・出版されています。
大きな人気を得た理由の一つは、書かれている内容が具体的でわかりやすいことです。マーフィー博士自身、「難しい専門用語は使わずだれでも理解できるよう、ふだん私たちが使っているやさしい言葉で、潜在意識の脅威の力を説明するよう心がけた」と語っています。
著書の中では「マーフィーの成功法則」を実践し、成功した人との実例が数多く紹介されています。そして、それを読んで人生が変わった人から感謝の手紙が届き、また、次の著書に紹介されるというように実例がふんだんに盛り込まれた名著が次々と生み出されていったのです。
誰もが人生の目的を達成し、豊かな人生をおくる権利と可能性を持っているという確固たる真理、「あなたの人生はあなたが心の中に思い描いたとおりになる」というマーフィー博士の「黄金律」は、人の心を束縛し苦しめる貧しさや孤独、病気、混乱から解放し、豊かさ、愛、健康、平和を人生に実現する法則なのです。

精神科学の先駆者であるジョゼフ・マーフィー博士は、すぐれたカウンセラー、セラピストとして一生を人々に捧げました。すべての人が人生の目的を達成し、健康で平和で調和に満ちた人生を送る権利をもち、また、それが可能であることをマーフィー博士は実証しています。
  ──ジョゼフ・マーフィー・インスティテュート(http://murphy.jp)「マーフィー博士について」

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