2017年1月30日月曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #013


013
後撰・巻十一
Gosen(waka)-shu, vol. 11
love
釣殿の内親王(つりどののみこ)につかはしける──陽成院御製
sending to Princess Tsuridono
筑波嶺の
峯より落つる
みなの川
恋ぞつもりて
淵となりぬる
つくばねの
みねよりおつる
みなのがわ
こいぞつもりて
ふちとなりぬる
Tsukuba ne no
Mine yori otsuru
Mina no gawa
Koi zo tsumorite
Fuchi to nari nuru.
筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が、一滴の雫がつもって深い淵になるように、私の恋こがれる思いも深くつもって淵となってしまったことだ
The Mina stream comes tumbling down
From Mount Tsukuba’s height;
Strong as my love, it leaps into
A pool as black as night
With overwhelming might.
底が見えないほど深くつもった恋の淵
作者の次に即位することとなった光孝天皇《歌015》の娘、綏子(すいし)内親王への恋心を歌った作である。上の句で伸びやかに自然を詠み、下の句で自らの心情を水の流れにのせて一気に歌い上げた情熱あふれる仕上がりになっている。
押さえがたい思いがつもっていくさまは、脳の病のため狂気的な言動が絶えなかったという陽成院の激動の生涯を象徴しているようである。
It was a frequent custom in the old days for the Emperors of Japan to retire into the church or private life, when circumstances demanded it. The Emperor Yozei, who was only nine years of age when he came to the throne, went out of his mind, and as forced by Mototsune Fujiwara to retire; he reigned A.D 877-884, and did not die till the year 949. The verse was addressed to the Princess Tsuridono-no-Miko. Mount Tsukuba (2,925 feet high) and the River Mina are in the Province of Hitachi.
Koi here means the dark color of the water from its depth, but it also means his love, and is to be understood both ways. Note also mine, a mountain peak, and Mina, the name of the river.
陽成院 ようぜいいん THE RETIRED EMPEROR YOZEI
868949年。第57代天皇。諱(いみな)は貞明(さだあきら)。清和天皇の第一皇子で、母は藤原高子(ふじわらのたかいこ)。元慶元(877)年10歳で即位。元良(もとよし)親王《歌020》の父。母高子(たかいこ)の兄藤原基経が摂政となり政務を執る。同8(884)年2月、精神病のため譲位。狂暴、非道な行ないが伝えられている。82歳で崩御。
勅撰集にはこの一首だけがはいっている。

後撰和歌集(ごせんわかしゅう)

平安中期、第2番目の勅撰和歌集。八代集の1つ
20巻。歌数約1400首。951年村上天皇の命で源順(みなもとのしたごう)ら「梨壺の五人」が編集。歌の作者はほぼ『古今和歌集』と重なり、撰者の歌は入れていない。特色として贈答歌が多く、詞書が長いことがあげられるが、これは歌集の物語化を意味する。
  ──『日本史事典』

PHOTO (F):
Mt.Tsukuba.jpg by RESPITE

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。






2017年1月29日日曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #012


012
古今・巻十七
Kokin(waka)-shu, vol. 17
other
五節の舞姫を見て詠める──よしみねのむねさだ
watching “gosechi (an imperial event)” dancers by Munesada Yoshimine
天津風
雲の通ひ路
吹きとぢよ
乙女の姿
しばしとどめむ
あまつかぜ
くものかよいじ
ふきとじよ
おとめのすがた
しばしとどめん
Amatsu kaze
Kumo no kayoiji
Fuki tojiyo
Otome no sugata
Shibashi todomemu.
空を吹く風よ、天女の通る雲の中の道を吹き閉ざしてくれ。舞を終えて去る天女のように美しい舞姫を、もうすこしここにとどめておきたいのだ
Oh stormy winds, bring up the clouds,
And paint the heavens grey;
Lest these fair maids of form divine
Should angel wings display,
And fly far far away.
ずっと眺めていたい舞姫たちの華麗な宴
豊明節会(とよあかりのせちえ)で五節(ごせち)の舞を舞う舞姫たちの姿を見て詠んだ。遍昭35歳ごろの作である。まだ、出家をする前で、名は良峯宗貞(よしみねのむねさだ)といった。
舞の美しさに心奪われ、舞姫を天女に見立てて風に呼びかける表現は遍昭の心躍る気持ちを代弁している。宴の終わりを名残惜しんで、天女が天上と地上を行き来するという雲の中の道を、風が閉ざしてしまえと願っているのである。
The poet’s real name was Munesada Yoshimune, and he was the great-grandson of the Emperor Kwammu. On the death of the Emperor Nimmyo, to whome he was much devoted (A.D. 850), he took holy orders, and in the year 866 wad made a bishop. He died in the year 890, at the age of seventy, from being buried, by his own wish, in a small stone tomb covered with soil, with only a small pipe leading from his mouth to the open to his life. He is said to have composed the above verse, before he entered the priesthood, on seeing a dance of some maidens at a Court entertainment; he pretends that the ladies are so beautiful that they can be nothing less than angels, and he is afraid they will fly away, unless the wind will bring up the clouds to bar their passage.
[In the picture he is shown with two acolytes, apparently addressing the wind.]
僧正遍昭
そうじょうへんじょう
BISHOP HENJO
816890年。俗名は良峯宗貞(よしみねのむねさだ)。桓武(かんむ)天皇の孫で、素性(そせい)法師《歌021》の父にあたる。仁明天皇に仕え、嘉祥3(850)年帝の崩御にあい、深草山に葬った夜、叡山に登り、慈恵僧正の弟子となる。元慶3(879)年に権僧正。76歳で没。
36歌仙、六歌仙の一人。勅撰集には35首はいっている。家集「遍昭集」がある。

古今和歌集(こきんわかしゅう)

平安中期、日本最初の勅撰和歌集
略称『古今集』。20巻。歌数約1100首。醍醐(だいご)天皇の勅により編集を始め、905(延喜5)年撰進された。撰者は紀貫之《歌035》、凡河内躬恒《歌029》、紀友則《歌033》、壬生忠岑《歌030》ら。『万葉集』に入らなかった古歌とそれ以後の新しい歌を集大成したもので、巻頭に貫之の「仮名序」、巻尾に紀淑望(よしもち)の「真名序」を置く。歌風は七五調・体言止めが多く、優美典雅、理知的で機知を尊ぶ。のちの勅撰和歌集の理想となった。代表歌人としては撰者らのほかに六歌仙がいる。
  ──『日本史事典』

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。






2017年1月28日土曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #011



011
古今・巻九
Kokin(waka)-shu, vol. 9
覉旅
travel
隠岐国に流されける時に船に乗りて出(いで)立つとて京なる人の許(もと)に遣はしける──小野篁朝臣
send a message when about to sail for reletation
わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ
海人の釣り舟
わたのはら
やそしまかけて
こぎいでぬと
ひとにはつげよ
あまのつりぶね
Wata no hara
Yasosihima kakete
Kogi idenu to
Hito ni wa tsugeyo
Ama no tsuri-bune.
はるかに広がる海原を、多くの島々目指して舟を漕ぎ出したと、恋しい京の人には伝えてくれ、漁師の釣舟よ
Oh! Fishers I your little boats,
Quick! Tell my men, I pray,
They’ll find me at Yasoshima,
I’m being rowed away
Far off across the bay.
決意と不安と無念さと
承和(じょうわ)元(834)年、篁は遣唐副使に任命され、唐へ赴くこととなったが、乗る船のことで大使の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)ともめたあげく、病を理由に乗船を拒否した。さらに遣唐使を風刺する詩「西道謡(さいどうのうた)」を作ったため、嵯峨上皇の怒りをかって、隠岐へ流罪となった。この歌は、いよいよ隠岐へ向かって出発するというときの心情を表したものだ。
はるかに広がる海を見やって、これから島々を目指して漕ぎ出すという、潔い決意のその奥に、詞には出さない不安や孤独が見え隠れする。釣舟に託した言付けの相手は、都で待つ家族か、それとも恋人だろうか。
Takamura, a well-known scholar, rose from poverty to riches on being appointed a Custom-house officer for the ships trading to and from China. His enemies reported him to the Emperor as an extortioner and a thief, and he was deported to Yasoshima, a group of small islands off the coast; he is said to have composed this song and sung it to the fishing-boats, as he was being carried off. He was afterwards pardoned and reinstated, dying in the year 852.
参議篁 さんぎたかむら THE PRIVY CONCILLOR TAKAMURA
802852年。参議正四位下小野峯守の長男。21歳のとき文章生(もんじょうしょう)となり、太宰少弐に任ぜられ、承和3(836)年遣唐副使として船出したが暴風にあって引きかえし、翌4年再出発にさいして大使の藤原常嗣と争い、病気といつわって船に乗らず、大使をそしる詩をつくったりしたので、嵯峨天皇の怒りにふれて、同5年12月隠岐島に流された。同7年、文才を惜しまれて許され、蔵人頭、参議を経て従三位。51歳で没。
「古今集」の6首をふくめ、「新古今集」などの勅撰集に14首はいっている。

古今和歌集(こきんわかしゅう)

平安中期、日本最初の勅撰和歌集
略称『古今集』。20巻。歌数約1100首。醍醐(だいご)天皇の勅により編集を始め、905(延喜5)年撰進された。撰者は紀貫之《歌035》、凡河内躬恒《歌029》、紀友則《歌033》、壬生忠岑《歌030》ら。『万葉集』に入らなかった古歌とそれ以後の新しい歌を集大成したもので、巻頭に貫之の「仮名序」、巻尾に紀淑望(よしもち)の「真名序」を置く。歌風は七五調・体言止めが多く、優美典雅、理知的で機知を尊ぶ。のちの勅撰和歌集の理想となった。代表歌人としては撰者らのほかに六歌仙がいる。
  ──『日本史事典』

PHOTO (F):

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。






2017年1月24日火曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #010


010
後撰・巻十五
Gosen(waka)-shu, vol. 15
other
逢坂の関に庵室を造りて住侍(すみはべ)りけるに行きかふ人を見て──蝉丸
watching people pass by at a hermitage
これやこの
往くも帰るも
別れては
知るも知らぬも
逢坂の関
これやこの
ゆくもかえるも
わかれては
しるもしらぬも
おうさかのせき
Kore ya kono
Yuku mo kaeru mo
Wakarete wa
Shiru mo shiranu mo
Ausaka no seki.
これがあの、都から東国へ行く人も、それを見送って都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、ここで別れてはまた逢うという、名の通りの逢坂の関なのだなあ
The stranger who has traveled far,
The friend with welcome smile,
All sorts of men who come and go
Meet at this mountain stile,
They meet and rest awhile.
関を行き交う人々に人生の無常を見る
「逢坂の関」は山城国(京都府)と近江(おうみ)国(滋賀県)の間に置かれた関所で、都から他国へ出る際の交通の要所であった。実際に関所が置かれたのは大化(たいか)2(647)年から延暦(えんりゃく)14795)年までの間だったが、その後も往還に利用され、名前に「逢う」の響きが含まれることから、長い間歌枕として詠まれてきた。
その逢坂の関で行き交う人々、顔見知りや、そうでない人、旅立つ人、見送る人のようすを見て「これが噂に聞く逢坂の関というものなのだなあ」と感慨深げに歌っている。
一見写実的な一首だが、中世には、めぐり会っては別れ行く、人生の無常を表現していると解釈された。
「これやこの」「行くも帰るも」「知るも知らぬも」と3つの対句を使い、リズミカルで楽しげな雰囲気が感じられるが、一方では逢坂の関に世の中の無常を見ている、深みのある歌である。
Semi Maru is said to have been the son of the Emperor Uda, who reigned A.D. 888-897. He became blind, and so, being unable to ascend the throne, he retired to a hut on the hills, near to a barrier gate, and amused himself with his guitar. The translation does not fully reproduce the antithesis of the original--- ‘this or that man, people coming and going, long lost friends and strangers’. The last line is literally ‘the barrier on the mountain road of meeting’; and Osaka no Seki, as the name is now spelled, a small hill on the edge of Lake Biwa, not far from Kyoto, is the site commemorated in this verse.
蝉丸 せみまる SEMI MARU
生没年・伝記未詳。「今昔物語」巻二十四によれば、宇多天皇の第8皇子敦実(あつざね)親王の雑色(雑役)で、のち隠者となって延喜5(905)年ころには逢坂山に住んでいたと伝えられる。『平家物語』では醍醐(だいご)天皇の第四皇子とされている。
盲目の琵琶の名手であったと伝えられる。
勅撰集には4首はいっている。

後撰和歌集(ごせんわかしゅう)

平安中期、第2番目の勅撰和歌集。八代集の1つ
20巻。歌数約1400首。951年村上天皇の命で源順(みなもとのしたごう)ら「梨壺の五人」が編集。歌の作者はほぼ『古今和歌集』と重なり、撰者の歌は入れていない。特色として贈答歌が多く、詞書が長いことがあげられるが、これは歌集の物語化を意味する。
  ──『日本史事典』

PHOTO (F):

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。






2017年1月23日月曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #009



009
古今・巻二
Kokin(waka)-shu, vol. 2
spring
題知らず──小野小町
untitled
花の色は
移りにけりな
いたづらに
吾身世にふる
ながめせしまに
はなのいろは
うつりにけりな
いたずらに
わがみよにふる
ながめせしまに
Hana no iro wa
Utsuri ni keri na
Itazura ni
Waga mi yo ni furu
Nagame seshi ma ni.
桜の花の色は、はかなくあせてしまったことだなあ。長雨が降りつづく間に。同じように私の容姿も空しく衰えてしまった。もの思いにふけっている間に
The blossom’s tint is washed away
By heavy showers of rain;
My charms, which once I prized so much,
Are also on the wane,
Both bloomed, alas! in vain.
花と美貌の寿命ははかなく短い
絶世の美女と伝えられる小野小町が、花の移ろいに自らの容色の衰えを重ね、嘆いている。
「花」がおもに桜を指すようになったのは『古今集』のころからで、それ以前は圧倒的に梅を指すことが多かった。この歌の場合も必ずしも桜とただし書きがされているわけではないが、盛りを迎える前に雨に打たれ空しく散ってしまう桜のはかないさまが、容姿の変化を嘆く美女を暗示するのにいかにもふさわしく、今日まで桜と解釈されているのにもうなずける。
「長雨」と「眺め」、「降る」と「経(ふ)る」のふたつの掛詞を巧みに使い、女の嘆きを間接的でありながらも、妖艶(ようえん)に表現している。雨の中、散りゆく桜をもの思いにふけりながら眺める小町の姿さえ浮かんできそうだ。
The writer was a famous poetess, who lived A.D. 834-880. She is remembered for her talent, her beauty, her pride, her love of luxury, her frailty, and her miserable old age. The magic of her art is said to have overcome a severe drought, from which the country suffered in the year 866, when prayers to the Gods had proved useless.
The first and last couplets may mean either ‘the blossom’s tint fades way under the continued downpour of rain in the world’, or ‘the beauty of this flower (i.e. herself) is fading away as I grow older and older in this life’; while the third line dividing the two couplets means, that the flower’s tint and her own beauty are alike only vanity. This verse, with its double meaning running throughout, is an excellent example of the characteristic Japanese play upon words.
小野小町 おののこまち KOMACHI ONO
生没年・伝記未詳。出羽国(秋田県)の郡司小野良真(よしざね)の娘で、参議小野篁(たかむら)の孫と伝えられる。平安朝初期の女流歌人の第一人者。「古今集」第2期の歌人である。六歌仙および36歌仙の一人で、晩年は路傍に食を乞い諸国を漂泊したという。「古今集」に12首、勅撰集に62首。家集に「小町集」がある。

古今和歌集(こきんわかしゅう)

平安中期、日本最初の勅撰和歌集
略称『古今集』。20巻。歌数約1100首。醍醐(だいご)天皇の勅により編集を始め、905(延喜5)年撰進された。撰者は紀貫之《歌035》、凡河内躬恒《歌029》、紀友則《歌033》、壬生忠岑《歌030》ら。『万葉集』に入らなかった古歌とそれ以後の新しい歌を集大成したもので、巻頭に貫之の「仮名序」、巻尾に紀淑望(よしもち)の「真名序」を置く。歌風は七五調・体言止めが多く、優美典雅、理知的で機知を尊ぶ。のちの勅撰和歌集の理想となった。代表歌人としては撰者らのほかに六歌仙がいる。
  ──『日本史事典』

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。






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