2021年9月10日金曜日

WS186_雨ニモマケズ Rain Won't(宮沢賢治 Miyazawa Kenji)with English translation

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※このブログ上で動画を閲覧できない場合は、タイトルをクリックしてYouTubeにてご覧ください。

目にしたり耳にすることの多い詩、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』英訳と朗読つきの動画を作りました。
明治時代から昭和初期に生きた宮沢賢治ですが、彼の生きた時代とはまったく状況が違いますが、彼のように一心に他人に尽くす精神は、現代社会にもっとも必要なものかもしれません。


宮沢賢治 ミヤザワケンジ

1896.8.27~1933.9.21
詩人、児童文学者。1918年盛岡高等農林学校卒業。家業に従事中、日蓮宗の熱心な信者となり、布教のため上京、『どんぐりと山猫』(1921)、『かしはばやしの夜』(21)など童話数編を書いた。しかし発表の機会がないまま帰郷して24年童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』を自費出版。凶作と不況にあえぐ農民に稲作指導をしつつ天衣無縫の詩才を育てたが病弱のため夭折。没後、草野心平に発掘され、その豊かな空想性とユーモア、宗教性、土着性、科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。ほかに童話『銀河鉄道の夜』(27頃)、『グスコーブドリの伝記』(32)、詩『雨ニモマケズ』(31)など。
──ブリタニカ国際大百科事典


病床で書いたのでしょう(動画の後半、朗読部分の画像は手帳に記した直筆です)。
健康でいたいという願いが前半にありますが、全編とおして他人に奉仕する心意気が表れていますね。
さすがは仏教に心身を捧げた賢治です。

冒頭のタイトルに用いた画像は、賢治の心中にあった理想郷イーハトーヴ=岩手県花巻の岩手山です。
詩は「雨にも負けず──」と始まりますが、理想郷なので、晴れた画像を使いました。
この山のふもとにある小岩井農場も賢治ゆかりの地だそうです。

本編は手帳に書かれたものであることを意識しています。
詩という芸術分野なので、原則原文のままにしていますが、原文はさすがに現代日本語表記ではないので、読みにくいです。
読みやすくするため、漢字を多くした現代表記を青い文字で追加しています。

英語翻訳はアーサー・ビナード氏。
(English translation by Arthur Binard.)
2013年(株)今人舎刊行の絵本のものを転載させていただきました。
1967年ミシガン州生まれのアメリカ人で、大学卒業と同時に来日し、処女作をはじめ、複数賞も受賞した経歴の持ち主だそうです。

朗読は木村功氏によるものを合わせました。

BGMは瀧廉太郎作曲のピアノ曲「メヌエット」ですが、チェロとコントラバスにしてみました。
なぜチェロ?って声が聞こえてきそうですね。
主な理由は3つ。
1 賢治が並々ならぬ愛情を注いだ楽器であること。
(まだまだ西洋音楽が普及していなかった時代であるにもかかわらず、自分の楽器を購入し、レッスンを受けるために上京までしています。)
(また、自身を描いたような作品『セロ弾きのゴーシュ』を残していることからも、そのことがうかがわれます。)
2 賢治の肉声はチェロのように朗々とした響きだったらしいこと。
(日々唱えるお題目(読経)はよく通る声だったようです。)3 演奏する楽器の音色に合致した性格になるらしいこと。
(自分の性格に見合った音の楽器を選ぶということでしょうか。)
あくまで勝手な思い込みですが、上記の詳細に関しては『チェロと宮沢賢治』横田庄一郎(岩波書店 2016)を読んでいただけるといいと思います。
原曲のピアノの演奏は、いかにも繊細すぎて、(「cocolo supplie ココロさぷり」の勝手な)賢治のイメージには合わないと思ったのも、理由のひとつです。
実際、低音を強化したものは、地に足をつけて踏みしめながら歩くような感じがします。
そういうイメージなんですね、賢治って。

瀧廉太郎 タキレンタロウ

1879.8.24~1903.06.29
明治の作曲家。洋楽輸入以後の日本最初の本格的な作曲家。1898年東京高等師範学校付属音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)卒業。1901年ドイツに留学したが、発病して翌年帰国。1900年頃作曲した組歌『四季』(有名な『花』を含む)は、洋楽のスタイルによる日本最初の芸術作品で、その後も歌曲『荒磯』、ピアノ曲『メヌエット』『憾(うらみ)』を作曲。中学唱歌の『荒城の月』(無伴奏)などを作り、また言文一致運動に協力して『鳩ぽっぽ』『お正月』など今日も歌われている唱歌を作曲した。
──同上


賢治も廉太郎も若くして夭逝してしまった芸術家ですが、廉太郎が生まれながらに病弱だったイメージなのに対して、賢治は働きづめで身体を壊したような感じがします。
不思議なことに、二人とも誕生日が近い(乙女座)んですね。

賢治は音楽にも造詣が深く、クラシックのレコードなども多数所有していたとのこと。
作曲もいくつか手掛けていますが、自分の聞こえている音を言葉だけで表現する限界を感じていたのではないかと想像しています。
賢治は、共感覚(専門的には「通様相性(つうようそうせい)現象」といい、視覚、聴覚、触覚の刺激にともなって別の感覚を感じること、たとえば音を聞いて色を感じたりすること)の持ち主だったような印象を受けます。

以前投稿した「WHY?: questions about Japan」シリーズの Japanese Food (b)で、この詩をふまえた説明があります。
この詩を味わったうえで、再度説明を読むと感慨深いかもしれません。


なお、「cocolo supplie ココロさぷり」ではコラボ作品も随時募集中です。
詳しくはコチラの記事をご覧ください。
Your works needed.
See this post for the details.

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
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