2016年6月30日木曜日

swan


ナショナル・ジオグラフィック日本版(http://natgeo.nikkeibp.co.jp/)の壁紙で動画を作りました。
海中の宝石 jewels in the sea」「精霊の宿る地 The land which spirits live」に続き、今回はその第3弾。
2010年12月号の特集記事『オオハクチョウ』で使われた写真で、Stefano Unterthiner氏の作品です。
日本へは冬に飛来するので、時期的には真逆ですが。


空飛ぶ姿は愛らしく、休む姿は威厳に満ちて、作曲家や詩人の想像力をかきたてる。


これはナショナル・ジオグラフィック日本版の写真解説にあることば。
本当にその通りですね。
BGMとして使った音楽もそのひとつ、サン=サーンス(Saint-Saëns)の『白鳥 The Swan』です。
『動物の謝肉祭 Carnaval des Animaux』という全14曲で構成される組曲の第13曲。
ピアノ伴奏付きに編曲されて、チェロの小品として人気が高い作品です。
ここでは Jaqueline Du Pre のチェロと Osian Ellis のハープによる演奏を使わせていただきました。

さて、このオオハクチョウ、どんな生態なんでしょうか。
英語ではwhooper swan、学名はCygnus cygnus。


カモ目カモ科。全長1.4m、翼開張2.5mの大型の鳥。成鳥は全身純白で、くちばしの基部が黄色、先端が黒い。脚も黒色。幼鳥は全体灰白色で、くちばしの基部が肉色をしている。浅瀬のある湾内や広い湖沼で群れて生活し、体の前半部を水中に突っ込んで水草の葉、茎、根を食べる。日本には冬鳥として飛来し、青森県小湊の渡来地は特別天然記念物、新潟県瓢湖は天然記念物に指定されている。ユーラシア大陸北部で繁殖する。
              ──『ブリタニカ国際大百科事典』
コハクチョウとともに日本で見られる代表的なハクチョウ類。くちばしの黄色い部分が黒い部分より大きく、その点でコハクチョウと区別できる。ユーラシアの寒帯で繁殖し、冬鳥として日本を訪れる。北海道の風蓮湖や尾岱沼などをへて、野辺地湾、北上川、伊豆沼など本州北部の湖沼や海岸などで越冬する。水草をおもに食べ、水生昆虫なども食べる。近年は、日本各地で人による給餌も行われ、越冬数が増えつつある。
              ──『百科事典マイペディア』
オオハクチョウの繁殖地はアイスランドからアリューシャン列島まで地球を半周するほど広い。渡りは9月後半に始まり、3〜4月に北へ戻る。
オオハクチョウは水面から飛び立ち、水面に降りる場合がほとんどだ。助走は短く、大きな翼をはばたかせて宙に浮く。上空8200メートルでの目撃例もあるが、高さだけでなく移動距離の長さも特徴で、アイスランドからアイルランドまでの約1300キロの渡りは、ハクチョウ属の中で最長の部類に入る海洋横断ルートだ。
              ──『ナショナル・ジオグラフィック日本版』写真解説


天空に舞う白鳥もいますよ。
ギリシア神話の大神ゼウスがレダという美人の娘に会う際に化身した姿がこれ。
白鳥座は北十字としても知られています。
日本では秋~冬に見える星座です。

2016年6月29日水曜日

ほんわか、ほのぼの

<A>

<B>

同じ写真を使って、雰囲気の違う動画を作ってみました。

「ネタに困ったら子どもか動物を使え」と言われる業界もありますが、癒しに関していえば、子どもと動物の組み合わせは最強かもしれませんね。
どちらも自然体で一瞬一瞬を生きているからでしょうか。
それにしても、動物相手に無邪気な表情を見せてくれる子どもたちと、その小悪魔にされるがままの動物──、お互いに信頼しあって愛があるからこそでしょうね。
きっとサーカス団か何かの子どもで、生まれたときからずっと動物と一緒に育ったんだろうと思います。
でなければ、自分の何倍も大きい動物に対して、怖れを感じずに接するなんて、とてもじゃないけど、できそうもありませんから。
いずれの写真も思わずクスッとしてしまいます。
どんなに落ち込んでいても、悲しみのどん底にあったとしても、気持ちがほぐれること間違いなしです。

さて、今回のこの写真、ジョン・ドライズデール John Drysdale という写真家さんの『フォエヴァー・フレンズ Forever Friends』という写真集から拝借したものです。
Wikipediaから彼の経歴を引用させていただこうと思ったんですが、同姓同名の別人しかなったので、彼の公式サイト(http://www.johndrysdale.com/default.htm)の内容を翻訳して載せますね。




ジョン・ドライズデールは東アフリカで、写真と動物に興味を覚えながら育った。1950年代初頭イギリスのギルフォード芸術学校で学び、セシル・ビートンが撮影するエリザベス女王2世の即位式の公式写真のアシスタントを務めた。以降、報道写真、広告写真、産業写真で活躍し、数多くの賞を受賞。もっとも記憶に残る作品としては、おそらく、ユーモアの分野、実生活における子どもたちと動物たちを題材にしたものだろう。これらは世界に新たな見解を与えるものである。



音楽は雰囲気に合わせて違うものにしました。
<A>は神山純一さん作曲の曲、『琥珀色の風景』ですが、タイトルから写真をセピアの色調する効果を追加しました。
この曲は「CRYSTAL DEW 3」というアルバムに収録されています。
ガラス管を叩いたり擦ったりして音を奏でているそうです。

<B>はクラシックの名曲、ドヴォルザークの『ユーモレスク』を若干アレンジしています。
ユーモレスクとは、気まぐれでユーモアのある19世紀の器楽曲のジャンルのひとつです。
子どもや動物の情景にはぴったりだと思い、この曲を選びました。
(前述の業界では、自分の意図するように動いてくれないから敬遠される理由のようですが。)

背景は壁紙サイトのwallpaperswide (http://wallpaperswide.com)のものです。
しゃぼん玉みたいな雰囲気が気に入っています。
<B>が元々の色です。

2016年6月28日火曜日

書物についての優れた名言 ― EXCELLENT QUOTES ON BOOKS

《日本語版 Japanese version》


《英語版 English version》

この動画で使用させていただいたのは AC WORKS さんの写真です。
音楽は HURT RECORD さん(www.hurtrecord.com)のものですが、別のビデオでも使わせていただいています。
その記事はこちら
http://cocolosupplie.wix.com/cocolo-supplie-blog#!scenery-havent-seen-yet-未だ見ぬ景色/c218b/5703c4b40cf2efb3747c663b
著作権フリーBGM配布サイト HURT RECORD ロゴ素材
日本語版・英語版ともに同じ写真、音楽です。

9人の名言を紹介していますが、それぞれの生い立ちなどを見ていきましょう。
すべて『ブリタニカ国際大百科事典』からの引用です(一部抜粋 ※ロバート・G・インガソルのみWikipedia)。
ただ、リュウカンに関してはどうしても該当の人物が見当たりませんでした。
おそらく中国の人だろうと思うのですが、検索してもゲームのキャラクターしかヒットしないんですよね。
名言からも検索したんですが、これも人物にたどり着きませんでした。


◆ウォルト・ディズニー Walt Disney
Walter Elias Disney
1901.12.05生~1966.12.15没
アメリカ合衆国シカゴで生を受けたアニメーション映画制作者。1928年『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』でアニメーション映画初のトーキー化に成功し、ミッキーマウス、ドナルドダックの生みの親として世界的に人気を博す。1937年初のカラー長編アニメーション映画『白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs)』を制作、以降『ピノキオ(Pinocchio)』(1940)、『ファンタジア(Fantasia)』(1940)、『ダンボ(Dumbo)』(1941)、『バンビ(Bambi)』(1942)、『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)』(1951)、『眠れる森の美女(Sleeping Beauty)』(1959)などを発表。まんが映画のほかに『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』(1964)などに代表される家族向け娯楽映画、さらに記録映画も制作。1955年には巨大な遊園施設ディズニーランドをカリフォルニア州アナハイムに開設した。

◆ジョン・ラスキン John Ruskin
1819.02.08生~1900.01.20没
イギリスの著述家、美術評論家、画家。オックスフォード大学在学中に絵画を修業、1840~42年学業を中断してイタリアへ旅行。J.ターナー(1775~1851、イギリスの風景画家)の影響を強く受け、卒業後彼に関する最初の論文『近代画家論(Modern Painters)』第1巻を著述(1843)。その後イタリアで絵画、建築を研究し、『建築の七燈(The Seven Lamps of Architecture)』(49)を完成し、またベネチアの教会、宮殿のデッサン、水彩画をまとめて『ベネチアの石(The Stones of Venice)』(51~53)として出版。60年には『近代画家論』第5巻を著した。69年オックスフォード大学美術史教授に就任。晩年は芸術と社会の関連から社会問題、経済問題に取り組んだ。なお彼の魅力ある自伝『過ぎしことども(Praeterita)』(85~89)は彼の死により未完に終わった。

◆トーマス・アルヴァ・エジソン Thomas Alva Edison
1847.02.11生~1931.10.18没
アメリカの発明家、企業家。年少の頃から正規の教育を受けず、図書館などで独学。非常な努力家で、列車内で新聞売りをしながら実験室をつくった逸話は有名。1863年に電信技士となり、各地を放浪。その間手当たり次第に科学雑誌を読破。特にM.ファラデーの『電気学の実験的研究』に魅せられた。68年投票記録機で最初の特許を得たが、需要がまったくなく、不成功に終わった。それ以降需要のあるものだけの発明に専心し、数々の発明品を世に送った。76年メンローパークに応用科学研究所を創設。1000件を越す発明を達成し、企業化に努力した。蓄音機(1877)、白熱電球(79)、活動写真(91)など発明は人々の生活を一変させた。彼には83年のエジソン効果の発見のように純科学的業績もあり、自然科学者としても十分に通用する人であった。

◆ナポレオン・ボナパルト Napoleon Bonaparte
1769.08.15生~1821.05.05没
フランス第一帝政の皇帝(在位1804~14)。コルシカ人貴族の家に生まれ、フランスで教育を受け、パリ士官学校を卒業(1785)。フランス革命初期にはジャコバン・クラブに入会し、コルシカ独立運動に参加したが、指導者パオリと衝突し、1793年一家をあげてフランスに亡命。同1793年ニースの連隊に復帰したが、この頃からナポレオン・ボナパルトと呼ばれるようになった。1796年3月9日ジョゼフィーヌと結婚。カンポフィルミオ条約によってイタリアで5年間続いた戦争は収拾され、ナポレオンの人気は頂点に達した。1798年7月エジプトに遠征、1799年11月E.シエイエスと結んでブリュメール18日のクーデターを断行し執政政府を樹立、軍事独裁を始めた。1804年5月に帝国成立が宣言されると皇帝に即位。以降産業振興、学制改革、行政、司法の再編成などを行った。1807~10年頃相次ぐ対外戦争の勝利によってその威信と権力は頂点に達したが、1814年5月エルバ島に流された。島を脱出したのち、ワーテルローでイギリス軍と戦って敗れ、セントヘレナ島に流されて同地で没した。

◆ロバート・G・インガソル Robert G. Ingersoll
Robert Green Ingersoll
1833.08.11生~1899.07.21日没
アメリカの弁護士、政治的指導者、不可知論者。隷制度廃止主義者の牧師だった父の急進的な考えによって、イリノイ州ピオリアに落ち着くまで頻繁に引っ越した。インガーソルはそこで弁護士に弟子入りし、一人で住むようになった。南北戦争後、イリノイ州検事総長を務めた。彼は当時今日よりは進歩的だった共和党の重要な党員となった。彼は党で地位につかなかったが、積極的に党の活動に参加した。1876年、ジェームズ・G・ブレインの推薦スピーチをした。ブレインは当選できなかったが、推薦スピーチが評判となった。演説が公共の楽しみであった時代、インガーソルは演説者として知られた。彼はシェークスピアの事から南北戦争後の事まで何でも話したが、彼のもっとも得意としたのは不可知論と尊厳と組織の堕落についてであった。彼の演説は3時間以上続くこともあったが、彼はそれを暗記していた。聴衆たちは退屈することが無かったという。

◆サミュエル・バトラー Samuel Butler
1835.12.04生~1902.06.18没
イギリスの小説家。初め聖職者を志してケンブリッジ大学に学んだが、既存のキリスト教にあきたらず、ニュージーランドに渡って牧羊業者として成功。1864年帰国して絵を描き作曲するかたわら文筆活動に従い、ビクトリア朝の社会を風刺したユートピア小説『エレホン(Erewhon)』(1872)、一家の歴史を描きつつ偽善的な宗教、倫理を痛撃した自伝的小説『万人の道(The Way of All Flesh)』(1903)をはじめ、宗教や進化論に関する著作、『エレホン』の続編『エレホン再訪(Erewhon Revisited)』(01)などを書いた。

◆リュウカン Liu Kang

◆モーティマー・アドラー Mortimer Adler
1902.12.28生~2001.06.28没
アメリカの哲学者、教育者、編集者。1928年コロンビア大学で哲学博士を取得。同大学で教えたのち、シカゴ大学法哲学教授となった。52年R.ハチンズとともに『Great Books of the Western World』54巻を編集、重要概念の索引であるを企画、編集した。同年サンフランシスコ(1964以降シカゴ)の哲学研究所所長、69年『ブリタニカ百科事典』第15版の編集責任者となった。主な著・編書に『How to Read a Book』(40)、『Gateway to the Great Books』(63、10巻)、『The Great Ideas Today』(61~)、『Annals of America』(20巻)などがある。

本を読むのが楽しくなるかもしれませんよ。

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