《英語版 English version》
写真はwww.alltollz.orgのもので、デザイン素材を扱うサイト経由でダウンロードした65点の花の写真セットの中から選びました。
(※リンクしていなのは、サイトが閉鎖されてしまったと思われるためです。
ダウンロードしてからそんなに経っていないんですけどねぇ。)
音楽は再度AC WORKS.CO.,LTD.さんによるクラシック名曲アレンジで、今回はシューマンの『子供の情景』から『トロイメライ』です。
ドイツ語のトラウム Traum(=夢、憧れ)から派出した言葉で、「夢み心地」といった意味だそうです。
メロディから選んだ曲でしたが、なぜか偶然にも内容と重なりました。
では、心に響く名言を残してくれた人たちの経歴を見ることにしましょうか。
ロレッタ・ヤング Loretta Young
本名:Gretchen Young1913.01.06生~2000.08.12没
アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ出身の女優。3歳のときに家族でハリウッドに移り住む。
両親が離婚したため、一家はロサンゼルスで下宿屋を開業。家計を助けるために姉のポリー・アン、サリーと共に子役として映画に出演。マーヴィン・ルロイ監督に声をかけられ、1928年に本格的に映画デビューした。
1930年、17歳のときに26歳の俳優グラント・ウィザーズと駆け落ちするが、翌年に関係を解消。1934年にはクラーク・ゲーブルと共演をきっかけに関係を持ち、翌年に妊娠をしたが世間にはそれを隠し通したまま極秘に娘を出産。世間には養女をとったとしていたが、晩年に書かれた自伝でゲーブルとの間にできた子であることを告白している。当時ゲーブルには妻がおり、またカトリック教徒として育てられたヤングは中絶することを拒んだという。1940年にプロデューサーのトム・リュイスと結婚するが、これもまたのちに離婚。
1947年の『ミネソタの娘』でアカデミー主演女優賞を受賞。それまでは賞とは一切無縁で、この時もロザリンド・ラッセルが本命視されていたが、予想では最下位だったヤングが受賞するという結果となった。受賞スピーチでは感極まって「やっとのことで…」と言ったまましばし絶句した。女優20周年目での出来事だった。
その後テレビにも進出し、1953年から1961年まで自分のテレビ番組『ロレッタ・ヤング・ショー』で活躍した。ちなみにこの番組は日本ではNHK総合テレビジョンで1960年から1962年にかけて放送された。
──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0)
H・ジャクソン・ブラウン・ジュニア H. Jackson Brown, Jr.
H.ジャクソン・ブラウン, Jr.はアメリカの作家で、ひらめきの本『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』でよく知られている。この作品はニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーであった(1991~1994)。続編『人生のちょっとした教え2 Life's Little Instruction Book: Volume 2』も同様、1993年にベストセラーとして名を連ねている。1940年、テネシー州中部に生まれ(今でもそこに住んでいる)。作家になる前は、テネシー州ナッシュビルの広告代理店で制作ディレクターとして働いていた。
『父親の知恵の本 A Father's Book of Wisdom』を出版し、間を空けず『追伸、愛している P.S. I Love You』を発表。父や母から聞かされていた言葉や観察を集めたものであった。後者は旅行に関する有名な名言を含み、マーク・トウェインの発言としてあやまって引用されることがよくある。両者ともとても有名であり、『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』に導くが、この本は本来大学進学を希望する彼の息子アダムへの餞別として書かれたものである。「いかに幸せで実り多い人生を送るか」についての511もの覚書で、世界中でベストセラーになった。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーとして2年以上もランクインし続け、1年以上首位の座を保っていた。『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』はハードカバー、ペイパーバックの形態どちらもで同時に1位を獲得した最初の本である。『生き、学び、前進する Live and Learn and Pass It On』もまたニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーになった。『生き、学び、前進する Live and Learn and Pass It On』は彼の妻、ローズマリー・C・ブラウンとの共著で、彼女もまた『ローズマリー・ブラウンのキッチンでの教え Rosemary Brown's Big Kitchen Instruction Book』を始めとする作家である。
ブラウンの著作は35ヶ国語に翻訳されており、大量のカレンダー、ポスター、服飾小物、日記帳、グリーティングカード、オーディオカセット、スクリーンセーバー、はたまたフォーチュンクッキーなどに用いられている。
──ウィキペディア英語版(https://en.wikipedia.org/wiki/H._Jackson_Brown,_Jr.)
アルバート・アインシュタイン Albert Einstein
1879.03.14生~1955.04.18没理論物理学者。チューリヒのスイス連邦工科大学に学ぶ。ベルンの特許局技師を経て、プラハ大学、スイス連邦工科大学、ベルリン大学各教授を歴任したが、1933年ナチスのドイツを逃れてアメリカに渡り、プリンストン高級研究所で研究生活をおくった。1905年にチューリヒ大学に学位論文を提出する一方、ブラウン運動の理論的解明、光量子仮説、特殊相対性理論、質量とエネルギーの等価性に関する4つの論文を次々と発表。いずれも物理学史上画期的なものであった。16年には一般相対性理論を発表して、太陽のそばを通る光線が屈曲することを予測し、これは19年の皆既日食の際、A.S.エディントン(1882~1944)の観測により確かめられた。さらに万有引力と電磁気力を包合する統一場理論の構築に努めた。量子統計力学にも多くの業績をあげたが、量子力学の発展につれて主流を占めたN.ボーア(1885~1962)らのコペンハーゲン解釈には最後まで反対し続けた。熱烈な平和主義者であり、ユダヤ人の同胞のためにも献身的な努力を惜しまなかった。第2次世界大戦に際しては、ナチスの脅威に対抗するためにルーズベルト大統領に原子爆弾開発を勧告したが、戦後は核戦争の危険性を除去するよう熱心に訴えた。21年ノーベル物理学賞受賞。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
エーリヒ・フロム Erich Fromm
1900.03.23生~1980.3.18没ドイツ生れのアメリカの精神分析学者、社会心理学者。新フロイト派の一人。精神分析の社会学派といわれ、政治的、宗教的、経済的条件で個人の「社会的性格」が形成されると主張し、社会の健全な発展のため、精神分析法を導入することを提唱した。ナチスに追われ、フランスを経て1933年にアメリカに渡り、シカゴ精神分析研究所などの研究員をつとめ、40年アメリカに帰化。49年メキシコに移住し、以降アメリカと両国で活躍していた。51年、メキシコ国立大学教授。主著『自由からの逃走 Escape from Freedom』(1941)。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
マザー・テレサ Mother Teresa
1910.08.27生~1997.09.05没アルバニア系のカトリック修道女。フルネームBlessed Mother Teresa of Calcutta。本名Agnes Gonxha Bojaxhiu。マザーテレサ、カルカッタのテレサ、Blessed Teresa of Calcuttaとも呼ばれる。インドのカルカッタの最貧民や遺棄されて死に瀕した病人、老人、子供のため献身的な活動を行なった。現代における最も徹底した愛の使徒として知られる。1928年インドに渡り、ロレット会の修道女としてカトリック系女子高校で教えたが、1946年修道会を出てスラムで働く。1950年厳しい清貧を守りつつ悲惨な境遇の人々に奉仕する「神の愛の宣教者会 Order of the Missinaries of Charity」を設立、1965年からは活動をインド国外にも広げ、1978年には同系の男子修道会が東京都台東区に支部を置いた。1952年「死を待つ人の家 Place of the Pure of Heart」、ハンセン病患者のための「平和の村 Town of Peace」設立。1971年にヨハネス23世教皇平和賞、1979年にノーベル平和賞受賞。1981、1982、1984年日本訪問。世界の宗教者平和会議WCRPなどで講演し、生命の尊厳とそのための施設づくりを提唱した。2003年、異例の早さで福者となった。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
※2001年から地名の“カルカッタ”は“コルカタ”に改められています。
オードリー・ヘップバーン Audrey Hepburn
1929.05.04生~1993.01.20没アメリカの映画女優。アイルランド系イギリス人貿易商の父とオランダ貴族の母の子として生れる。両親の離婚でオランダに移り、バレエを学びながら、対独レジスタンス運動に参加する。1948年より舞台や映画に出演しはじめ、51年フランスの女流作家コレット(1873~1954)に見出され『ジジ』のブロードウェー公演に主演。これをみた映画監督W.ワイラー(1902~1981)に『ローマの休日』(1953)の主役に抜擢され、映画女優としてデビュー、アカデミー主演女優賞を受賞した。54年に男優のメル・ファーラーと結婚、68年に離婚。翌年、イタリア人医師と再婚したが、80年に再び離婚した。晩年、国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として活躍した。おもな作品に『麗しのサブリナ』(54)、『戦争と平和』(56)、『尼僧物語』(59)、『ティファニーで朝食を』(61)、『シャレード』(63)、『マイ・フェア・レディ』(64)、『おしゃれ泥棒』(66)、『暗くなるまで待って』(67)、『華麗なる相続人』(79)、『オールウェイズ』(89)などがある。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
オスカー・ワイルド Oscar Wilde
1854.10.16生~1900.11.30没イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランド出身。オックスフォード大学に学び、ロンドンの社交界に出て、機知と耽美的生活態度によって注目を浴びた。唯一の小説『ドリアン・グレーの肖像 The Picture of Dorian Gray』(1891)や、『ウィンダミア卿夫人の扇 Lady Windermere's Fan』(92)、『サロメ Salomé』(93刊)、『まじめが肝心 The Importance of Being Earnest』(95)などの戯曲、また、詩や批評など多彩な文筆活動で名声を得たが、1895年男色事件のために入獄し『深淵より De Profundis』(1905、完本62)を執筆。出獄後はフランスへ移り、貧窮のうちに死んだ。いわゆる「世紀末文学」の中心人物。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー Francois de La Rochefoucauld
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(François VI, duc de La Rochefoucauld, 1613年9月15日 - 1680年3月17日)は、フランスの貴族、モラリスト文学者。名門貴族の生まれであり、多くの戦いに参加した後、いわゆる『箴言集(しんげんしゅう)』を執筆した。彼の作品に見られる辛辣な人間観察には、リシュリューと対立して2年間の謹慎処分を受けたことや、フロンドの乱でマザランと対立したことなどで味わった苦難が反映されているとも言われる。
──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%BC)
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール Jean de la Bruyere
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(仏: Jean de La Bruyère, 1645年8月16/17日 - 1696年5月10日/11日)は、フランスのモラリストであり作家である。17世紀のフランスの宮廷人たちを描き、人生を深く洞察した著書『カラクテール』(フランス語: Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle)(和訳: 『人さまざま』)(1688年)によって知られる。
──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB)
アインシュタインなどは、科学一辺倒なのかと思いきや、思いのほか人間的でおもしろいですね。
まさか彼が「愛」にまつわる名言を残しているとは、いやはや意外でした。
余談ですが、さんざん引用させていただいている『ブリタニカ国際百科事典』、送り仮名などの表記が古いようですね。
きっと、記事をお書きになった方はけっこうお年をめされていると推測します。
全面改訂するとなると膨大な時間がかかりますからねぇ。
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