2016年10月7日金曜日

自分自身をいたわるために・12



PHOTO: AC WORKS.CO.,LTD.

竹内まりや Takeuchi Mariya さんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。
この動画でご紹介している名言の発言者は以下のとおりです。

ラルフ・ウォルド(ワルド)・エマーソン Ralph Waldo Emerson

ラルフ・ウォルドー(ワルド)・エマーソン(Ralph Waldo Emerson [rælf ˈwɑːldoʊ ˈemərsən]、1803 年5 ⽉25 ⽇- 1882 年4 ⽉27 ⽇)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩⼈、エッセイスト。無教会主義の先導者。
Waldo はウォルドウ、ウォルド、ワルド、Emersonはエマソン、エマスンなどとも表記される(英語では、Emerson は第1 ⾳節にアクセントがある)。
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに⽣まれる。18 歳でハーバード⼤学を卒業し21 歳までボストンで教鞭をとる。その後ハーバード神学校に⼊学し、伝道資格を取得し、牧師になる。⾃由信仰のため教会を追われ渡欧、ワーズワース、カーライルらと交わる。帰国後は個⼈主義を唱え、アメリカの⽂化の独⾃性を主張した。
エマーソンは次第に当時の宗教的社会的信念から離れ、1836 年の評論'Nature' において、超越主義哲学を世に打ち出した。続いて草分け的な仕事として1837 年に'The American Scholar' と題した演説を⾏い、オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアは、アメリカの「知的独⽴宣⾔」であると評した。
エマーソン主要な評論のほとんどを、まず講演⽤に書いてから出版⽤に改めた。最初の⼆つの評論集'Essays: First Series' と'Essays: Second Series' は、それぞれ1841 年と1844 年に出版された。それらは'Self-Reliance'、'The Over-Soule'、'Circles'、'The Poet'、'Experience' が含み、彼の思想の核⼼である。'Nature' とこれらの評論によって、1830 年代半ばから1840 年代半ばにかけての10 年間は、エマーソンにとって最も実り多い時期となった。
彼の評論は後の思想家、著述家、詩⼈に⼤きな影響を与えた。エマーソンは、⾃⾝の中⼼教義を⼀⾔にすると、「個⼈の無限性」であると語った。エマーソンはまた、共に超越主義者であるヘンリー・デイヴィッド・ソローの師であり友であることが有名である。

マルクス・アウレリウス Marcus Aureliusマルクス・アウレリウス・アントニヌス Marcus Aurelius Antoninus

121.04.26生~180.03.17没
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。
外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女ルキッラを嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが死んだ事で単独の皇帝となった。
ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で没した。
軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これはプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。
また、後漢書に見られる安敦とは、彼のことだとされている。

パスカル Blaise Pascal

1623.06.19生~1662.08.19没
フランスの哲学者、科学者、数学者。23歳頃からヤンセニウス(1585~1638)の教えを奉じるポール=ロワイヤル修道院の厳格なキリスト教に心をひかれ、1654年秋の深い宗教的体験以後は熱烈な信仰生活に入った。56年から1年余の間、ポール=ロワイヤルとイエズス会との論争の渦中に身を投じ、一連の『プロバンシアル(いなかに住む人へ)Les provinciales』を偽名発表。その後はキリスト教弁証論の執筆に励んだが、未完のまま病没した。遺稿『パンセ Pensées』(1670)が主著。科学者、数学者としては「パスカルの原理」や「パスカルの定理」が有名。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

メロディー・ビーティー Melody Beattie

1948年ミネソタ州セント・ポール生まれ。メロディー・ビーティーはアメリカで最も愛されている自己啓発作家で、依存症からの回復の分野では身近な名前である。
世界的ベストセラー『Codependent No More』は1986年「共依存」問題を世界に紹介した。多くの読者が何をなすべきか自身が身を持って体験した知恵の言葉と導きを信頼してきた。
人生において、遺棄、誘拐、性的虐待、薬物およびアルコール依存症、離婚、わが子の死を乗り越えてきた。
24年に渡る作家としてのキャリアは15冊の本を生み出し、それらは20ヶ国語で出版され、新聞・雑誌の記事で何百と紹介された。国内では、オプラの番組をふくむ、数々のテレビにゲスト出演してきた。自身と作品は定期的にタイム、ピープルなど全国誌、世界でも有数の雑誌に取り上げられている。
  ──ホームページ(http://melodybeattie.com/about/)より翻訳・抜粋

ヨーゼフ・キルシュナー Josef Kirschner

1931~
ドイツのコンサルタント、作家。通訳、記者、雑誌編集長、広告業、ハーバード大学客員講師、ウィーン大学非常勤講師などを経て、スポーツ選手や政治家のコンサルタントとして活躍。またドイツで自己啓発本分野のベストセラーを多数執筆し、ヨーロッパ諸国をはじめ、多くの国で翻訳される。主著に『人に振りまわされずに生きる13の法則』などがある。
  ──『世界外国人名録2004』

シルヴィア・タウンゼント・ウォーナー Sylvia Townsend Warner

1893~1978
英国の小説家、詩人。多くの短編小説のほか、Lolly Willowes (1926), Summer Will Show (1936), The Corner That Held Them (1948) などがある。詩集としてしてはCollected Poems (1982)
  ──『リーダーズ英和辞典』
イギリスの小説家。ロンドンのハロー生まれ。音楽の研究家で、15世紀から16世紀にかけての音楽を研究、『チューダー朝教会音楽』(10巻、1923~29)の四人の編集者の一人である。7編の小説、4つの詩集、エッセイを出版、もともと『ニューヨーカー』誌に発表した作品を中心にまとめた短編集も8冊ある。作品の主題や舞台となる地域・時代は多岐にわたるが、重要な作品は『ローリー・ウィローズ』(1926)、『夏が来れば』(1936)、『彼らがいた場所』(1948)などである。
  ──『岩波=ケンブリッジ世界人名辞典』

ルナール Jules Renard

1864.02.22生~1910.05.22没
フランスの小説家、劇作家。1889年『メルキュール・ド・フランス Mercure de France』の創刊に参加、同誌に短編を寄稿、92年最初の長編『寄食者 L'Écornifleur』を発表。やがて貧困生活のなかにあって、あらゆる文学的誇張を拒否した簡明直截な筆致による写実的な小説に向い、名作『にんじん Poil de carotte』(1894)、『ぶどう畑のぶどう作り Le Vigneron dans sa vigne』(94)、ユーモアと詩情にあふれる短文形式の『博物誌 Histoires naturelles』(96)を発表、文名を確立した。その後、戯曲『別れも楽し Le Plasir de rompre』(97)、『日々のパン Le Pain de ménage』(98)などを執筆、『にんじん』の劇化(1900)は大好評を博した。後期の小説には『フィリップ家の人々 Les Philippe』(07)、『ラゴット Ragotte』(08)など。23年間にわたる『日記 Journal』(4巻、25~27刊)を残した。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

デカルト René Descartes

1596.03.31生~1650.02.11没
フランスの哲学者。1612年ラフレーシュのイエズス会系の学院を出、16年までポアティエ大学で法学を修めた。18年オランダに行き志願将校としてオランダ軍に入り、19年冬、幾何学に基づく万学統一の霊感を得た。20年軍籍を離れヨーロッパ各地を転々とし、29年以降オランダに隠棲、哲学研究に没頭。33年『宇宙論 Le Traité du monde』を完成したがガリレオ裁判の報に出版を中止。37年3つの試論とともに『方法序説 Discours de la méthode』を出版。41年形而上学の主著『省察録 Meditationes de prima philosophia』、44年『哲学原理 Principia philosophiae』を出す。晩年は論争に悩まされつつ、49年『情念論 Les passions de l'âme』を出し、女王クルスチアナに請われスウェーデンに行き、そこに没した。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

オクタヴィオ・パス Octavio Paz

1914.03.31生~1998.04.19没
メキシコの詩人、評論家、外交官。少年時代から詩作、1930年代には前衛的な『タリエル』誌に拠る詩人たちの中心的存在となった。アメリカ留学後、外交官として世界各地に勤務、特にパリではブルトン、B.ペレらのシュルレアリストと親交をもった。詩集には『激しい季節 La estación violenta』(1958)、『世界の岸辺で A la orilla del mundo』(42)、『言葉のかげの自由 Libertad bajo palabra』(49)、『火の精 Salamandra』(62)、『東斜面 Ladera este』(69)、『帰還 Vuelta』(76)があり、1963年ベルギーの国際詩大賞、82年セルバンテス賞、90年ノーベル文学賞を受賞。ほかに古典的なメキシコ文化論『孤独の迷路 El laberinto de la soledad』(50)をはじめ、『木に倚(よ)りて魚を求む Las peras del olmo』(57)、『四学 Cuadrivio』(65)、『回転する記号 Los signos en rotación』(65)、『大いなる文法学者の猿 El mono gramático』(74)など、多数の評論がある。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』


いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。

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