2016年7月25日月曜日

絶景なる世界遺産 3

The Great Scenery for the Future [Himalaya Range]
未来へ残す壮大な景観 [ヒマラヤ山脈]


インドやパキスタンなど、6カ国に渡って連なる巨大な山々、ヒマラヤ山脈。
世界最高峰のエベレストを中心に、雄大な山々と、氷河がつくる絶景が広がっています。

エベレストを含むネパール北東部の山岳地帯、サガルマータ国立公園は世界自然遺産に登録されています。
ネパールの言葉で「サガルマータ」とはエベレストのことを指し、「世界の頂上」という意味があります。

エベレスト街道、エベレストの姿を間近に望める場所、カラパタールへと続く道です。
カラパタールまではおよそ60kmの道のり、2週間程かけて歩きます。

ヒマラヤ山脈の山中に生息するのは、カモシカの仲間、ヒマラヤタールや、高山に咲くエーデルワイスの仲間。

プモリと呼ばれる山の麓、標高5600m、カラパタール。
世界最高峰エベレストを目の前にヒマラヤの絶景が広がります。

DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽とともに、世界の屋根の絶景を堪能してください。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



サガルマータ国立公園《ネパール》
Sagarmatha National Park《Nepal》

http://whc.unesco.org/sites/120.htm

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの
登録年:1979

サガルマータ国立公園は、ネパールの東部、首都カトマンズの北東165km、中国と国境を接する総面積1244平方kmの山岳地帯、サガルマータ県ソルクンプ郡にある。世界最高峰のエベレスト(ネパール語ではサガルマータ、シェルパ族の間ではチョモランマ)をはじめローツェ、マカルー、チュオユの4座を中心に7000~8000m級のヒマラヤ山脈の山岳地帯を含む世界の屋根である。サガルマータ国立公園は、1976年に国立公園に指定された。世界遺産の登録面積は114,800haである。公園内には高山植物やヒマラヤ・ジャコウジカ、ヒマラヤグマ、ヒマラヤタール、ユキヒョウ、レッサーパンダなどの大型動物やイワヒバリなどの珍しい鳥やテンジクウスバシロチョウなどの蝶も数多く生息する貴重な動植物の宝庫。観光客が残すゴミなどの環境対策、外来種の侵入、森林の伐採、気候変動による氷河の後退などの脅威や危険に対応した保全管理が課題になっている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月24日日曜日

絶景なる世界遺産 2

The Great Scenery for the Future [Cappadocia]
未来へ残す壮大な景観 [カッパドキア]


標高1000mを超えるアナトリア高原中央部(トルコ)、ここに奇妙な形の岩が広がる不思議な絶景があります。
イスタンブールから東に700km、15の町や村が集まるカッパドキアです。

奇岩は固い溶岩の乗った凝灰岩(ぎょうかいがん)が柱のように侵食されて出来上がったものです。
「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩、鳥の形をしている奇岩、「薔薇の谷」と呼ばれる奇岩地帯、これらの奇岩群の中に無数の穴が開いたものがあります。
人が住んでいた跡です。
紀元前およそ4000年頃から、凝灰岩をくり抜き、住居としていました。
現在でもたくさんの人が住んでいます。
カッパドキアには住居だけでなく、キリスト教の洞窟聖堂や修道院もあります。
その数はおよそ400以上あるといわれています。

自然がつくり出した驚きの絶景が広がるカッパドキア、DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽が旅情をかきたてるくれることでしょう。


この世界遺産の詳細を見てみましょう。



ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群《トルコ》
Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia《Turkey》

http://whc.unesco.org/sites/357.htm

登録種別:複合遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの
登録年:1985

ギョレメ国立公園は、トルコの中部、ネヴシェヒール地方にあるアナトリア高原にある。カッパドキアの岩窟群は、エルジェス山やハサン・ダウ山の噴火によって、業界席が風化と侵食を繰り返して出来上がったもので、キノコ状、或は、タケノコ状の奇岩怪石が林立する。この他に、4世紀前後にローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が、横穴式に掘り抜いて約360の岩窟修道院や教会などをつくった。なかでも、ギョレメ峡谷一帯のギョレメ国立公園は、周辺の自然を損なうことなく人間の手の入った世界でも珍しい地域で、どの岩窟教会、トカル・キリッセ、エルマル・キリッセ、バルバラ・キリッセなどの聖堂が集まっており、内部には彩色鮮やかなビザンチン様式のフレスコ画が残っている。また、カッパドキアには、オオカミ、アカギツネなどの動物、100種を超える植物など、貴重な動植物が生息している。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月22日金曜日

絶景なる世界遺産 1

The Great Scenery for the Future [Cape of Good Hope]
未来へ残す壮大な景観 [喜望峰]

南アフリカ西ケープ州、ケープ半島の突端に喜望峰があります。
荒々しい海がつくり出すロマンあふれる雄大な絶景です。

喜望峰のあるケープタウン、アフリカ大陸南西端喜望峰は大航海時代の幕開けを告げた場所の一つです。
1488年、ポルトガルの航海家バルトロメウ・ディアスが「嵐の岬」と命名しました。
ポルトガルの王ジョアン2世(完全王)は彼の偉業をたたえ、「喜望峰 Cape of Good Hope (Cabo da Boa Esperança)」と名前を改めました。
(アフリカーンス語ではKaap de Goede Hoop。)
その後ヴァスコ・ダ・ガマがこの岬を経由してインドへとぬける航路を発見しました。
かつて船乗りたちに恐れられていたインド洋と大西洋がぶつかる流れの激しい海です。
世界一周をしたフランシス・ドレークが「もっとも美しい岬」と讃えたといわれる喜望峰。

しかし海に生きる動物たちにとっては海流が豊富なえさを運ぶ楽園となっています。
カツオドリは夏になると集団をつくり、繁殖と子育てをここの海岸で行います。

美しい景観に恵まれているばかりか、多数の貴重な生態系をもち、それらの動植物を保護する保護区も含め、多くの観光客が訪れる地として知られています。

音楽はDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)。
もうかなりの数の動画で使わせていただいてますね。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。
喜望峰だけではなく、周辺一帯の登録となっています。



ケープ・フローラル地方の保護地域《南アフリカ》
Cape Floral Region Protected Areas《South Africa》

http://whc.unesco.org/en/list/1007

登録種別:自然遺産
登録基準:(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:2004

ケープ・フローラル地方の保護地域は、南アフリカの南西、ケープ州のケープ半島国立公園、シーダーバーグ原生地域など8か所の保護地区からなり、総面積は5530平方kmにも及ぶ。ケープ・フローラル地方の保護地域には、アフリカの植物相の20%が見られ、世界で最も植物が豊富な地域にも数えられ、フィンボスと言われる特有のブッシュ植生が発達している。ケープにおける植物の数や多様さ、更に、固有種は、世界でも有数で、地球上に18か所ある生物多様性のホットスポットの一つに数えられている。ケープ植物区系とは、植物地理学的に地球をヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ合衆国、カリフォルニア、ケープ地域、南西オーストラリアの6つに区切った植物区系の一つで、ケープ地域のみで単独の植物区系と見なされるほど植生は際立っている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月21日木曜日

黄昏の世界遺産 12

ヴェネツィアの夕陽 Sunset on Venice


1000年に渡る輝かしい繁栄を遂げた「地中海の女王」とたたえられる街、ヴェネツィア。
15世紀に貿易の中継地として繁栄の絶頂期を迎えました。
その頃、多くの芸術家が集まり、絵画の分野ではヴェネツィア派が興り、17世紀にはオペラなどバロック音楽の中心地となりました。
現在では、宝石、工芸品の製造、繊維工業が盛んで、ヴェネツィア・ガラスと呼ばれるガラス工芸も有名ですね。

街を貫く大運河「カナル・グランデ」の両側には繁栄を支えた「ベニスの商人」たちの館が並んでいます。
ヴェネツィアで最も有名な場所、サン・マルコ広場は、かのナポレオンが「世界一美しい広場」とたたえたといわれています。

水上に浮かぶ美しい街の夕景をDOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)の音楽に乗せてお送りします。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



ヴェネツィアとその潟《イタリア》
Venice and its Lagoon《Italy》

http://whc.unesco.org/en/list/394

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1987

ヴェネツィアは、イタリア北東部のヴェネト州にある。ヴェネツィアは、アドリア海の118の州の上に造られた水の都で、176の運河と400余の橋で島を結んでいる。9世紀には聖マルコの遺体がエジプトから移されると発展しはじめ、15~16世紀には、胡椒などの香辛料、絹、銀などの貿易で強国を築き、東西文明の結接点となった。大運河(カナレ・グランデ)の入口にあるサン・マルコ広場には、高さが100m近い鐘楼、ビザンチン、ゴシック、ルネッサンスなどの様式が混在した大理石のサン・マルコ大聖堂、それに、ドゥカーレ宮殿が、また、潟の岬の部分には、バロック様式の傑作といわれるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会がある。ヴェネツィアでは、海面上昇や地盤沈下等が原因で、満潮時に冠水することが多くなっており、問題が深刻化しつつある。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月20日水曜日

黄昏の世界遺産 11

スコータイの夕陽 Sunset on Sukhothai


タイ族による最初の王朝、「幸せの夜明け」という意味を持つ仏教王国、スコータイ。
王国の誕生は13世紀初頭、仏教を取り入れ、独自の文化を築きました。

スコータイ最大の遺跡、王宮寺院ワット・マハタート。
遺跡の残る森の中には、およそ100体にのぼる仏像が、整然と並んでいます。
その中でも最も大きな仏像がアチャナ仏で、高さは14.7m。
アチャナとは、タイ語で「恐れない者」という意味です。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。



古都スコータイと周辺の歴史地区《タイ》
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns《Thailand》

http://whc.unesco.org/sites/574.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの
登録年:1991

古都スコータイは、首都バンコクの北部約447km、ビッサヌロークの西約60kmにある。古都スコータイは、タイ族最古のスコータイ王朝(1238~1438年)の都跡。スコータイという言葉は、「幸せの夜明け」を意味する。東西1.8km、南北1.6kmの城壁と三重の塀に囲まれた都城には、見る場所、角度によって、実に様々な表情を見せる古都スコータイの中心を占めるワット・マハタートをはじめ、静寂の中に大きな仏像が鎮座するワット・スィー・チュム、トウモロコシを直立させた様な塔堂が並ぶワット・スィー・サワイ、その優雅さはスコータイ随一といわれるワット・サー・スィーなどの多くの寺院、クメール文字を改良しタイ文字を創出した第3代ラムカムヘーン王の王宮遺跡が残る。スコータイ美術は、小乗仏教を移入したスリランカの影響が色濃い。ラムカムヘーン国立博物館では、発掘された仏像など数々の遺物をじっくり鑑賞することができる。尚、ラムカムヘーン王の碑文は、世界記憶遺産に登録されており、タイ国立博物館(バンコク)に収蔵されている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月19日火曜日

黄昏の世界遺産 10

ギザのピラミッドの夕陽 Sunset on Pyramids in Giza



ナイル川下流域に広がる肥沃な大地に花開いた古代エジプト文明、その象徴、ギザのピラミッド。

ナイル川の河口から200kmに位置するエジプトの首都、カイロ。
西側の対岸にはギザの街があり、世界遺産の中でも最も深い謎に包まれた遺跡、ギザの三大ピラミッドがそびえています。

ナイル川流域には、他にもおよそ100以上のピラミッドがあります。

音楽は DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯《エジプト》
Memphis and its Necropolis --- the Pyramid Fields from Giza to Dahshur《Egypt》

http://whc.unesco.org/sites/86.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979

メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯は、古代文明発祥の地であるエジプトの首都カイロ近郊のナイル川西岸に展開する。その構成資産は、メンフィスとそのネクロポリス(ミートラヒーナ、サッカラ、アブシール、ダハシュール)とギザのピラミッド群からなる。カイロの南25kmにある古王国時代(紀元前2700~2200年)のメンフィスを中心に、約80のピラミッド群がギザからダハシュール~メイドゥームに集中している。ギザのクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドは、オリオン座の3つの星に対応した位置関係にあるとされ、最大のクフ王のピラミッドは、高さが137m(創建時の高さは146m)、底辺が230mの正四角錘形で、平均2.5トン、約230万個の石が使用されている。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月18日月曜日

黄昏の世界遺産 9

パルミュラの夕陽 Sunset on Palmyra


ユーラシア大陸を東西に貫くシルクロード、かつては貿易の拠点として栄華を極めたのがパルミュラ。
街の別名はタドモル Tadmor、聖書に記載があるのはこちらです。
歴史と共に砂漠に埋もれた古代都市。

街並みはギリシャやローマの文化を取り入れた石造りの建築と、ペルシャなど東洋の文化を取り入れた様式で築かれました。
東西両文明の影響を物語るつくりになっています。

現存する遺跡のひとつ、パルミュラの神々が奉られていたベル神殿は、かつて金箔やレリーフなどで綺麗に飾られていたそうです。
ローマ皇帝ハドリアヌスをたたえた記念門から街の中心部を1200mに渡って真っ直ぐに伸びる道もあり、両側に建ち並んでいた列柱はおよそ750本にものぼりました。
ローマ様式の大劇場は、2000人以上の客席が設けられています。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



パルミラの遺跡《シリア》
Site of Palmyra《Syria》

http://whc.unesco.org/sites/23.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例
登録年:1980・2013【危険遺産】

パルミラの遺跡は、ダマスカスの北東200km、シリア砂漠の中央にある。パルミラは、西方と東方の結節点として、そして、シルクロードの中継地としての隊商都市としても、なかでも、ローマ時代の1~3世紀には、交易路の要所として栄えた。パルミラという名前は、ナツメ椰子を意味するパルマに由来する。起源は聖書にもある程古いが、パルミラのゼノビア女王がローマ帝国から独立を謀ったことによりローマ軍に破壊され廃墟となった。アラブの城塞、凱旋門、広場、列柱道路、コリント様式の列柱廊があるベール神殿、葬祭殿、元老院、墓地などが往時の繁栄を偲ばせる。2013年の第37回世界遺産委員会プノンペン会議で、国家の内戦状況が直面する危険への注意を喚起するために、「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)


「パルミラ」「パルミュラ」どちらの表記も見られ、音の響きが好みなので「パルミュラ」を選びました。

2016年7月17日日曜日

黄昏の世界遺産 8

モン・サン・ミシェルの夕陽 Sunset on Mont-Saint-Michel


広大な干潟の海に浮かぶカトリックの修道院、モン・サン・ミシェル。
その神秘的な景観から「海上のピラミッド」とうたわれます。
付近の海域は潮位の差が大きく、かつては満潮時には陸の孤島と化したようです。

夢に現われた天使のお告げできたといわれる、美しく祈りに満ちた「奇蹟の島」。
8世紀の着工からおよそ800年の歳月をかけて現在の姿になりました。
混在する建築様式の中でも、ゴシック様式の回廊は特に有名です。

巡礼者や観光客なども多く、名物のオムレツと羊のステーキを出す店もたくさんあります。

この神に捧げられた祈りの館のバックに流れるのはDOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/) のメロディーです。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。


モン・サン・ミッシェルとその湾《フランス》
Mont-Saint-Michel and its Bay《France》

http://whc.unesco.org/sites/80.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979・2007

モン・サン・ミッシェルは、フランス北西部、ノルマンディー半島のつけ根、モン・サン・ミッシェル湾にある全周約900mの小島にある修道院。709年司教オヴェールの夢に聖ミカエルが現われ、大天使を奉る聖堂建築を命じた。その命に従い、建築が開始され、難工事の末、16世紀に完成した。14世紀には、英仏百年戦争の戦火の渦に巻き込まれ、修道院の周囲に城壁や塔を築いて要塞化されていった。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス様式が併存。干潟に築かれた堤防で、陸と繋がる奇岩城。19世紀になって防波堤が築かれ、安全に島に渡れるようになった。現在は、ベネディクト派の修道院として使われており、今でも祈りをささげる修道士の姿が見られる。年間250万人もの人が訪れる観光地でもある。急激な陸地化により、かつての景観が失われたとして、2009年から岸との間の道路を取り壊し、新たな橋を架ける工事を行い、2014年7月に完成した。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月16日土曜日

黄昏の世界遺産 7

カトマンズ盆地の夕陽 Sunset on Katmandu Valley


8000m級の山々が連なり、世界最高峰のエベレストがあるヒマラヤ山脈。
その麓にあるのが、カトマンズ盆地。
カトマンズ、パタン、バクタプルという3つの古都があります。
「人より多くの神が住む」といわれており、街にはおよそ500もの寺院があり、日々人々が祈りを捧げています。
ヒンドゥー教と仏教が共存してともに信仰を集める、世界でも珍しいところです。

ネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナートはカトマンズにあります。。
この寺院はシヴァ神を奉るヒンドゥー教の聖地となっています。

カトマンズの中心部から3kmほど離れた丘の上に建つチベット仏教寺院、スワヤンブナートは、およそ2000年前に建てられたといわれています。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。



カトマンズ渓谷《ネパール》
Kathmandu Valley《Nepal》

http://whc.unesco.org/sites/121.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの
登録年:1979・2006

カトマンズ渓谷は、ヒマラヤ山脈の南、標高1300mの盆地にあるカトマンズ市、バクタブル(バドガオン)市、ラリトプル(パタン)市にまたがる。先住民のネワール人による13~18世紀のマッラ王朝の時代に、パタンとバドガオンの2王朝とも共存し、仏教とヒンドゥー教が融合したネワール文化を開花させた。カトマンズ旧市街のダルハール広場にあるマッラ、パタン、バドガオンの3王朝の王宮をはじめ、銀の扉の優美な建築で有名なシヴァ神の寺院であるパシュパティナート寺院、323年にハリ・ドゥッダ王によって建てられたチャング・ナラヤン寺院、世界で最も壮麗な仏塔の一つであるスワヤンブーナートなどの遺跡が数多く残っている。人口増加が、世界遺産の保護や周囲の景観に重要な影響を及ぼしている。日本政府もカトマンズ渓谷の文化遺産の保存修復には、官民をあげて、資金面、技術面等で長年協力している。2003年には危機遺産リストに登録されたが、保護管理状況が改善されたため、2007年に危機リストから解除された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)


Katmanduと綴るのが一般的ですが、KathmanduやKhatmanduと綴られる場合もあるようですね。

個人的に、渓谷という言葉は「山にはさまれた川のある所」とのイメージが強いのですが、「谷間」という意味もあり、盆地を指すものと解釈しました。
なので、原文に手を加えずそのまま記載させていただきました。
たしかに英語のvalleyを訳すと渓谷になってしまうのも肯けます。
盆地もvalleyですが。

2016年7月15日金曜日

黄昏の世界遺産 6

イグアスの滝の夕陽 Sunset on Iguassu Falls


アルゼンチンとブラジルの国境にあるイグアス国立公園。
ここに大小およそ270の滝が集まるイグアスの滝があります。
最も落差のあるこの滝は、およそ80mにも及び、「悪魔ののど笛」と呼ばれています。
イグアスとは先住民の言葉で「壮大な水」という意味。
流れ落ちる水量は平均で毎秒およそ1750立方mと世界最大級の規模です。

巨大な滝の巻き上げる水しぶきに虹のカーテンがかかり、幻想的な風景が現われました。
壮大な滝は見る人を圧倒します。

大地を切り裂くような大量の水にかかる夕陽のBGMは、DOVA-SYNDROME さん(http://dova-s.jp/)です。

この世界遺産の詳細を記しておきますね。



イグアス国立公園《アルゼンチン/ブラジル》
Iguazu National Park《Argentina》/Iguacu National Park《Brazil》

http://whc.unesco.org/sites/303.htm(アルゼンチン)
http://whc.unesco.org/sites/355.htm(ブラジル)

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1984(アルゼンチン)・1986(ブラジル)

イグアス国立公園は、南米のアルゼンチンとブラジル二国にまたがる総面積4,920,000平方kmの広大な森林保護区で、金色の魚ドラド、豹、鹿、小鳥、昆虫や蘭、草花など多様な動植物が生息している。なかでも、国立公園内にある総滝幅4km、最大落差約85mの世界最大級のスケールと美しさを誇るイグアスの滝は世界的にも有名。イグアスとは、「偉大な水」の意味で、滝の数は大小合わせて300以上、大瀑布が大音響と共に繰り広げる豪壮な水煙のパノラマは圧巻で、しばしば、空には美しい虹がかかる。川の中央でアルゼンチン側ミシオネス州ととブラジル側パラナ州にわかれ、それぞれが登録時期も異なる為に、二つの物件として世界遺産に登録されている。ブラジル側の登録遺産(登録面積170,086ha)は、無計画な公園を分断する道路建設による遺産への脅威から1999年に危機遺産に登録されたが、2001年に解除された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

シェア share