2016年9月21日水曜日

自分自身をいたわるために・2



竹内まりや Takeuchi Mariya さんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。
この動画でご紹介している名言の発言者は以下のとおりです。


エピクトス Epikouros

エピクロス(Epikouros紀元前341 年–紀元前270 年)は、快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。エピクロス派の始祖である。
現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、⼈⽣をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン= 快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス⾃⾝は⾁体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、⾁体的快楽をむしろ「苦」と考えた。
  ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9

プブリリウス・シルス Publilius Syrus

プブリリウス・シルス Publilius Syrus は、古代ローマ人の作家で、格言でよく知られている。彼はシリア人であったが、イタリアへ奴隷として連れてこられ、機知と才能で主人の寵愛を勝ち得、その主人は彼を解放し、教育を施した。プブリリウスという名は、2つの「i」に挟まれた「l」が早期中世に口蓋音化したもので、しばしば手書き(印刷物でも数例)「プブリウス」の誤植として表される。
現存する資料は格言集で、短長格と強弱格の詩による一連の道徳的な処世訓である。この全集はかなり早い時期に作られたに違いなく、紀元後2世紀のアウルス・ゲリウスにも知られている。各格言は単一の詩で構成されており、冒頭の文字により、アルファベット順に配列されている。時代の推移により、全集は他の作家の手による文を加えてあり、小セネカ(Lusius Annaeus Seneca) の作とされる出典の怪しいものも多い。オリジナル詩の数はおよそ700。多くは簡潔な言い伝えで、『エディンバラ・レビュー』誌のモットーとして用いられている「iudex damnatur ubi nocens absolvitur(罪人が無罪になれば裁判官が糾弾される)」など有名なものもある。
  ──ウィキペディア英語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Publilius_Syrus)より翻訳・抜粋

マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius
マルクス・アウレリウス・アントニヌス Marcus Aurelius Antoninus

121.04.26生~180.03.17没
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。
外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女ルキッラを嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが死んだ事で単独の皇帝となった。
ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で没した。
軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これはプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。
また、後漢書に見られる安敦とは、彼のことだとされている。
  ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB

フランシス・ベーコン Francis Bacon

1561.01.22生~1626.04.09没
イギリスの哲学者。近代イギリス経験論の創始者。ケンブリッジ大学に学んだのち、パリに渡ったが、父の死後帰国し、国会議員などの政治活動に入った。1621年汚職のため公職を退き、以降著述に専念した。彼はアリストテレスの『オルガノン』に代る新しいオルガノン『ノブム・オルガヌム(新機関)Novum Organum』(1620)を著わし、経験的方法を重視し、演繹法に対し帰納法を提唱した。すなわちアリストテレス的スコラ哲学の三段論法による4つのイドラ、すなわし(1)種族のイドラ、(2)洞窟のイドラ、(3)市場のイドラ、(4)劇場のイドラを排除し、客観的観察、実験的方法による学問を主張した。ユートピア物語として『新アトランティス Nova Atlantis』(27)がある。ほかに『学問の進歩 The Advancement of Learning』(05)。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

カール・A・メニンガー Karl Augustus Menninger

1893~1990
アメリカの代表的な精神分析医。1925年カンザス州トピカで、父や弟とともにメニンガー・クリニックを創設、さらに45年メニンガー精神医学校を設立した。これらは精神分析的治療と教育の中心として、世界の力動精神医学の発展に大きな影響を与えている。著作は多数に及ぶが、治療契約論と治療的退行を中心として精神分析技法を解明した『精神分析技法論』(1958)、フロイトの「死の本能」論に注目した『己に背くもの』(1938)、そのほか『人間の心』(1930)、『愛憎』(1942)などが広く知られている。
  ──『世界大百科事典』(執筆:馬場謙一氏)

ベートーベン Ludwig van Beethoven

1770.12.17生~1827.03.26没
ドイツの作曲家。ウィーン古典派様式の完成者で、西洋音楽の代表的巨匠の一人。幼少時から父親にきびしいピアノの訓練を受け、1782年にボンの宮廷礼拝堂のオルガン奏者になったが、92年ウィーンに出、ハイドン、J.シェンク、A.サリエリ、J.アルブレヒツベルガーらに師事、またワルトシュタイン伯、リヒノフスキー公、ルドルフ大公ら貴族の後援を得て活躍。聴覚を失うなど、大きな不幸に遭遇しながら、それらを克服して多くの傑作を残した。代表作品は交響曲9、ピアノ協奏曲5、オペラ『フィデリオ』、ミサ曲2、弦楽四重奏曲16、ピアノ用ソナタ32。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

カーリル(ハリール)・ジブラーン
ジブラーン・ハリール・ジブラーン Jibrān(Gibrān) Khalīl Jibrān(Gibrān)

1883.01.06生~1931.04.10没
アラブの文学者、画家。幼時に母とアメリカに移り、ボストンに住んだ。1908~10年パリに留学して絵を学んだのちニューヨークに居住。アラビア語、フランス語、英語を通じての教育を兼ねそなえ、英語での著述も少なくない。もともとロマン派のクリスチャンだったが、臨終にあたりカトリックを捨てた。短編集に『反逆する魂ども al-Arwāh al-mutamassidah』(1910)と『草原の花嫁たち 'Arā' is al-murūj』(20)があり、どちらもアラビア語版と英語版とがある。作風は哲学的で詩情に富み、アラブ近代文学への貢献が大きい。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

スーザン(スザンヌ)・サマーズ Suzanne Somers

スザンヌ・ソマーズ(本名:スザンヌ・マリー・マホニー、1946年10月16日生まれ)はアメリカの女優、作家、歌手、企業家、健康演説家。テレビドラマ『Three's Company』のクリシー・スノウ役、『Step by Step』のキャロル・ランバート役で知られる。
ソマーズはその後著者となり、『Ageless: The Naked Truth About Bioidentical Hormones』(2006)など一連の自己啓発ベストセラー本を発表。自伝2冊、ダイエット本4冊、詩集1冊を出版した。
医学的問題に対する見解とワイリー・プロトコル(「科学的に証明されておらず危険」とされている)の主張において非難され続けてきた。現在のがん治療に代わる手段の煽動が自然療法関係者からは支持され、アメリカがん協会からは批判されている。
  ──ウィキペディア英語版(https://en.wikipedia.org/wiki/Suzanne_Somers)より翻訳・抜粋

エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln

1809.02.12生~1865.04.15没
アメリカの政治家。第16代大統領(在任1861~65)。ケンタッキー州の農民の子として生れ、インディアナ州、次いでイリノイ州に移り、ニューセーレムで商店の経営、測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を勉強、1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。34~40年ホイッグ党イリノイ州議会議員となり、46年連邦下院議員に当選、一期(47~49)をつとめて引退。54年カンザス=ネブラスカ法の成立に憤激して政界復帰を決意し、共和党の結成に参加。58年S.ダグラスを敵として連邦上院議員候補となり、敗北はしたが7回にわたって行われた「リンカーン=ダグラス論争」によって全国的に有名となった。60年共和党の大統領候補に指名され、当選。南北対立の激化を前にリンカーンは連邦の維持を政策目的として努力したが、61年4月には南北戦争が開始された。戦況は初め北軍に不利であったが、62年9月戦況が好転しはじめた。同月22日奴隷解放予備宣言を公布、63年1月1日に奴隷解放宣言を発布し、反乱状態にある南部諸州の奴隷解放を宣言。軍事的に後方攪乱をはかるとともに北部、あるいは海外の世論を味方につけ、南部連合側とイギリスの同盟をはばんだ。戦争中の64年大統領選挙で再選。戦争が終りに近づくにつれ、寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画したが、南軍R.リー(1807~1870)将軍降伏(1865.04.09)後、65年4月14日フォード劇場で観劇中、南部人俳優J.ブース(1838~1865)によって撃たれ、翌朝死亡した。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』


いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。


余談ですが、今回、精神分析学博士のカール・A・メニンガー Karl Augustus Menningerさんを調べるのに苦労しました。
ネットで検索してもヒットせず、図書館の人名事典、百科事典を数冊あたって、ようやく見つけました。
外国人の名前はスペルがわからないと、調べようがありませんね。
ネットで検索する際、見当をつけて「Carl Meninger」としていましたが、まさか「Karl」だとは思いもよりませんでした。(ドイツ系の家系なんでしょうか?)
以前『クレオパトラ Kleopatra』という本を見かけたとき、どうして“Cleopatra”じゃないのか不思議に思ったことがありました。
(ちなみに“Kleopatra”はギリシャ語的表記、“Cleopatra”はラテン語的表記だそうです。ラテン語表記のほうが圧倒的多数ですが。)
このメニンガー氏も見つからないのも道理。
逆に、アルファベット表記の日本人名や地名(他の漢字文化圏の人・土地も同様)では見つけにくい、見つかったとしても目当ての人かどうかわからない、ということですね。
(例えば、TAJIMAが「田島」「田嶋」「但馬」「多嶋」「多島」と、同じ音でも漢字は様々、さらには「嶌」の字を使う場合もありますから。)
今回の経験から、今後は極力、日本語表記とアルファベット表記を併せて使おうと思います。

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