2016年9月27日火曜日

自分自身をいたわるために・8


PHOTO: AC WORKS.CO.,LTD.

竹内まりや Takeuchi Mariya さんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。
この動画でご紹介している名言の発言者は以下のとおりです。

フリーチェ Vladimir Maksimovich Friche

1870.10.27生~1929.09.04没
ロシアの評論家。芸術を社会機構の法則から解明しようとする芸術社会学を主張。主著『ヨーロッパの文学発達史 Ocherk razvitiya zapadnykh literatur』(1906)、『芸術社会学 Sotsiologiya iskusstva』(26)。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ジェームズ・アレン James Lane Allen

1849.12.21生~1925.02.18没
アメリカの作家。故郷ケンタッキー州を夢の世界としてロマン的な筆致で描いた。代表作『目に見えぬ聖歌隊 The Choir Invisible』(1897)。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ショーペンハウエル Arthur Schopenhauer

1788.02.22生~1860.09.21没
ドイツの哲学者。厭世思想の代表者。父は銀行家、母は小説家で、幼時より父に伴われてイギリス、フランス、スイス、オーストリアを旅行した。父の死後、1809年ゲッティンゲン大学に入学、11~13年ベルリン大学でフィヒテの講義を聞いた。14年母とけんか別れをし、以後、終生、お互いに会おうとしなかった。20年ベルリン大学講師となったが、ベルリンの哲学界はヘーゲルの支配下にあり、まもなく辞任、以後、在野の学者として、22~31年イタリア、ミュンヘン、ベルリンに住んだのち、31年以降フランクフルトアムマインに定住、また生涯、独身を通した。彼はカントの思想から多くをくみ、みずからカントの後継者をもって任じたが、生前は不遇で、51年『付録と補遺 Parerga und Paralipomena』でようやく世間の注目を集めた。しかし19世紀末のヨーロッパにおいて、彼の主意説と、東洋ことにインドの仏教思想と相通じる独特の厭世観とは広く顧みられるにいたり、ニーチェ、ワーグナーらに大きな影響を与えた。1911年ショーペンハウアー協会が設立され、翌年から年報が刊行されている。主著『意志と表象としての世界 Die Welt als Wille und Vorstellung』(1819)、『自然における意志について Über den Willen in der Natur』(36)など。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

モーリス・センダック Maurice Bernard Sendak

モーリス・センダック(Maurice Sendak, 1928年6月10日- 2012年5月8日)は、アメリカ合衆国の絵本作家。世界中で約2000 万部売れた『かいじゅうたちのいるところ』をはじめ、80 冊を超える作品を発表し、現代絵本界を代表する存在である。このほか、アニメーション映画や舞台美術にもとりくんでいる。
アメリカの絵本作家、イラストレーター。ポーランドからの移民ユダヤ人の子として生まれる。アート・スチューデンツ・リーグの夜間部でグラフィックアートを学んだ後、絵本作家ウィリアム・ワイスガードとの出会いがきっかけとなり、独学で1950年頃から絵本を描き始める。52年『あなはほるもの おっこちるとこ』のイラストレーションを手がけて成功をおさめ、63年自作絵本『かいじゅうたちのいるところ』で絵本作家として不動の地位を築く。作品はほかに『まよなかのだいどころ』(70)、『まどのそとのまたむこう』(81)など。
  ──『現代外国人名録2004』

ロマン・ロラン Romain Rolland

1866.01.29生~1944.12.30没
フランスの小説家、劇作家。エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)に学ぶ。民衆劇の理想を掲げて『7月14日 Le Quatorze-Juillet』(1902)などの歴史劇を書いたのち、『ベートーベンの生涯 Vie de Beethoven』(03)などの理想を追求してやまぬ天才たちの伝記を発表、ある音楽化の生涯を描く大河小説『ジャン=クリストフ Jean-Christophe』(04~12)によって世界的な名声を得た。ドイツ文化に深い理解を示し、第1次世界大戦に際しては、国際主義の立場からフランス、ドイツ両国の偏狭な愛国主義を批判する『戦いを超えて Au-dessus de la mêlée』(15)を発表、波紋を投げた。ほかに、ラブレー的な闊達さを示す小説『コラ・ブルニョン Colas Breugnon』(19)、大作『魅せられたる魂 L'Ȃme enchantée』(7巻、22~23)などがある。1915年ノーベル文学賞受賞。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ダライ・ラマ Dalai Lama

※ おそらく13世か14世のどちらかだと思うんですが、特定はできませんでした。
両方の概略を記しておきます。
ダライ・ラマ13 世(1876 年2 ⽉12 ⽇- 1933 年12⽉17 ⽇)は、第13 代のダライ・ラマ。法名をトゥプテン・ギャツォと⾔う。
ダライ・ラマ14 世(1935 年7 ⽉6 ⽇(チベット暦5 ⽉6 ⽇)- 、在位1940 年- )は、第14 代のダライ・ラマ である。法名はテンジン・ギャツォ(ワイリー⽅式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。
1935 年、アムド地⽅(現在の⻘海省)の農家に⽣まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4 歳の時にダライ・ラマ14 世として認定され、1940 年に即位、1951 年までチベットの君主の座に就いていたが、1959 年に中華⼈⺠共和国からの侵略と⼈権侵害⾏為に反発してインドへ亡命して政治難⺠となり、インドのダラムサラに樹⽴された中央チベット⾏政府(現「チベット⼈⺠機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元⾸を務めている。亡命後は、法的には領する国⼟をもたない亡命政権の⻑という地位にありながら、世界中にちらばるチベット⺠族に対して政教両⾯において指導的⽴場にある⼈物と⽬されている。また、欧⽶でもチベット仏教に関⼼のある⼈や複数の著名⼈の⽀持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響⼒はさらなる広がりを⾒せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する⼈物とみなされるようになった。2011 年には、⾃⾝の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の⻑から引退することになった。これを承けた亡命チベット⼈憲章改定案では「チベット国⺠の守護者にして保護者であり、チベット⼈のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され、ダライ・ラマがチベットの政教両⾯の権威者の座に即くというダライ・ラマ5 世以来の伝統を終わらせることになった。
世界的に著名な仏教指導者の⼀⼈であり、チベット仏教のゲルク派において最⾼位の仏教博⼠号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な⻑ではなく、ゲルク派の教勢が伸⻑して他派との摩擦が⽣じた時代に事実上の最⾼指導者となった学僧ゲンドゥンギャムツォ、そしてその転⽣者に認定されたスーナムギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転⽣系譜であったが、1642 年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響⼒をもつ宗教的権威とチベットを統べる政治的権威とを兼ね備えた地位となった。⼀⽅、現在のダライ・ラマである14 世は亡命後にチベット⼈全体の政教両⾯の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれまでのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意⾒もある。また、本⼈は「⾃分は⼀介の⽐丘にすぎない」と語ることが多い。世俗的な称号としては、パリ名誉市⺠、名誉博⼠(ニューヨーク州⽴⼤学バッファロー校)などがある。

スタンダール Stendhal

1783.01.23生~1842.03.23没
フランスの小説家。本名Marie-Henri Beyle。ナポレオンの第2回イタリア遠征に参加してイタリアの魅力を知る。1802年いったん除隊、1812年再びロシア遠征に加わる。ナポレオンの没落後イタリアに住み、芸術論や『恋愛論 De l'amour』(1822)を書く。1821年パリに戻り、小説『赤と黒 Le Rouge et le Noir』(1830)などを発表。七月革命後の1831年にイタリアのチビタベッキアの領事に任命され、自伝『エゴチスムの回想 Souvenirs d'égotisme』(1892刊)および『アンリ・ブリュラールの生涯 Vie de Henri Brulard』(1890刊)を書き、休暇中に7週間で傑作『パルムの僧院 La Chartreuse de Parme』(1839)を書き上げた。意志と情熱に満ちた人物たちの若々しい行動をむだのない文体で綴った彼の作品は、近代小説の傑作とされるが、生前には理解されなかった。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ヘレン・ガーリー・ブラウン Helen Gurley Brown

1922.02.18~2012.08.13
アメリカ・アーカンソー州出身の作家、編集者。約32年間にわたり雑誌「COSMOPOLITAN(コスモポリタン)」の編集長を務めた人物であり、文芸中心の家庭向け総合雑誌だった同誌をファッション雑誌に方向転換し、世界100カ国以上の国・地域に流通する人気雑誌にまで育て上げた。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
  ──地球の名言(http://earth-words.org/archives/4925)


いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。



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