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竹内まりや Takeuchi Mariya さんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。
この動画でご紹介している名言の発言者は以下のとおりです。
マルセル・プルースト Marcel Proust(作家)
1871.07.10生~1922.11.18没
フランスの小説家。父は医学博士、母はユダヤ系。幼年時代母と祖母に溺愛され、病的ともいえる鋭敏な感受性を示した。早くから上流社交界に出入りする一方、文学に熱中し、優雅な小品を雑誌に発表、ラスキンの芸術哲学に傾倒した。1903、05年に相次いで両親を失い、持病の喘息が悪化したことを契機に、コルク張りの部屋にほとんどこもりきりになって、7巻15冊から成る大河小説『失われた時を求めて À la Recherche du Temps Perdu』(1913~27)を著わした。この作品は、人間の内面の「意識の流れ」を綿密に追うことにより従来の小説概念を大きく変革し、20世紀フランス文学最高の傑作といわれている。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
アラン Alain
1868.03.03生~1951.06.02没
フランスの哲学者。本名Émile Auguste Chartier。各地の高校教授を歴任し、ルーアンでプロポproposと題する短文を新聞に毎日寄稿し、これがやがて彼の著作の様式の柱となった。やがてパリのアンリ4世高校教授となり、第1次世界大戦を予告し、開戦とともに一兵卒として従軍、戦場で『精神と情念に関する81章 Quatre-vingt-un chapitres sur l'esprit et les passions』(1917)、『芸術論 Système des beaux-arts』(20)を書いた。J.ラニョーの影響を受け、デカルトやスピノザに傾倒する合理主義者であるが、独断的体系を拒み、短文をもって人々の思索を促すモラリストであった。彼のいう理性は単に哲学の原理にとどまらず、生全体の根底となる良識であった。彼の著作は広い領域にわたり、哲学者のみならず文学者にも深い影響を残している。ほかの著作、『幸福論 Propos sur le bonheur』(28)、『イデー Idéés』(32)、『わが思索のあと Histoire de mes pensées』(36)など。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
ユング Carl Gustav Jung
1875.07.26生~1961.06.06没
スイスの心理学者、精神分析学者。バーゼル大学で医学を修めたのちパリのピエール・M.F.ジャネのもとに留学。チューリヒ大学を経て1943年バーゼル大学教授。1948年チューリヒにユング研究所を設立。初め心霊現象などのオカルト研究に興味をもつ一方、ジグムンド・フロイト学説の熱心な支持者であったが、その後、A.メーダーと協同して、リビドーおよび無意識の概念について新しい展開を試み、分析的心理学を創始した。また、精神障害者の無意識を発見するために言語連想テストをつくり、コンプレックスの概念を考案した。主著『変容の象徴 Wandlungen und Symbole der Libido』(1912、改訂版Symbole der Wandlung 1952)、『タイプ論 Psychologische Typen』(1921)、『分析心理学への貢献 Contributions to Analytical Psychology』(1928)、『パーソナリティの統合 The Integration of the Personality』(1940)、『心理学と錬金術 Psychologie und Alchemie』(1944)、『空飛ぶ円盤 Ein Moderner Mythus』(1958)、『無意識の心理 Über die Psychologie des Unbewussten』(1960)。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
アレクサンドル・デュマ Alexandre (Devy de la Paileterie) Dumas
1802.07.24生~1870.12.05没
フランスの小説家、翻訳家。デュマ・ペール(父)と呼ばれる。膨大な作品を書いたが、小説よりむしろ戯曲によって、ロマン派を代表する作家となった。小説はほとんどが共作者の助力を得たもので、なかでもオーギュスト・マケの力が大きい。『三銃士 Les Trois Mousquetaires』(1844)、『モンテ=クリスト伯 Le Comte de Monte-Christo』(44~45)、『黒いチューリップ La Tulipe noire』(50)などの歴史小説によって世界中に親しまれている。戯曲では、通俗的ともいえる筋書を、情熱的で動きのある大団円に導く舞台感覚に恵まれている。なかでも『アンリ3世とその宮廷 Henri III et sa cour』(29)は大成功を収めた。ほかに『アントニー Antony』(31)など。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
ラルフ・ウォルド(ワルド)・エマーソン Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ウォルドー(ワルド)・エマーソン(Ralph Waldo Emerson [rælf ˈwɑːldoʊ ˈemərsən]、1803 年5 ⽉25 ⽇- 1882 年4 ⽉27 ⽇)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩⼈、エッセイスト。無教会主義の先導者。
Waldo はウォルドウ、ウォルド、ワルド、Emersonはエマソン、エマスンなどとも表記される(英語では、Emerson は第1 ⾳節にアクセントがある)。
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに⽣まれる。18 歳でハーバード⼤学を卒業し21 歳までボストンで教鞭をとる。その後ハーバード神学校に⼊学し、伝道資格を取得し、牧師になる。⾃由信仰のため教会を追われ渡欧、ワーズワース、カーライルらと交わる。帰国後は個⼈主義を唱え、アメリカの⽂化の独⾃性を主張した。
エマーソンは次第に当時の宗教的社会的信念から離れ、1836 年の評論'Nature' において、超越主義哲学を世に打ち出した。続いて草分け的な仕事として1837 年に'The American Scholar' と題した演説を⾏い、オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアは、アメリカの「知的独⽴宣⾔」であると評した。
エマーソン主要な評論のほとんどを、まず講演⽤に書いてから出版⽤に改めた。最初の⼆つの評論集'Essays: First Series' と'Essays: Second Series' は、それぞれ1841 年と1844 年に出版された。それらは'Self-Reliance'、'The Over-Soule'、'Circles'、'The Poet'、'Experience' が含み、彼の思想の核⼼である。'Nature' とこれらの評論によって、1830 年代半ばから1840 年代半ばにかけての10 年間は、エマーソンにとって最も実り多い時期となった。
彼の評論は後の思想家、著述家、詩⼈に⼤きな影響を与えた。エマーソンは、⾃⾝の中⼼教義を⼀⾔にすると、「個⼈の無限性」であると語った。エマーソンはまた、共に超越主義者であるヘンリー・デイヴィッド・ソローの師であり友であることが有名である。
アンソニー・トロコップ
※ おそらくアンソニー・トロロープ Anthony Trollopeの間違いだと思います。
動画はそのまま「アンソニー・トロコップ」としていますが、ここでは「アンソニー・トロロープ Anthony Trollope」の概略を記しています。
アンソニー・トロロープ Anthony Trollope
1815.04.24生~1882.12.06没
イギリスの小説家。ロンドンに生まれ極貧の家庭に育つ。郵便局に勤務しながら35年間に60巻の長編小説を書き、その間1日も公務を怠らなかったという精力家。その後西インド、北米、豪州、南アフリカに旅行し、それぞれの旅行記を発表。小説は健全な娯楽読物として非常な人気を博した。代表作『養老院長 Warden』(1855)、『バーチェスターの塔 Barchester Tower』(1857)、『医師ソーン Dr. Thorne』(1858)等。
──『新版・世界人名辞典 西洋編』
サマセット・モーム William Somerset Maugham
1874.01.25生~1965.12.16没
イギリスの小説家、劇作家。10歳のとき孤児となり、叔父の牧師館に引取られた。ドイツやフランスに遊学ののち、ロンドンで医学を学んだが開業せず、自然主義的な小説『ランベスのライザ Liza of Lambeth』(1897)で作家生活に入った。第1次世界大戦には軍医として従軍、のちに諜報活動に転じ、戦争末期には革命直後のソ連をたずねた。大衆性を重んじる多作家であるが、代表作は自伝的小説『人間の絆 Of Human Bondage』(1915)。ほかに『月と六ペンス The Moon and Sixpence』(19)、『お菓子とビール Cakes and Ale』(30)、『剃刀の刃 The Razor's Edge』(44)、短編集『木の葉のそよぎ The Trembling of a Leaf』(21)、戯曲『ひとめぐり The Circle』(21)、『おえら方 Our Betters』(23)などがある。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
孔子 Confucius(思想家)
紀元前551生~紀元前479没
中国、春秋時代の学者、思想家。儒教の祖。名は丘。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(いみな)は至聖文宣王。先祖は公族であったが家はきまめて貧しく、魯に使えて大司寇となったが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊し、諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられる。『論語』は彼とその弟子との言行録である。堯、舜、文王、武王、周公旦らを尊崇し、古来の思想を大成し、為政者の特によって民衆を教化する徳治主義を根幹とし、周の遺制たる礼楽制度による周への復古を説いた。その教えは、儒教として中国思想の根幹となり、後世に大きな影響を及ぼした。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。
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