2016年9月21日水曜日

自分自身をいたわるために・1


竹内まりやさんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。


ムリエル・スパーク Muriel Sarah Spark

1918.02.01生~2006.04.13没
イギリスの作家。中央アフリカ連邦(ローデシア=ニアサンドラ連邦)で数年を過ごしたのち、第2次世界大戦中は外務省情報部に勤務。戦後、詩誌の編集にあたる。初の長編『慰めるものたち The Comforters』(1957)以来、『死を忘れるな Memento Mori』(1959)、『ペカム・ライ奇譚 The Ballad of Peckham Rye』(1960)、『ミス・ブロディの青春 The Prime of Miss Jean Brodie』(1961)、『マンデルバウム・ゲイト The Mandelbaum Gate』(1965)、『運転席 The Driver's Seat』(1970)、『引継ぎ The Takeover』(1976)など多作で、作風もユーモアに富んだファンタジーから、カトリック意識の横溢する深刻な小説まで幅広い。
  ──『ブリタニカ国際大百貨事典』


ラ・フォンテーヌ Jean de La Fontaine

1621.07.08生~1965.04.13没
フランスの詩人。モリエール、ラシーヌ、ボアローと親交を結び、彼らとともにルイ14世治下のフランス古典主義文学の黄金時代を築いた。主著は12巻からなる『寓話詩 Fables』(1668~94)およびボッカチオらに取材した官能的な韻文物語集『風流譚 Les Contes et Nouvelles en vers』(64~74)。「新旧論争」においては古代派に属したが、ギリシア・ラテンの作家を奴隷的に模倣することは慎むべきであると説いた。ほかに、長詩『アドニス Adonis』(58)、詩を交えた散文小説『プシシェとキュピドンの恋 Les Amours de Psyché et de Cupidon』(69)など。
  ──『ブリタニカ国際大百貨事典』


禅 zen

サンスクリット語dhyānaの音写で禅那とも書かれる。「禅」の原義は、(天子が)神を祀る、(位を)譲る、などで、これを仏教がかりたのである。姿勢を正して坐して心を一つに集中する宗教的修行法の一つ。インドでは古くから行われていたが、仏教の基本的修行法に取り入れられて中国に伝わり、禅宗として一宗派を形成した。宗祖はインド僧菩提達磨(?~528)とされるが、宗派として成立したのは6祖慧能(えのう 638~713)からで、その跡を継ぎ中国禅宗五家が成立。このうち宋代には臨在、雲門の2宗が栄え、臨済宗は公案を手段とする看話禅(かんなぜん)を鼓舞し、雲門の系統をひく曹洞宗は正身端坐の坐禅を重視する黙照禅を説いた。日本には鎌倉時代に栄西により臨済宗、道元により曹洞宗が伝えられ、江戸時代には中国僧隠元により明代の念仏禅、黄檗宗が伝えられた。また江戸時代の白穏は公案を整理し、現在の臨済宗諸派の修業の基礎を築いた。禅思想はインド仏教の般若、空の思想が老荘思想を精神的風土とする中国で変容され定着したもので、坐禅の実践による人間の本性の直観的な把握を主張し、華道、茶道、書道、絵画、造園、武芸などの日本文化にも影響を与え、さらに最近は急速に海外からの関心を集めつつある。
  ──『ブリタニカ国際大百貨事典』


シャーリー・アボット Shirley Abbott (Shirley Jean Abbott Tomkievicz)

(シャーリー・ジーン・アボット・トムキーヴィッツ Shirley Jean Abbott Tomkievicz)
シャーリー・ジーン・アボット・トムキーヴィッツ(1964年9月12日、イラストレーターのアレクサンダー・トムキーヴィッツとの婚姻による)は1934年11月16日、ホット・スプリングス生まれの雑誌編集者、作家。3巻におよぶ自伝で名声を得た。自伝では家族の歴史とホット・スプリングス(ガーランド郡)に来た年のことなどが詳細に語られれている。『 Womenfolks: Growing Up Down South』(1983)、『 The Bookmaker’s Daughter: A Memory Unbound』(1991)、『 Love’s Apprentice: The Education of a Modern Woman』(1998)の構成になっており、シャーリー・アボット名義で執筆された。批評家は、自身の人生のみならず転換期の南部の姿を描いた調査記録としてよく書けていると賞賛した。現在はニューヨーク在住のアボットだが、アーカンソーについて広く知らしめるため雑誌および新聞に書き続けている。かつて「南部人として生まれたことで、歴史を敬い愛することを学びました。限定的な土地の出身であること、その土地の理解を求めることは作家の想像力のたまものです」と語った。
アルフレッド・B・”ハット”・アボットとヴェルマ・ロイド・アボットの唯一の子供である。
  ──The Encyclopedia of Arkansas History & Culture (http://www.encyclopediaofarkansas.net/encyclopedia/entrydetail.aspx?entryID=1023), Ellen Compton (University of Arkansas, Fayetteville)による記事を翻訳・抜粋

ヘレン・ガーリー・ブラウン Helen Gurley Brown

1922.02.18日-2012.08.13日
アメリカ・アーカンソー州出身の作家、編集者。約32年間にわたり雑誌「COSMOPOLITAN(コスモポリタン)」の編集長を務めた人物であり、文芸中心の家庭向け総合雑誌だった同誌をファッション雑誌に方向転換し、世界100カ国以上の国・地域に流通する人気雑誌にまで育て上げた。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
  ──地球の名言(http://earth-words.org/archives/4925)


アルフレッド・テニソン Alfred Tennyson

1809.08.06生~1892.10.06没
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学在学中『ティンバクトゥー Timbactoo』(1829)で学長牌を獲得、『抒情詩集 Poems, Chiefly Lyrical』(1830)を出版。中退後、親友A.ハラムとヨーロッパ大陸を旅行。『詩集 Poems』(1832)、2冊版『詩集 Poems』(1842)、『王女 The Princess』(1847)、ハラム追悼の詩『イン・メモリアム In Memorium』(1850)などを相次いで出版、1850年ワーズワス(1770~1850)のあとをうけて桂冠詩人となった。その後も『モード Maud』(1855)、『国王牧歌 Idylls of the King』(1859)、『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864)のほか、多くの詩劇を書いた。流麗な措辞と健全な倫理観によって、ビクトリア朝を代表する詩人と認められる。
  ──『ブリタニカ国際大百貨事典』


シャーリー・マクレーン Shirley MacLaine

1934.04.24生~
アメリカ合衆国の女優、ダンサー。本名Shirley MacLean Beaty。女優業に加え率直な発言と神秘主義や輪廻転生への傾倒でも注目を集める。弟は俳優のウォーレン・ビーティ。3歳からバレエを習い始め、高校卒業後はニューヨークでダンサーやモデルとして働いた。1954年ブロードウェー・ミュージカル『パジャマゲーム The Pajama Game』のコーラスガール、および準主役であるキャロル・ヘイニーの代役として出演、映画プロデューサーのハル・ウォリスの目に留まった。アルフレッド・ヒッチコック()監督の『ハリーの災難 The Trouble with Harry』(1955)で映画デビュー。中世的かつセクシーな独特の容姿と、売春婦などの俗っぽい役柄に純真さを見え隠れさせる演技力で人気を獲得し、『アパートの鍵貸します The Apartment』(1960)、『あなただけ今晩は Irma la Douce』(1963)など出演作を重ねた。『愛と喝采の日々 The Turning Point』(1977)では家族のために仕事をあきらめた元バレリーナの葛藤を好演。『愛と追憶の日々 Terms of Endearment』(1983)では気難しい母親を演じ、アカデミー賞主演女優賞を受賞した。芸能生活や交友関係、精神世界について語った『風を追いかけて Don't Fall off the Mountain』(1970)などの著作がある。
  ──『ブリタニカ国際大百貨事典』


エラ・ウィーラー・ウィルコックス Ella Wheeler Wilcox

エラ・ウィーラー・ウィルコックス(英: Ella Wheeler Wilcox、1850年11月5日-1919年10月30日)は、アメリカ合衆国の著作家、詩人である。その最も良く知られた作品は『Poems of Passion』(情熱の詩)である。不朽の名作と言えば、「貴方が笑えば、世界は貴方と共に笑う。貴方が泣くとき、貴方は一人で泣く。」という節がある『Solitude』(孤独)である。自叙伝『The Worlds and I』(世界と私)はウィルコックスが死ぬ1年前の1918年に出版された。
  ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


フィリス・ディラー Phyllis Diller

フィリス・ディラー(Phyllis Diller, 1917年7月17日 - 2012年8月20日)は、アメリカ合衆国の女優、声優、コメディエンヌである。
1917年にオハイオ州ライマに生まれる。父親は保険代理店で働いていた[1]。地元の高校を卒業後、音楽系の学校でピアノを習得し、Bluffton Universityへ編入学した[1]。1952年にカリフォルニア州のローカルラジオでキャリアをスタート。同年にテレビ番組『Phyllis Dillis, the Homely Friendmaker』もスタートし、活動の場をサンフランシスコへ移し、ラジオを中心にキャリアを重ねていった。
サンフランシスコではスタンダップコメディの分野でも活躍し、知名度を得ていくと、1961年に『草原の輝き』で映画デビュー。1966年から放送されたコメディドラマ『The Pruitts of Southampton』や1969年から放送されたコメディラブドラマ『恋愛専科』などへはレギュラー出演もし、その後もコミカルな演技でキャリアを重ね、数々の映画やテレビに出演して女優としての地位を確立した。1990年以降はアニメーションの声優としても活躍し、ピクサーが製作した『バグズ・ライフ』などへは女王アリの声も担当。晩年は数々の人気テレビアニメシリーズの声のゲスト出演も果たしている。近年ではテレビシリーズ『ザ・ボールド・アンド・ザ・ビューティフル』でも知られていた。
  ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BC
いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。


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