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竹内まりや Takeuchi Mariya さんの『元気を出して』のメロディーにのせてお届けする名言集。
悲しかったり、自信をなくしたり、落ち込んだりしたときに、勇気をくれる言葉を集めました。
このシリーズは12本の動画で構成されていますが、全部を見る必要はありません。
お気に入りの一言を見つけてください。
この動画でご紹介している名言の発言者は以下のとおりです。
セオドア・アイザック・ルービン Theodore Isaac Rubin
1923~
医師、作家、アメリカ精神分析学研究所所長。大学卒業後、アメリカ精神分析学研究所で学ぶ、のち所長となる。この間、精神科医として診療するかたわら、『Ladies' Home Journal』や『McCalls'』などへコラム執筆やテレビ出演などで活躍。精神障害に光をあてるフィクション、ノンフィクションと多数執筆。著書に『Compassion and Self-Hate』『Reconcilation』『リアル・ラブ』、短編集に『物語に閉じこもる少年たち』などがある。
──『世界外国人名録2004』
エウリピデス Eurīpidēs
紀元前485年頃生~紀元前406年没
ギリシア三大悲劇詩人の一人。ソフィストと自然哲学の影響を受け、伝統的悲劇を合理主義精神によって改革して、神話の世界を日常の世界にまで引降ろし、悲劇を人間情緒の世界と化した。競演における優勝は紀元前441年以来5回20編。現存作品はサチュロス劇1編と偽作1編とを含めて19編。主要作品『アルケスチス Alkēstis』(紀元前438上演)、『メディア Mēdeia』(紀元前431)、『ヒッポリュトス Hippolytos』(紀元前428)、『アンドロマケ Andromachē』、『ヘカベ Hekabē』、『ヘラクレス Hēraklēs』、『トロイアの女たち Trōiades』(紀元前415)、『救いを求める女たち Hiketides』、『エレクトラ Ēlektra』、『ヘレネ Helenē』(紀元前412)、『タウリスのイフィゲネイア Iphigeneia hē en Taurois』、『イオン Iōn』、『フェニキアの女たち Phoinissai』、『オレステス Orestēs』(紀元前408)、『バッコスの信女 Bakchai』(紀元前405)、『アウリスのイフィゲネイア Iphigeneia hē en Aulidi』(紀元前405)。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
ソフォクレス Sophoklēs
紀元前496/495年生~紀元前406年没
ギリシア三大悲劇詩人の一人。俳優を2人から3人に、コロスを12人から15人にふやし、背景に絵を使い、3部作形式をやめて1編ずつ独立させ、主役の性格と演技を重視するなど、悲劇に大改革を加えた。紀元前468年以来およそ120編作り、競演でも18~24回優勝。政治にも積極的に関与して将軍に選ばれたほか、たびたび要職についた。現存作品は『アイアス Aias』、『アンチゴネ Antigonē』(紀元前442上演)、『オイディプス王 Oidipus Tyrannos』(紀元前440)、『トラキニアイ Trāchīniai』、『エレクトラ Ēlektra』(紀元前418)、『フィロクテテス Philoktētēs』(紀元前409)、『コロノスのオイディプス Oidipous epi Kolōnōi』(遺作、紀元前401)。ほかに、サチュロス劇『イクネウタイ Ichneutai』の大断片もある。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール Jean de la Bruyere
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(仏: Jean de La Bruyère, 1645年8月16/17日 - 1696年5月10日/11日)は、フランスのモラリストであり作家である。
17世紀のフランスの宮廷人たちを描き、人生を深く洞察した著書『カラクテール』(フランス語: Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle)(和訳: 『人さまざま』)(1688年)によって知られる。
エピクテトス Epiktētos
50頃生~?
ストア派の哲学者。初めネロの重臣の奴隷、解放されてからドミチアヌス帝による哲学者追放までローマで哲学を講じ、のちニコポリスにおもむく。弟子アリアノスによる『談話集』と『提要』があり、マルクス・アウレリウスらに影響を与えた。その学説は初期ストア派にほぼ同じで、さまざなまな専門的知識や技術、神の摂理、現世の苦痛に対する無関心と、人間として必要な哲学の意義を説き、人みな神の子という立場から博愛主義を唱えた。その哲学は意志の哲学であり、自己の支配能力が及ぶ意志的活動と、その権能外にある社会的なものとの区別を心得て、一切の苦悩から自由となり心の内に平静を獲得することをすすめている。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
スタンダール Stendhal
1783.01.23生~1842.03.23没
フランスの小説家。本名Marie-Henri Beyle。ナポレオンの第2回イタリア遠征に参加してイタリアの魅力を知る。1802年いったん除隊、1812年再びロシア遠征に加わる。ナポレオンの没落後イタリアに住み、芸術論や『恋愛論 De l'amour』(1822)を書く。1821年パリに戻り、小説『赤と黒 Le Rouge et le Noir』(1830)などを発表。七月革命後の1831年にイタリアのチビタベッキアの領事に任命され、自伝『エゴチスムの回想 Souvenirs d'égotisme』(1892刊)および『アンリ・ブリュラールの生涯 Vie de Henri Brulard』(1890刊)を書き、休暇中に7週間で傑作『パルムの僧院 La Chartreuse de Parme』(1839)を書き上げた。意志と情熱に満ちた人物たちの若々しい行動をむだのない文体で綴った彼の作品は、近代小説の傑作とされるが、生前には理解されなかった。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
ジョン・ミルトン John Milton
1608.12.09生~1674.11.08没
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学に学ぶ。年少にして詩人を志し、『キリスト降誕の朝にあたりて On the Morning of Christ's Nativity』(1629)、『快活な人 L'Allegro』(31)、『沈思の人 Il Penseroso』(31)、仮面劇『コーマス Comus』(34)、『リシダス Lycidas』(37)などの名作を書いた。1642年内乱勃発後の約20年間は議会派の論客として活躍、言論の自由を論じた『アレオパジティカ Areopagitica』(44)など多くの政治的、宗教的パンフレットを執筆、また不幸な結婚の経験に基づき『離婚論 The Doctrine and Discipline of Divorce』(43)を著わした。49年以後共和政府のラテン語秘書として活躍したが、52年に失明。王政復古(60)後は逆境におかれたが、詩作に精進し、イギリス文学史上最大の叙事詩『失楽園 Paradise Lost』(67)をはじめ『復楽園 Paradise Regained』、『闘士サムソン Samson Agonistes』(ともに71)を書き、シェークスピアに次ぐイギリス最高の詩人の地位を確立した。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
いかかでしたか?
世に名言を残す人というのは人生を濃く生きて、その経験から体感した言葉なのでしょうね。
見習うべきところが多そうです。
今回はシリーズ中の1本について、それぞれの発言者の概略を見てきましたが、他の名言もまとめてみたいという方はコチラからどうぞ。