2016年7月13日水曜日

黄昏の世界遺産 5

グランド・キャニオンの夕陽 Sunset on Grand Canyon



赤茶けた大地と切り立った断崖、先住民には聖地と崇められ、冒険者たちからは「魔の谷」と恐れられた、グランド・キャニオンは、アメリカ南西部、アリゾナ州北部におよそ450kmにわたって広がる、世界最大の渓谷です。
コロラド川の急流がおよそ1億年の時をかけ、平原を侵食することで、このような景観が生まれました。
川に削られて現われた地層は、およそ20億年前のものだといわれています。

グランド・キャニオン国立公園の入り口付近、デザートビューにある展望台からは、大自然の造る雄大な姿を見渡すことができます。

地球の歴史を刻む大地に沈む夕陽のBGMは、Ben Tissot 氏作曲「Slow Motion」(Bensound.com)。

では、この世界遺産の詳細を見ることにしましょうか。



グランド・キャニオン国立公園《アメリカ》
Grand Canyon National Park《The United States》

http://whc.unesco.org/sites/75.htm

登録種別:自然遺産
登録基準:(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(viii) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの〔生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、或は重要な地形的、または、自然地理的特性などを含む〕;(ix) 陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生物学的、生理学的プロセスを示す顕著な見本であるもの:(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1979

グランド・キャニオン国立公園は、アリゾナ州北西部のココニノ郡とモハーヴェ郡にまたがる。コロラド川がコロラド高原の一部であるカイバブ高原とココニノ高原を侵食して形成したマーブル峡谷からグランド・ウォッシュ崖までの長さ450km、最大幅30km、深さ1,500mの壮大な大峡谷。世界遺産の登録面積は、493,077haである。全体的には赤茶けて見えるが日の出と日の入りの景色は荘厳で美しい。断崖絶壁の谷底を流れるコロラド川の両岸の約1億年前に隆起した地層は最古層で20億年前の先カンブリア紀、表層部で2.5億年前の二畳紀のものといわれる。貝類の化石から太古に海底であったことがわかる。紀元前500年頃から農耕を営んでいた先住民族の居住跡も見られる。大空を悠々と弧を描くイヌワシ、オオタカ、ハヤブサの雄姿が印象的。グランド・キャニオンは、1540年にスペインのカルデナス隊が発見した。また、グランド・キャニオンは、アメリカの大自然の象徴であり、世界七不思議の一つとしても有名。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月12日火曜日

黄昏の世界遺産 4

イースター島の夕陽 Sunset on Easter Island



南太平洋に浮かぶ孤島、そこに残る謎の石像モアイ像がたたずむ、チリ、イースター島。

南米チリの沖合いからおよそ3800kmにあるイースター島。
現地の言葉でラパ・ヌイ「大きな島」と呼ばれています。
テピトオテヘヌア Te PIto o te Henua(世界のへそ)とも呼ばるそうです。

この島には800体を越える巨大な石像モアイがあります。
モアイは、島に住んだ人々が部族の先祖を祭ったもので、「アフ」と呼ばれる祭壇の上に立てられています。

島の東部にある、ラノ・ララク火山です。
モアイは山をそのまま削りだしてつくられました。
モアイ像は現在でも多くの謎に包まれています。

神秘のヴェールに包まれたモアイ像を照らす夕陽、DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)さんの音楽でお届けします。

この世界遺産の詳細を見てみましょう。






ラパ・ヌイ国立公園《チリ》
Rapa Nui National Park《Chile》

http://whc.unesco.org/sites/715.htm

登録種別:文化遺産
登録基準:
(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例
登録年:1995

ラパ・ヌイ国立公園は、チリの首都サンチアゴから西へ3,760km、タヒチから東へ4,050kmの南太平洋上の火山島のイースター島(公式名:パスクア島)にあり、1935年に国立公園に指定された。ラパ・ヌイとは、現地語で「大きな島」という意味。入植は、4世紀頃と推定され、原住民はポリネシアのマルケサス島から移住したといわれている。その後、オランダ人の探検家によってこの島が発見されるまでの1300年間、この島は殆ど孤立状態にありながら、驚くべき複雑な文化を発展させた。不可思議な凝灰岩の巨石像モアイ、大きな石の祭壇アウ、鳥人の儀式村、墓や火葬場、住居跡、石で内壁を縁どった洞窟、洞窟の壁画や岩絵等、モアイが切り出された石切り場、武器や道具などは、ラパ・ヌイ文化の所産である。なかでも、海岸沿いに立つモアイの石像は有名。10~16世紀にかけて、各部族または血族の神化された先祖を村の守り神として、モアイと呼ぶ創造性豊かな石像を残した。しかし、16~17世紀に部族間で内戦が次々と起こり、敵である部族を守っていたモアイ倒し闘争(フリ・モアイ)によって多くが破壊された。現在島内に残るモアイは約1,000体とされているが、その大半はうつ伏せに倒れたまま放置され、岩塊と化している。イースター島は、孤立が故に造り得た謎と神秘に満ちたユニークな文化的背景を現在も残している。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月11日月曜日

黄昏の世界遺産 3

ドレスデンの夕陽 Sunset on Dresden


バロック様式の建物が建ち並ぶ美しい街並み、文豪ゲーテが「エルベ川のフィレンツェ」とその美しさをたたえたのがドイツ、ドレスデン。
残念ながら世界遺産からの登録抹消となってしまいました。

ドレスデンは、ドイツの東部、チェコとの国境からおよそ30kmほどにある歴史ある街。
ヨーロッパを東西に分けるエルベ川が街の中を流れています。

12世紀末からザクセン選帝侯(せんていこう)の宮廷都市として栄えました。
街には宮殿や古城、教会などが建ち並び、昔の栄華を忍ばせます。

ツビンガー宮殿は、18世紀にフリードリヒ・アウグスト1世の命により建てられました。
ここにはヨーロッパ中の絵画や財宝が集められました。

街の中心にあるオペラハウス、かつてワーグナーが楽団長を務めたことで知られるゼンパーオーパーです。

街のシンボル、聖母教会は、ヨーロッパで最も大きなプロテスタントの教会です。

エルベ川のほとりに広がる美しい風景と歴史を感じさせる街並みが人々の心をとらえる。「芸術の都」を染める夕陽、Ben Tissot 氏 (Bensound.com) の音楽「Slow Motion」でどうぞ。

世界遺産に登録されていたときの詳細を記しておきますね。






ドレスデンのエルベ渓谷《ドイツ》
Dresden Elbe Valley《Germany》

登録種別:文化遺産
登録基準:(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に監視、人類の価値の重要な交流を示すもの;(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例;(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例
登録年:2004・2006【危機遺産】
※2009年世界遺産リストからの抹消

ドレスデンのエルベ渓谷は、ザクセン州の州都ドレスデンを中心に、北西部のユービガウ城とオストラゲヘーデ・フェルトから南東部のビルニッツ宮殿とエルベ川島までの18kmのエルベ川流域に展開する。このエルベ渓谷には、18~19世紀の文化的景観が残る。ドレスデンは、かつてのザクセン王国の首都で、エルベのフィレンツェと称えられ、豪華な宮廷文化が輝くバロックの町で、16~20世紀の建築物や公園などが残っている。なかでも19~20世紀の産業革命ゆかりの鉄橋、鉄道、世界最古の蒸気外輪船、それに造船所は今も使われている。2006年、ドレスデン建都800年の記念すべき年であったが、エルベ川の架橋計画による文化的定款の完全性の損失を理由に、「危機にさらされている世界遺産」に登録された。2008年の第32回世界遺産委員会では、「ドレスデンのエルベ渓谷」の4車線のヴァルトシュリュスヘン橋の建設により文化的景観の完全性が損なわれるとして、世界遺産リストからの抹消も含めた審議を行ったが、橋の建設中止など地元での対応などを当面は静観することを決した。代替案としての地下トンネルの建設などにより景観の保護が行われず、このまま橋の建設が継続され完成した場合は、2009年の第33回世界遺産委員会での世界遺産リストからの抹消が余儀なくされることになっていた。この物件の取り扱いについては、第30回、第31回、第32回の世界遺産委員会で、慎重な審議が重ねられたが、ドレスデンの関係当局者は、文化的景観の中心部での4連のヴァルトシュリュスヘン橋の建設プロジェクトを中止しなかった為、2004年の世界遺産登録時の「顕著な普遍的価値」と「完全性」が喪失、2009年の第33回世界遺産委員会でのオマーンの「アラビアン・オリンピック保護区」に次ぐ、世界遺産登録史上二番目となる「世界遺産リストからの抹消」という不名誉な事態になった。しかしオマーンの抹消と異なり、世界遺産委員会は、“Every time we fail to preserve a site, we share the pain of the State Party.”という議長声明と共に、「ドレスデンのエルベ渓谷」は「顕著な普遍的価値」を有する箇所もあるので、ドイツは異なる登録基準と境界線のもとでの新登録の推薦書類を提出することは出来ると温情を示した。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月10日日曜日

黄昏の世界遺産 2

武夷山の夕陽 Sunset on Wuyi shan


豊富な水の流れと切り立つ断崖が山水画のような風景を生み出している武夷山(ぶいさん)とは、面積1000平方kmの広大な山系の総称で、およそ6千万年以上前に起きた地殻変動で造り出されたものです。
九曲渓(きゅうきょくけい)と呼ばれる曲がりくねった水の流れと、両岸にそびえる変わった形の山々(風雨の浸食による奇岩)が絶景をつくりだしています。
この風景は、山水画のように美しいことで知られ、目の前に広がる雲海、山と水の一体感、まるで仙人の世界に迷い込んだかのような風景が広がります。
中国人に一生に一度は訪れたいと思わせる景勝地だそうです。

刻々と変わりゆく山水の世界に色を添える夕陽の光景を、DOVA-SYNDROME さん (http://dova-s.jp/)の音楽でお楽しみください。

この世界遺産の詳細は以下のとおりです。


武夷山《中国》
Mount Wuyi《China》

http://whc.unesco.org/en/list/911

登録種別:複合遺産
登録基準:(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、少なくとも稀な証拠となるもの;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの〔科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値をもつ絶滅の恐れのある主が存在するものを含む〕
登録年:1999

武夷山(ウーイーシャン)は、福建省と江西省とが接する国家風景名勝区にある。「鳥の天国、蛇の王国、昆虫の世界」と称され、茫々とした亜熱帯の森林には、美しい白鷺、猿の群れ、そして、珍しい鳥、昆虫、木、花、草が数多く生息しており、1979年には国家自然保護区、1987年には、ユネスコの「人間と生物圏計画 NBA」の生物圏保護区に指定されている。また、脈々とそびえる武夷山系の最高峰の黄崗山(2185m)は、「華東の屋根」とも称されている。武夷山は、交錯する渓流、勢いよく流れ落ちる滝、水廉洞の洞窟の風景もすばらしく、玉女峰が聳える九曲渓では、漂流を楽しむことも出来る。また武夷山中には、唐代の武夷官、宋代の朱子学の開祖、朱憙(朱子)が講学を行った紫陽書院なども残っている。武夷山は、ウーロン茶の最高級品として名高い武夷岩茶の産地としても有名である。
──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月3日日曜日

黄昏の世界遺産 1

ウルル(エアーズ・ロック)の夕陽 Sunset on Uluru (Ayers Rock)

砂漠の中に突如出現するのが、大自然がつくりだした巨大な一枚岩、ウルル。
「エアーズ・ロック」の名でも知られていますね。
1872年にアーネスト・ジャイルによって発見されたとき、エアーズ・ロックと命名されたものの、1985年先住民のアボリジニに返還されたときに正式名称をウルルに定めたそうです。

オーストラリア中央部、ノーザンテリトリー準州のウルル、カタ・ジュタ国立公園に属しています。
世界で2番目に大きな一枚岩でできているなんて驚くばかりです。
高さ348m(付近の平坦な土地の標高そのものが約500mあるので、標高は868m)、周囲9.4km。
アボリジニの人々に聖地で、世界の中心に位置すると考えて、「地球のヘソ」と呼んでいるそう。

この岩は、大昔に堆積した砂が固まってできた砂岩(さがん)と呼ばれる岩で、表面が赤く見えるのは、含まれる鉄分が錆びて赤くなったためです。
太陽の移動に伴い、様々な色に移り変わる山肌は神秘的で美しいらしいですね。
実際目にしたことはありませんが。

音楽は全編にわたり表示してあるとおり、Ben Tissot 氏(Bensound.com)の「Slow Motion」という曲です。
この世界遺産の詳細を記しておきますね。


ウルル‐カタ・ジュタ国立公園《オーストラリア》
Uluru-Kata Tjuta National Park《Australia》


登録種別:複合遺産
登録基準:(v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある文化(または、複数の文化)或は、環境と人間との相互作用を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例;(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または明白に関連するもの;(vii) もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、及び、美的な重要性を含むもの;(viii) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの〔生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、或は重要な地形的、または、自然地理的特性などを含む〕
登録年:1987・1994

ウルル‐カタ・ジュタ国立公園は、オーストラリアのほぼ中央の北部準州にあり、総面積は1,325,666haで、地質学上も特に貴重とされている。この一帯の赤く乾いた神秘的な台地に突如、「地球のヘソ」といわれる世界最大級の一枚岩のエアーズ・ロック(アボリジニ語でウルル)と高さが500m、総面積が3500haとエアーズ・ロックより大きい36個の砂岩の岩塊群のマウント・オルガ(カタ・ジュタ)が現れる。エアーズ・ロックは、15万年前にこの地にやってきた先住民、アボリジニが宗教的・文化的に重要な意味を持つ聖なる山として崇拝してきた。また、周辺の岩場には、古代アボリジニが描いた多くの壁画も残されている。また、圏内には、22種類の哺乳類や150種の鳥、世界で2番目に大きいトカゲなど多くの爬虫類が生息している。エアーズ・ロックは、気象条件が良い時には、岩登りができるようになっており、頂上から眺める景色は観光客にも人気がある。また、マウント・オルガの風の谷や洞窟を歩くツアーにも多くの人が訪れる。ウルル‐カタ・ジュタ国立公園は、カカドゥ国立公園と共に先住民参加の管理がすすめられている。エアーズ・ロックへの登山については、先住民アボリジニの聖地として、一時は登山禁止が要請された。
     ──『世界遺産事典 1007全物件プロフィール 2015改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構)

2016年7月2日土曜日

NHK『新・シルクロード』サントラ

いにしえの都のこだま Echo of a Lost City

街角の歌 Song of the City Streets

全部で10本ですが、このページでは2つのみ掲載しています。
他のビデオは下記リンクからどうぞ。
天山の峰々 Mountains are Far Away HD  
https://youtu.be/xKnSmRd56l
天空への道 The Path Leads into the Wind HD  
https://youtu.be/69eyZee4uD
草原の夏 Summer in The High Grassland HD  
https://youtu.be/fKVfoSCdUM
戦の記憶 The Battle Remembered HD  
https://youtu.be/O0T9Vxxr2-
千巻の経典の声 Voice of a Thousand Scrolls HD  
https://youtu.be/dR0vtFFpvi
収穫の踊り Spirit of the Harvest Dance HD  
https://youtu.be/7Q0ss3dOFu
山の嵐のあとに Clear Sky after Mountain Storm HD  
https://youtu.be/T8vR9Yewx_
玉の河のセレナーデ Serenade by Jade River HD  
https://youtu.be/85Rt7XtNqy

まとめて見る場合はコチラ

NHKで1980年4月から1年間、全12回にわたって放送されたNHK特集『シルクロード 絲綢之路』から30年以上経過しました。
2005年、NHKでは放送開始80周年記念事業の一環として新シリーズ、NHKスペシャル『新・シルクロード』が放送されました。
そのサウンドトラックのプロモーションビデオです。

演奏は、同番組の音楽監督も務めるチェロ奏者のヨーヨーマさん率いるシルクロード・アンサンブル。
1980年の放送の際はシンセサイザー奏者の喜多郎さんでしたね。

皆さん歴史の授業で「シルクロード(絹の道)」という言葉は習った記憶があるのではないでしょうか。
どんなものか、復習してみましょう。



シルクロードという言葉は19世紀ドイツの地理学者F.リヒトホーフェン(1833~1905)によって、その大著『シナ China』(1巻、1877)において使用されたのが最初であろう。彼の弟子S.ヘディン(1865~1952)がその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用して以来有名になったが、元来は東トルキスタン(中国、新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交通路を意味するものであった。しかしシルクロードを中国とローマとの間の主要貿易路とするならば、その起点は長安(西安)でその終点はシリアのアンチオキアだとすることができよう。この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味に解するならば、この隊商路の主要な路線は次の3本になる。(1)最も古いのは敦煌からアルトゥン山脈に沿い、ホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠の南辺を通過してパミール高原に達する南方の交通路。(2)北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれたもので、敦煌からトルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。(3)中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の前2世紀にさかのぼり、敦煌から楼蘭を経てコルラに達する。最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていたと考えられる。広義のシルクロード、すなわち西トルキスタン(旧ソ連領中央アジア)以西の東西対象路は多数の路線に分岐していた。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

中央アジアのオアシスを通る古代の東西交通路。中国産の絹がこの道によって西方のインド、イランやローマにもたらされたことに由来する。現代中国語では「絲綢之路」。東西貿易路であるとともに文化交流の道でもあった。そのルートには中国北西部からタリム盆地の北辺、天山山脈南麓沿い(天山北路)とタリム盆地の南辺、崑崙(こんろん)山脈北麓沿い(天山南路)とがあり、ともにオアシス都市を結ぶ隊商(キャラバン)ルートである。この「オアシスの道」が本来のシルクロードであるが、この語を広義に東西交通路の意味で用いる場合は、次の2コースも加わる。北方には「草原の道(ステップ・ルート)があり、モンゴリアからアルタイ山麓、ジュンガリア、カザフ・ステップをへて南ロシアの草原地帯に至る。さらに南シナ海、インド洋、アラビア湾、ペルシア湾などの海路による「海上の道」がある。
     ──『百科事典マイペディア』

2016年7月1日金曜日

幸福を求めるすべての人に

《01 - 無限の力》

《02 - 潜在意識》

《03 - 奇蹟》

《04 - 治癒力》
《05 - 願望実現法》  
《06 - 技術者》  
《07 - 生命》      
https://youtu.be/N6H8Oony0S
《08 - 夢の実現》    
https://youtu.be/9GEzeK_i0v
《09 - 富と成功》    
https://youtu.be/24Hm7Da_jG
《10 - 資産》      
https://youtu.be/7UXsECugDJ
《11 - 真の成功者》   
https://youtu.be/54ufeZi5dC
《12 - 幸福》
《13 - 愛と調和》    
https://youtu.be/gqUQDq62-5
《14 - 許し》      
https://youtu.be/aKoM7H2N-O
《15 - 悩みの克服》   
https://youtu.be/vu4258aky9
《16 - 無限の生命》  
https://youtu.be/75ZaEwjB5b

「人生の成功と失敗を分けるものは、決して偶然や運命ではありません。すべての人に生まれつき備わっている潜在脳力をどれだけ活用できたかによるのです」との言葉に代表されるように、潜在意識の活用の重要性を説いたジョセフ・マーフィー博士の理論を音声で聴く動画シリーズです。
全部で16話あります。
(このページでご覧いただけるのは最初の3話のみです。
残りは各リンクをクリックしてご覧ください。)
まとめてみる場合は下のリンクからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=8PogfllWFJo&list=PLe99y-VJsR20xlzE8eA3BsntqyXoxMm_U

使用したのはダウンロードした動画素材ですが、どこから入手したのか記録をとっていなかったので、不明です。
すみません。
音声は『聞きながら夢をかなえる』から拝借しました。

ジョセフ・マーフィー博士をご存じない方もいらっしゃるでしょう。
略歴をご紹介します(Wikipediaからの引用)。

ジョセフ・マーフィー Joseph Murphy
1898年5月20日 - 1981年12月15日
米国で活動したアイルランド出身の宗教者、著述家。
幼年時、末の妹エリザベスが祖母の急死を幻視するという体験をしたことが、現実を超えた世界への関心を呼び起こした。少年時代は、イエズス会の会員であったという。
青年時代、サルコーマという悪性腫瘍を患ったが、フィニアス・クインビーなどが用いた「潜在意識への呼びかけ」による心理的療法によって、完治したという自身の経験が、彼の思想形成の出発点となった。
その後、ロサンゼルスのディヴァイン・サイエンス教会において、牧師職をつとめ、28年にわたり活動した。
潜在意識を利用することによって自らや周りの人さえも成功、幸福へと導く「潜在意識の法則」を提唱した。関連著作は自己啓発書として広く流通している。ニューソート関係の思想家では、もっとも愛好された人物のひとりである。
主な著書
『眠りながら巨富を得る - マーフィーの成功法則実践編』 ISBN 4382055873
『眠りながら成功する』 ISBN 4382040175
『マーフィー 自分に奇跡を起こす心の法則』 ISBN 4837907695
『あなたも幸せになれる』 ISBN 4382044006
『眠りながら奇跡を起こすCDブック』 ISBN 4877712348


神学・法学・科学の各博士号を持つマーフィー博士は、教育家、講演家として、また、カウンセラー、牧師として幅広く活躍しました。
博士は、常に明瞭で優しい語り口と文章で、人間の心の原理と実践についての貴重なノウハウを人々に提供し、多くの悩める人々を精神的、身体的、環境的な苦しみから救済してきました。
特にそのカウンセリングとセラピー(精神療法)は驚くべき効果を生み出し、やがてマスメディアやブログラムを通じて多くの人々の願望を実現し、人生の成功者となる原理と具体的な方法が伝えられるようになりました。多くの熱心な支持者を得た博士の活動は、その後、全米からヨーロッパ、南アフリカ、インド、オーストラリアなど世界中に広がり、日本においても1970年代にたびたび講演を行っています。

また、マーフィー博士の著書はミリオンセラーになり、大きな反響を巻き起こしました。代表的なものだけで35冊以上におよび、世界各国で翻訳・出版されています。
大きな人気を得た理由の一つは、書かれている内容が具体的でわかりやすいことです。マーフィー博士自身、「難しい専門用語は使わずだれでも理解できるよう、ふだん私たちが使っているやさしい言葉で、潜在意識の脅威の力を説明するよう心がけた」と語っています。
著書の中では「マーフィーの成功法則」を実践し、成功した人との実例が数多く紹介されています。そして、それを読んで人生が変わった人から感謝の手紙が届き、また、次の著書に紹介されるというように実例がふんだんに盛り込まれた名著が次々と生み出されていったのです。
誰もが人生の目的を達成し、豊かな人生をおくる権利と可能性を持っているという確固たる真理、「あなたの人生はあなたが心の中に思い描いたとおりになる」というマーフィー博士の「黄金律」は、人の心を束縛し苦しめる貧しさや孤独、病気、混乱から解放し、豊かさ、愛、健康、平和を人生に実現する法則なのです。

精神科学の先駆者であるジョゼフ・マーフィー博士は、すぐれたカウンセラー、セラピストとして一生を人々に捧げました。すべての人が人生の目的を達成し、健康で平和で調和に満ちた人生を送る権利をもち、また、それが可能であることをマーフィー博士は実証しています。
  ──ジョゼフ・マーフィー・インスティテュート(http://murphy.jp)「マーフィー博士について」

2016年6月30日木曜日

swan


ナショナル・ジオグラフィック日本版(http://natgeo.nikkeibp.co.jp/)の壁紙で動画を作りました。
海中の宝石 jewels in the sea」「精霊の宿る地 The land which spirits live」に続き、今回はその第3弾。
2010年12月号の特集記事『オオハクチョウ』で使われた写真で、Stefano Unterthiner氏の作品です。
日本へは冬に飛来するので、時期的には真逆ですが。


空飛ぶ姿は愛らしく、休む姿は威厳に満ちて、作曲家や詩人の想像力をかきたてる。


これはナショナル・ジオグラフィック日本版の写真解説にあることば。
本当にその通りですね。
BGMとして使った音楽もそのひとつ、サン=サーンス(Saint-Saëns)の『白鳥 The Swan』です。
『動物の謝肉祭 Carnaval des Animaux』という全14曲で構成される組曲の第13曲。
ピアノ伴奏付きに編曲されて、チェロの小品として人気が高い作品です。
ここでは Jaqueline Du Pre のチェロと Osian Ellis のハープによる演奏を使わせていただきました。

さて、このオオハクチョウ、どんな生態なんでしょうか。
英語ではwhooper swan、学名はCygnus cygnus。


カモ目カモ科。全長1.4m、翼開張2.5mの大型の鳥。成鳥は全身純白で、くちばしの基部が黄色、先端が黒い。脚も黒色。幼鳥は全体灰白色で、くちばしの基部が肉色をしている。浅瀬のある湾内や広い湖沼で群れて生活し、体の前半部を水中に突っ込んで水草の葉、茎、根を食べる。日本には冬鳥として飛来し、青森県小湊の渡来地は特別天然記念物、新潟県瓢湖は天然記念物に指定されている。ユーラシア大陸北部で繁殖する。
              ──『ブリタニカ国際大百科事典』
コハクチョウとともに日本で見られる代表的なハクチョウ類。くちばしの黄色い部分が黒い部分より大きく、その点でコハクチョウと区別できる。ユーラシアの寒帯で繁殖し、冬鳥として日本を訪れる。北海道の風蓮湖や尾岱沼などをへて、野辺地湾、北上川、伊豆沼など本州北部の湖沼や海岸などで越冬する。水草をおもに食べ、水生昆虫なども食べる。近年は、日本各地で人による給餌も行われ、越冬数が増えつつある。
              ──『百科事典マイペディア』
オオハクチョウの繁殖地はアイスランドからアリューシャン列島まで地球を半周するほど広い。渡りは9月後半に始まり、3〜4月に北へ戻る。
オオハクチョウは水面から飛び立ち、水面に降りる場合がほとんどだ。助走は短く、大きな翼をはばたかせて宙に浮く。上空8200メートルでの目撃例もあるが、高さだけでなく移動距離の長さも特徴で、アイスランドからアイルランドまでの約1300キロの渡りは、ハクチョウ属の中で最長の部類に入る海洋横断ルートだ。
              ──『ナショナル・ジオグラフィック日本版』写真解説


天空に舞う白鳥もいますよ。
ギリシア神話の大神ゼウスがレダという美人の娘に会う際に化身した姿がこれ。
白鳥座は北十字としても知られています。
日本では秋~冬に見える星座です。

2016年6月29日水曜日

ほんわか、ほのぼの

<A>

<B>

同じ写真を使って、雰囲気の違う動画を作ってみました。

「ネタに困ったら子どもか動物を使え」と言われる業界もありますが、癒しに関していえば、子どもと動物の組み合わせは最強かもしれませんね。
どちらも自然体で一瞬一瞬を生きているからでしょうか。
それにしても、動物相手に無邪気な表情を見せてくれる子どもたちと、その小悪魔にされるがままの動物──、お互いに信頼しあって愛があるからこそでしょうね。
きっとサーカス団か何かの子どもで、生まれたときからずっと動物と一緒に育ったんだろうと思います。
でなければ、自分の何倍も大きい動物に対して、怖れを感じずに接するなんて、とてもじゃないけど、できそうもありませんから。
いずれの写真も思わずクスッとしてしまいます。
どんなに落ち込んでいても、悲しみのどん底にあったとしても、気持ちがほぐれること間違いなしです。

さて、今回のこの写真、ジョン・ドライズデール John Drysdale という写真家さんの『フォエヴァー・フレンズ Forever Friends』という写真集から拝借したものです。
Wikipediaから彼の経歴を引用させていただこうと思ったんですが、同姓同名の別人しかなったので、彼の公式サイト(http://www.johndrysdale.com/default.htm)の内容を翻訳して載せますね。




ジョン・ドライズデールは東アフリカで、写真と動物に興味を覚えながら育った。1950年代初頭イギリスのギルフォード芸術学校で学び、セシル・ビートンが撮影するエリザベス女王2世の即位式の公式写真のアシスタントを務めた。以降、報道写真、広告写真、産業写真で活躍し、数多くの賞を受賞。もっとも記憶に残る作品としては、おそらく、ユーモアの分野、実生活における子どもたちと動物たちを題材にしたものだろう。これらは世界に新たな見解を与えるものである。



音楽は雰囲気に合わせて違うものにしました。
<A>は神山純一さん作曲の曲、『琥珀色の風景』ですが、タイトルから写真をセピアの色調する効果を追加しました。
この曲は「CRYSTAL DEW 3」というアルバムに収録されています。
ガラス管を叩いたり擦ったりして音を奏でているそうです。

<B>はクラシックの名曲、ドヴォルザークの『ユーモレスク』を若干アレンジしています。
ユーモレスクとは、気まぐれでユーモアのある19世紀の器楽曲のジャンルのひとつです。
子どもや動物の情景にはぴったりだと思い、この曲を選びました。
(前述の業界では、自分の意図するように動いてくれないから敬遠される理由のようですが。)

背景は壁紙サイトのwallpaperswide (http://wallpaperswide.com)のものです。
しゃぼん玉みたいな雰囲気が気に入っています。
<B>が元々の色です。

2016年6月28日火曜日

書物についての優れた名言 ― EXCELLENT QUOTES ON BOOKS

《日本語版 Japanese version》


《英語版 English version》

この動画で使用させていただいたのは AC WORKS さんの写真です。
音楽は HURT RECORD さん(www.hurtrecord.com)のものですが、別のビデオでも使わせていただいています。
その記事はこちら
http://cocolosupplie.wix.com/cocolo-supplie-blog#!scenery-havent-seen-yet-未だ見ぬ景色/c218b/5703c4b40cf2efb3747c663b
著作権フリーBGM配布サイト HURT RECORD ロゴ素材
日本語版・英語版ともに同じ写真、音楽です。

9人の名言を紹介していますが、それぞれの生い立ちなどを見ていきましょう。
すべて『ブリタニカ国際大百科事典』からの引用です(一部抜粋 ※ロバート・G・インガソルのみWikipedia)。
ただ、リュウカンに関してはどうしても該当の人物が見当たりませんでした。
おそらく中国の人だろうと思うのですが、検索してもゲームのキャラクターしかヒットしないんですよね。
名言からも検索したんですが、これも人物にたどり着きませんでした。


◆ウォルト・ディズニー Walt Disney
Walter Elias Disney
1901.12.05生~1966.12.15没
アメリカ合衆国シカゴで生を受けたアニメーション映画制作者。1928年『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』でアニメーション映画初のトーキー化に成功し、ミッキーマウス、ドナルドダックの生みの親として世界的に人気を博す。1937年初のカラー長編アニメーション映画『白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs)』を制作、以降『ピノキオ(Pinocchio)』(1940)、『ファンタジア(Fantasia)』(1940)、『ダンボ(Dumbo)』(1941)、『バンビ(Bambi)』(1942)、『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)』(1951)、『眠れる森の美女(Sleeping Beauty)』(1959)などを発表。まんが映画のほかに『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』(1964)などに代表される家族向け娯楽映画、さらに記録映画も制作。1955年には巨大な遊園施設ディズニーランドをカリフォルニア州アナハイムに開設した。

◆ジョン・ラスキン John Ruskin
1819.02.08生~1900.01.20没
イギリスの著述家、美術評論家、画家。オックスフォード大学在学中に絵画を修業、1840~42年学業を中断してイタリアへ旅行。J.ターナー(1775~1851、イギリスの風景画家)の影響を強く受け、卒業後彼に関する最初の論文『近代画家論(Modern Painters)』第1巻を著述(1843)。その後イタリアで絵画、建築を研究し、『建築の七燈(The Seven Lamps of Architecture)』(49)を完成し、またベネチアの教会、宮殿のデッサン、水彩画をまとめて『ベネチアの石(The Stones of Venice)』(51~53)として出版。60年には『近代画家論』第5巻を著した。69年オックスフォード大学美術史教授に就任。晩年は芸術と社会の関連から社会問題、経済問題に取り組んだ。なお彼の魅力ある自伝『過ぎしことども(Praeterita)』(85~89)は彼の死により未完に終わった。

◆トーマス・アルヴァ・エジソン Thomas Alva Edison
1847.02.11生~1931.10.18没
アメリカの発明家、企業家。年少の頃から正規の教育を受けず、図書館などで独学。非常な努力家で、列車内で新聞売りをしながら実験室をつくった逸話は有名。1863年に電信技士となり、各地を放浪。その間手当たり次第に科学雑誌を読破。特にM.ファラデーの『電気学の実験的研究』に魅せられた。68年投票記録機で最初の特許を得たが、需要がまったくなく、不成功に終わった。それ以降需要のあるものだけの発明に専心し、数々の発明品を世に送った。76年メンローパークに応用科学研究所を創設。1000件を越す発明を達成し、企業化に努力した。蓄音機(1877)、白熱電球(79)、活動写真(91)など発明は人々の生活を一変させた。彼には83年のエジソン効果の発見のように純科学的業績もあり、自然科学者としても十分に通用する人であった。

◆ナポレオン・ボナパルト Napoleon Bonaparte
1769.08.15生~1821.05.05没
フランス第一帝政の皇帝(在位1804~14)。コルシカ人貴族の家に生まれ、フランスで教育を受け、パリ士官学校を卒業(1785)。フランス革命初期にはジャコバン・クラブに入会し、コルシカ独立運動に参加したが、指導者パオリと衝突し、1793年一家をあげてフランスに亡命。同1793年ニースの連隊に復帰したが、この頃からナポレオン・ボナパルトと呼ばれるようになった。1796年3月9日ジョゼフィーヌと結婚。カンポフィルミオ条約によってイタリアで5年間続いた戦争は収拾され、ナポレオンの人気は頂点に達した。1798年7月エジプトに遠征、1799年11月E.シエイエスと結んでブリュメール18日のクーデターを断行し執政政府を樹立、軍事独裁を始めた。1804年5月に帝国成立が宣言されると皇帝に即位。以降産業振興、学制改革、行政、司法の再編成などを行った。1807~10年頃相次ぐ対外戦争の勝利によってその威信と権力は頂点に達したが、1814年5月エルバ島に流された。島を脱出したのち、ワーテルローでイギリス軍と戦って敗れ、セントヘレナ島に流されて同地で没した。

◆ロバート・G・インガソル Robert G. Ingersoll
Robert Green Ingersoll
1833.08.11生~1899.07.21日没
アメリカの弁護士、政治的指導者、不可知論者。隷制度廃止主義者の牧師だった父の急進的な考えによって、イリノイ州ピオリアに落ち着くまで頻繁に引っ越した。インガーソルはそこで弁護士に弟子入りし、一人で住むようになった。南北戦争後、イリノイ州検事総長を務めた。彼は当時今日よりは進歩的だった共和党の重要な党員となった。彼は党で地位につかなかったが、積極的に党の活動に参加した。1876年、ジェームズ・G・ブレインの推薦スピーチをした。ブレインは当選できなかったが、推薦スピーチが評判となった。演説が公共の楽しみであった時代、インガーソルは演説者として知られた。彼はシェークスピアの事から南北戦争後の事まで何でも話したが、彼のもっとも得意としたのは不可知論と尊厳と組織の堕落についてであった。彼の演説は3時間以上続くこともあったが、彼はそれを暗記していた。聴衆たちは退屈することが無かったという。

◆サミュエル・バトラー Samuel Butler
1835.12.04生~1902.06.18没
イギリスの小説家。初め聖職者を志してケンブリッジ大学に学んだが、既存のキリスト教にあきたらず、ニュージーランドに渡って牧羊業者として成功。1864年帰国して絵を描き作曲するかたわら文筆活動に従い、ビクトリア朝の社会を風刺したユートピア小説『エレホン(Erewhon)』(1872)、一家の歴史を描きつつ偽善的な宗教、倫理を痛撃した自伝的小説『万人の道(The Way of All Flesh)』(1903)をはじめ、宗教や進化論に関する著作、『エレホン』の続編『エレホン再訪(Erewhon Revisited)』(01)などを書いた。

◆リュウカン Liu Kang

◆モーティマー・アドラー Mortimer Adler
1902.12.28生~2001.06.28没
アメリカの哲学者、教育者、編集者。1928年コロンビア大学で哲学博士を取得。同大学で教えたのち、シカゴ大学法哲学教授となった。52年R.ハチンズとともに『Great Books of the Western World』54巻を編集、重要概念の索引であるを企画、編集した。同年サンフランシスコ(1964以降シカゴ)の哲学研究所所長、69年『ブリタニカ百科事典』第15版の編集責任者となった。主な著・編書に『How to Read a Book』(40)、『Gateway to the Great Books』(63、10巻)、『The Great Ideas Today』(61~)、『Annals of America』(20巻)などがある。

本を読むのが楽しくなるかもしれませんよ。

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