2017年2月2日木曜日

節分 Setsubun (Bean-throwing Festival)




つい先日年が明けたと思ったら、もう春の便りが聞こえてくる頃になりました。
節分が終わると、春!
ということになっていますね、暦の上では──。
中国南部の気候に合わせた暦なので、日本ではまだまだ寒い日が続きます。
これからは暖かかったり寒さかったり、気温が不安定で体調を崩しやすいので十分に注意してくださいね。
でも、梅の花はほころび始め、野の花も咲き始めているので、着実に春へと近づいています。

子どもの頃は、家でも近所でも「鬼は外、福は内」の掛け声が聞こえてきたものですが、最近はニュースで寺社の豆まきを見るくらい……。
伝統的風習が影をひそめていくようで、ちょぴり寂しい気がします。

さて、節分とはなんなんでしょう?
ちょっと本を数冊紐解いてみましょうか。
まずは動画中にも使ったものから。

節分の豆まき Setsubun (Bean-throwing Festival)


冬至と春分の中間の日が「立春」の日。新暦で2月4日頃。その前日が「節分」。この日の夜、人々は「鬼は外、福は内」と叫びながら、家の外と内に炒った大豆をまく。その後で、自分の年齢の数だけの大豆を食べる。大きなお寺や神社で、豆まきを行うところもある。
Risshun (the first day of spring) comes between Toji (the Winter Solstice) and Shunbun (the Vernal Equinox). Risshun arrives around Febrary 4 in the solar calendar. Setsubun is the day preceding Risshun. On Setsubun night, roasted soybeans are scattered both inside and outside the house with cries of, “Out with the demons, in with good fortune!” Afterward, people eat the same number of beans as their age. Setsubun bean throwing is also celebrated at large temples and shrines.
──『心にひびく日本のしきたり TIES WITH THE PAST; Japanese Customs, Traditions and Manners』酒井信彦・監修(講談社バイリンガル・ブックス/2011年)


節分

2月3日頃(旧暦12月晦日頃)

◆冬の陰気を祓う年迎えの行事
 節分とは文字通り、節(季節)の分かれ目のことで、本来は立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。しかし現在では、立春の前日(2月3日頃)のみをいうようになりました。
 節分が特に立春の前日を指すようになったのは、旧暦では立春が正月と同じく新年の初めとされていたためです。立春前の節分は、春という新年を迎える前日、つまり大晦日とも共通する特別な日でした。そのため、立春前の節分には他の節分にないさまざまな年迎えの行事が執り行われ、現在に残ったのです。
 節分の夜、豆をまいて厄を祓うのはおなじみですが、その由来とされるのが宮中の年中行事「追儺(ついな)」です。もともと追儺は、新年を迎えるにあたり邪気を祓うために行われた古代中国の宮廷儀式で、日本には奈良時代に伝わりました。
 ただし、当時は豆をまく風習はなく、桃の木で作った弓、葦の矢で鬼に見立てた邪気を追い払っていました。現在のように豆をまくようになったのは南北朝時代からで、江戸時代になると一般庶民の行事として広まりました。
●鬼の正体
節分で追い出す鬼とは、もともと疫病・災害などのことを指しました。人の目には見えない隠れた恐ろしいものということで「隠(おに)」という漢字があてられていました。日本では陰陽五行説の思想から鬼は丑寅(北東)の方角(鬼門)にいるとされ、牛の角と虎の牙を持つ、人を食べてしまう恐ろしい怪物と考えられていました。
●鬼の目を打つ魔目(まめ)
節分では炒った大豆で鬼を退治します。大豆で鬼の目を打つことから「魔目」ともいわれました。
●鬼が苦手な鰯(いわし)の臭い
 鬼は鰯のにおいが大の苦手といういわれから、鰯は鬼を払うことができるとして、節分の夜によく食べられます。大晦日の年取りの魚にも共通する鰯は、この時期、脂がのっておいしいことも、よく食されている大きな理由です。
●やいかがしは魔よけのおまじない
 「やいかがし」は「焼き嗅がし」の意味で、焼いた鰯の頭をヒイラギの枝に刺し、門口や家の軒下につるす風習です。毒草でトゲのあるヒイラギで鬼の目を刺し、鰯の臭いで鬼を追い払うという魔よけのおまじないです。
 ちなみに「鰯の頭も信心から」のことわざはここからきたものです。
●一年の豊凶を占う豆占(まめうら)
 節分の夜、農家などで囲炉裏(いろり)の周囲に月数分の12粒(閏年は13粒)の大豆を置き、焼け具合によって月々の天候を占うというもの。群馬県水上町では、火がついて赤くなれば「日照り」、黒こげになれば「雨」、くすぶるだけで焦げないと「風」というように占います。この豆占は各地に残っていて、占い方もさまざまです。
●恵方(えほう)巻きで無病息災を祈る
 比較的新しい風習ですが、関西には節分の日に恵方、すなわち良い方角を向いて太巻き寿司を丸かじりすると、1年を無病息災で過ごせるという言い伝えがあり、これを「恵方巻き」と呼んでいます。
 太巻きの具はかんぴょう、きゅうり、でんぶなど、七福神にちなんだ7種類。食べ終わるまで何もしゃべらないのが決まりです。
●豆まきの仕方
 節分の前日は大豆を一升枡(いっしょうます)か三方(さんぽう)に入れて神棚に供えます。これを「福豆」といいます。当日は日暮れまでに豆を炒ります。
 夜になったら家中の戸を開け放って、一家のあるじが家から鬼を追い出すように「鬼は外、福は内」と大声で唱えながら豆をまいていき、福が出て行かないように強く戸を閉めます。
 その後、それぞれ自分の年齢の数(または数え年の数)だけ豆を食べます。この豆を「年取り豆」といい、1年の無病息災を祈ります。
 お年寄りのように、豆の数が多く食べるのが大変な場合は、年の数の豆に熱いお茶を注いで「福茶」にします。「福茶」は年の数だけ食べるのと同じ御利益があるといわれています。
──『和ごよみと四季の暮らし』新谷尚紀・監修(日本文芸社/2007年)


節分


 本来は、季節の分かれ目の意味であり、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前日をさす。その中でも、太陰太陽暦、いわゆる旧暦の正月に近い立春の前日がもっとも重要だとされており、現在では立春の前日のみを節分というようになった。そのため、正月や小正月と同じような年頭の行事が行われる。現在使われている太陽暦では2月3日または4日にあたる。節分には豆撒(まめま)き・追儺(ついな)・豆占(まめうら)などの行事が行われる。
豆撒き
炒った大豆を一升枡に入れて神棚に供え、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒くことをいう。節分の夜に行う。豆撒きをするのは、年男や戸主であり、まず神棚から撒き始め、ついで各部屋や出入り口で撒き、撒き終わると悪いものが入ってこないように急いで戸を閉めた。村境や辻まで行って豆を撒いてくることも多い。豆撒きの唱え言では、「福は内、鬼は外」が一般的であるが、鬼を祀っている神社や、「鬼」の文字の入った地城や姓の家、先祖が鬼とかかわったという伝承のある家などで、「鬼も内」と唱えるところもある。
 豆撒きが終わると、年の豆といって、家族がそれぞれ自分の年齢の数、または年齢に1つ加えた数だけ豆を食べた。豆を食べると1年中、病気にかからないなどという。また、豆を煮出した福茶を飲むこともある。栃木県南東部などでは、初雷のときに食べると雷が落ちないといい、神棚に上げてとっておいた。
 各地の寺院でも、節分祭として豆撒きが行われている。成田山新勝寺(しんしょうじ)や浅草寺(せんそうじ)のように、大相撲の関取や芸能人、スポーツ選手などが豆を撒き、毎年、多くの参拝者で賑わうところも多い。
追儺
 追儺は宮中の年中行事の1つであった。鬼を払う役を方相氏(ほうそうし)といい、四つ目の面をつけて、矛(ほこ)と楯(たて)を持ち、大声を上げて大内裏を回った。のち、鬼を払う役であった方相氏が異様や面や服装のためか、逆に鬼として追われる対象となった。鬼を払う追儺は、寺院の修正会(しゅしょうえ)・修二会(しゅにえ)に取り込まれた。神社でも、節分祭を行うところは多い。
豆占
 節分の夜に囲炉裏(いろり)に大豆を12粒ならべ、大豆の焦げ具合でその年の吉凶や天候、作柄を占うことをいう。閏年は大豆を13粒用いる。
厄落とし
 一生のうち、厄にあいやすいとされる年齢があり、男性は数え年の25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳をいう。特に男性の42歳、女性の33歳は、大厄だといわれ、前年を前厄、該当年を本厄、翌年を後厄といった。厄を落とすために神社に参拝したり、人を招いて御馳走をしたり、餅を搗(つ)いて撒いたりした。このような厄を落とす儀礼を節分に行う地域が多く、寺社で行われる豆撒きは、厄年の者が厄を落とすために撒く。
やいかがし
 節分の夜に、イワシの頭を焼いたものを戸口に挿し、臭気で鬼を追い払う。焼き嗅がし、の意味である。多くは、マメガラで焼いたイワシの頭を挿し、ヒイラギの葉をあしらったもので、イワシの臭気とヒイラギの刺(とげ)で鬼を追い払うという。イワシの頭を焼くときに、髪の毛やネギ・ニンニクのような強い臭気のものも一緒に焼く地域もある。
 静岡県沼津市では、囲炉裏でマメガラやグミの木を燃やし、イワシの頭を串に刺し「烏の口焼き」「よと虫の口焼き」「もぐらの口焼き」とそれぞれ唱えては唾を吐きかけて火で炙った。グミは燃えるときに、パチパチという音といやな臭いを出す。さらに戸口に挿すときには「やっかがしも候、ながながも候、借金もたくさんにござ有り候、長々によこせと言えばやりもするが、隣の婆さん屁をひってうんくしゃありしりゃあくしゃあ」と大声で唱えたという。
──『知っておきたい日本の年中行事事典』福田アジオ、菊池健策、山崎祐子、常光徹、福原敏男・著(吉川弘文館/2012年)


節分


◆立春前夜、冬の陰気を祓う年迎えの行事
 節分とは文字通り、節の分かれ目のことで、本来は四季の始まりとされる立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。しかし現在では、立春の前日(2月3日頃)のみを節分と呼ぶようになりました。
 旧暦では、節分は春という新年を迎える前日であり、元日前日となる大晦日とも共通する特別な意味を持つ日でした。このため、特に立春前日だけを節分とするようになり、ほかの節分にはないさまざまな年迎えの行事が執り行われ、今日に至ります。
 節分の夜、各地の寺社では節分祭が行われ、炒った大豆をまいて鬼を追い出す厄祓をします。もともとは、古代中国の宮廷儀式で、新年を迎える前に邪気を祓うために行われていたものが日本に伝わり、やがて「追儺(ついな)」あるいは「鬼遣(おにやらい)」という宮中の年中行事となり、毎年大晦日に行われていました。
 ただ、当時の宮中では豆をまく風習はなく、桃の木で作った弓・葦の矢を用いて、鬼に見立てた邪気を追い払っていました。現在のように豆をまくようになったのは室町時代からで、江戸時代になると一般庶民の行事としても広まりました。
節分で追い出す鬼とは、もともと疫病・災害などのことを指しますが、人の目に見えず隠れ住むということを意味する言葉「隠(おに)」に由来するという説が有力とされています。日本では鬼のことを牛の角と虎の牙を持つ、人を食べてしまう恐ろしい怪物と考え、陰陽五行説の思想から鬼は丑寅(北東)の方角(鬼門)にいるとされていました。
●歳の夜
 旧暦では2月3日の節分の頃が正月となるため、今でも節分を「歳の夜」ということがある。豆まきの後に年の数より1粒多く豆を食べる節分の習俗と、元旦にお餅を食べる習慣には、いずれも「歳を1つ重ねる」という意味があり、昔は元旦と立春とが、ともに年末年始の年取りの機会とされていた。
●年内立春
 太陽の信仰に基づく太陽暦と月の満ち欠けによる太陰暦、この両方を採り入れた暦が太陰太陽暦で、現在では旧暦と呼ばれている。この太陰暦は閏月(うるうづき)で調整するため、太陽暦とは季節のずれが生じ、立春などの日にちが年ごとに変わってくる。年によっては、立春が正月の前に来てしまう「年内立春」もあり、『古今和歌集』などの歌にも詠まれている。

◆豆の霊力で鬼を払う豆まきのしきたり
節分の夜に家庭で行われる豆まきは、炒った大豆で鬼の目を打ち対峙することから「魔目(まめ)」と呼ばれるという面白い節もあります。日本には古くから豆や米には霊力が宿っていると考えられており、米や豆をまいてお祓いをする習慣があります。神事の中の散米や節分の豆まきもその一つです。またその霊力により年取りの意味を持つ正月には餅を、節分には炒った豆をそれぞれ食べる習わしがありました。
 節分前日には、大豆を一升枡(いっしょうます)か三方(さんぽう)に入れた「福豆」を神棚に供えます。節分当日は、日暮れまでに豆を炒り、夜になったら家中の戸を開け放って豆まきを始めます。
 一般的には、一家のあるじが年男となって、家から鬼を追い出すように「鬼は外、福は内」と大声で唱えながら豆をまく一方、福が出て行かないように強く戸を閉めていきます。
 その後、「年取り豆」といい、それぞれ自分の年齢の数、あるいは数え年の数だけ豆を食べ、1年の無病息災を祈ります。豆の数を多く食べるのが大変なお年寄は、年の数の豆に熱いお茶を注いで「福茶」にして飲みます。「福茶」は年の数だけ食べるのと同じ御利益があるといわれています。
農家などでは、節分の夜、囲炉裏火の周囲に月数分となる12粒(閏年は13粒)の大豆を置き、焼け具合によって月々の天候を占う「豆占(まめうら)」が行われ、各地で伝承されています。たとえば群馬県水上町では、豆に火がついて赤くなれば「日照り」、黒こげになれば「雨」、くすぶるだけで焦げないと「風」というように占います。
 ところで鬼には、鰯のにおいが大の苦手といういわれがあります。節分で魔除けのおまじないとされる「やいかがし」は、「焼き嗅がし」の意味で、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺し、門口や家の軒下につるす風習です。トゲのある柊で鬼の目を刺し、鰯の臭いで鬼を追い払うと考えられてきました。また、「鰯の頭も信心から」のことわざも、ここからきたものです。
鰯は鬼を払うとして、節分の夜の食卓にも登場します。大晦日の年取りの魚、鮭(さけ)や鰤(ぶり)と尾同じように、この時期の鰯は脂がのっておいしいことも、よく食されている大きな理由です。
 また、比較的新しい風習に、関西生まれの「恵方(えほう)巻き」があります。かんぴょう、きゅうり、でんぶ、椎茸など、七福神にちなんだ7種類の具が巻かれた太巻き寿司を、節分の日に、その年のよい方角とされる恵方を向いて無言で食べるのが約束事となってきています。
●豆
 健康であることを「まめ」ともいうのは、健康の象徴である大豆の「豆」に語呂を合わせたもの。また硬い大豆は「木火土金水(もくかどごんすい)」からなる五行では「金」にあたり、疫病や災忌は金に属すものと考えられていた。このため豆まきを「金」の気を剋(こく)し、春の気を助ける行事とする考え方もある。このほかに「豆」を「魔滅(まめ)」とする説もあり、豆は鬼を払う道具でありながら鬼そのものでもあるととらえ、鬼である豆を外に投げ「鬼は外」と唱えるとも考えられている。
●鬼は内
 悪者を退治する鬼・元興神(がごぜ)がいるとの言い伝えがある奈良市中院町の元興寺(がんこうじ)、鬼は接待するという習わしがある奈良県の天河(てんかわ)神社などは「鬼は内、福は内」という。このほかにも鬼の字がつく地名を持つ地域・寺社では、鬼は福運をもたらす存在と考えられており、「鬼は外」の口上を禁句とするところがある。
●やいかがし
焼き嗅がしの意味。臭気の強いもので鬼を祓う風習で、鰯の頭を焼いて柊になどの串に刺し、戸口にさす。鰯のほかにネギ、ニンニクなどを焼く地域もあった。
──『和のしきたり 日本の暦と年中行事』新谷尚紀・監修(日本文芸社/2007年)


節分 2月3日頃

季節の変わり目の厄除け=鬼退治
 2月3日(年によっては4日)の節分はもともと、季節の変わり目をあらわす言葉です。かつては立春、立夏、立秋、立冬の前日をそれぞれ節分と呼びました。旧暦では立春前後に年があらたまることから、これを大事な節目として、やがて立春の前日だけを「節分」と呼ぶようになったのです。古くは季節の変わり目に鬼がやってきて災いや疫病をもたらすと考えられていました。これを避けるために行われるようになった風習が「豆まき」や「やいかがし」。節分は、家の中の鬼を追い出し、外から福を招き入れて、1年の無病息災を祈る行事なのです。
●豆まき
鬼を追い出し、福を招き入れる
 古代中国の「追儺(ついな)」という儀式が起源で、奈良時代以降に日本に伝わったとされます。かつては鬼の面をつけた人を邪気に見立て、弓を鳴らして追い払う行事でしたが、やがて豆をまく行事に形を変え、江戸時代には庶民の間にも広まりました。
 豆まきの手順は、①炒った豆を升か三方に入れ、夕方まで神棚にお供えします。豆まきは夜になってから行います→②玄関や窓を開け放ち、「鬼は外」と2回唱えながら豆をまきます。年男か厄年の男性がいない場合は一家の主人が豆をまきます→③「福は内」と2回唱えながら、家の中に豆をまきます。まき終わったら、福が出て行かないように戸や窓をしっかり閉めます→④1年の無事を祈り、年の数だけ豆を食べます。お年寄りは、年の数の豆にお茶を注いで「福茶」にして飲みます。
●やいかがし
臭いもの、とがったもので鬼払い
 節分の夜には、柊の小枝に鰯の頭や豆殻を串刺しにして、これを軒下や戸口に立てておく風習があります。これは「やいかがし」と呼ばれ、邪気や疫病を追い払うためのまじないです。地方によっては、鰯のほかに、玉ねぎやらっきょう、にんにくや髪の毛を焼いたものなど臭いものを集めて刺すこともあります。また、柊に代えて竹串や柳の箸などを用いることもあり、これらは鬼の目を突くためのもの。悪臭ととがったもので、家の中から鬼を追い払おうとする風習です。
──『日本のしきたりがわかる本』新谷尚紀・監修(主婦と生活社/2008年)

いかがですか?
日本に生まれ育っていても、「へぇ、そうなんだ」「知らなかった」という声が聞こえてきそうですね。
かくいう私も詳しくは知らなかったんですが──。

でも、世のお父さんは大変ですね。
妻子のために身を粉にして?働いて、休日もぐうたらしてると白い目で見られ、挙句のはてに節分では鬼に扮して豆を投げつけられるなんて。
一家の主が率先して豆を撒く行事なんですが──。

今回の動画の写真はAC WORKSさんとPHOTO LIBRARYさんのものを併せて作りました。
曲は hurtrecord (www.hurtrecord.com)さん。
和風の曲調がいい感じですね。

あ、タイトル画面に使っている花のことも書いておかねば。
特にこの年中行事と関連があるわけではないんですけどね。

セツブンソウ【節分草】Eranthis pinnatifida

キンポウゲ科の小型の多年草。関東以西の本州に分布し、山の木陰に生える。地中に球状の塊茎があり、その頂部から茎や葉が伸び、下部からひげ根を出す。根出葉は5~10cmの細い葉柄があり、ほぼ五角形の葉身は3深裂し、側片はさらに2深裂したうえ、各裂片は羽状に切れ込んでいる。春、非常に早く、茎の頂部に深くいくつにも裂けた無柄の葉(総包)がつき、さらにその上部に径2cmの白花を1個つける。萼片は5枚あり白色の花弁状で大きく、花弁は黄色で小さくふたまたに分れて基部に蜜腺をつける。薄紫色の葯(やく)をもった多数のおしべがある。心皮は1~5個。節分の頃開花するのでこの名がある。
  ──『ブリタニカ国際大百科事典』







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