2016年8月28日日曜日

求む! 動画素材



cocolo supplie ココロさぷり では癒し系動画に使用する写真・音楽・詩などのオリジナル素材を探しています。
動画中や動画説明文もしくはブログ等でクレジット表記させていただきますので、世界中にアピールすることも可能になるはずです。
(現在、日本はもちろん、アメリカ、カナダ、ドイツ、タイ、オランダ、ブラジルなどの方が視聴してくださっています。)
皆さんの作品(写真・音楽・詩など)は単体で鑑賞しても素晴らしいものであることは間違いありませんが、組み合わせることで、新しい感動を生むこともあるのではないでしょうか?
一緒にコラボしませんか?

すべての作品は、多くの人に安らぎを与えるもの、ほとんどの人に不快感を与えないものに限ります。
具体的には、ヌードや性的表現のあるもの、誹謗中傷、犯罪に関するもの、マイナスのイメージを与えるもの、またはそれらを連想させるものはお断りさせていただきます。
cocolo supplie ココロさぷり の動画をご覧いただき、ご自身で判断していただくとともに、ご紹介を見送らせていただく場合もありますので、予めご了承ください。

すべての作品は、cocolo supplie ココロさぷり で買い取るわけでありません。
あくまで善意による提供をお願いするものであり、金銭の授受は発生しません。

すべての作品には変更を加える場合があります。
例えば、写真であれば縦横比を変える、主要部分を切り取るなど、音楽であればカットする、繰り返す、テンポを変えるなど、詩の場合は複数の動画に分割するなどが考えられます。

写真は1つの動画すべてを同じ方の作品を使わせていただく場合は問題ありませんが、複数の方の写真を使用する場合、
写真とクレジットが一致しないことも考えられるので、4:3、16:9の縦横比どちらにも対応できる位置に予めクレジットを入れていただくと助かります。
風景、抽象的(ボケやアブストラクト)、動物などを希望します。
旅行先で撮った記念写真(被写体が人物のもの)などは、控えていただきたいと思います。
同じ記念写真でも風景などでしたらOKです。

音楽は短くても長くてもどちらでもかまいませんが、長い場合は先ほどもお伝えしたとおり、カットさせていただく場合もありますので、ご了承願います。
cocolo supplie ココロさぷり の動画は5分程度のものが多いため、それぐらいの長さのものが理想です。
短いものだと、繰り返し(ループ)再生しても不自然にならないものがいいですね。
また、歌(ヴォーカル)入りではなく、楽器演奏のみのものにしてください。
歌詞が癒しの効果をもつものも、歌詞(テキスト)と伴奏(音声ファイル)とを分けてください。
歌っている曲は別ヴァージョンとして紹介させていただきます。
テンポはゆっくりめ、流れるようなメロディーで、細かくリズムを刻まないものが良いと思われます。
子守歌をイメージしてもらうといいかもしれません。
現在著作権が有効な楽曲のカヴァーはNGです。
クラシック曲の大半は著作権の点ではOKなので、アレンジもしくはご自身の演奏にしてください。

詩に関しては、切れ目(句読点に準ずる箇所や息継ぎ箇所)なく延々と続くものは、動画に仕立てにくいので避けていただくようお願いします。
旧字体や特殊な読みを必要とする語(たとえば「運命」と書いて「さだめ」と読むなど)、普段目にする機会がほとんどない漢字が少しある分にはかまいませんが、多いとルビをふることができないので、割愛させていただく場合もあります。
解説が必要な専門用語はブログ上でお伝えすることになります。

古典を含む文学作品の朗読も大歓迎ですよ。
作家没後50年が経過しているもので、著作権が切れているものを選んでくださいね。

名言・格言の類は作者および出典を明記していただければ、多分大丈夫だと思います。
(あとで調べてみます。)

さらにご質問があれば、右のお問い合わせ欄からメールを送信してください。

以上の条件をふまえ、作品を提供してくださる方は、圧縮ファイル(.zip / .rarなど)をメール添付にてお送りいただくか、Googleクラウドや宅ファイル便などのファイルサーバー経由でダウンロードできるようにしてURL・パスワードをお知らせください。

ご自身の作品でなくても、こんなサイトがある、あのサイトからダウンロードできるといった情報でもかまいません。

いずれの場合も、本文右脇の問い合わせフォームからメッセージ欄に「動画素材の件」としてメールを送信してください。
折り返しご連絡いたします。
お名前は無記入でもメールは送信されますが、できればニックネームでも入力していただけれると助かります。
メールアドレスはご連絡のみに使用しますので、ご安心を。
メールアドレスは間違いのないようご注意ください。

素晴らしい動画を世に提供するため、皆さんのご協力をお願いします。

今回の動画の素材です。
PHOTO:  http://wallpaperswide.com
MUSIC:  DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)

シリーズ「日本の情景 Scenes in Japan」まとめ




今まで4回にわたりご紹介してきた「日本の情景 Scenes in Japan」シリーズ、もうご覧いただいてますか?
「全16本まとめて見たい!」という豪儀な方のために、再生リストに登録してあります(上記動画をクリックすると16本全部再生されます)。

「自分の好きな順番で見るんだ!」という方は、下記リンクからどうぞ。
タイトルをクリックすれば別窓で動画をご覧いただけます。

【癒し HEALING】日本の情景 -花- Scenes in Japan -flower-

【癒し HEALING】日本の情景 -花火- Scenes in Japan -fireworks-

【癒し HEALING】日本の情景 -寺社・城- Scenes in Japan -temple, shrine, castle-

ブログ記事⇒http://feedproxy.google.com/~r/blogspot/XWgpaF/~3/bfQWn8iU2sE/scenes-in-japan.html


【癒し HEALING】日本の情景 -清流- Scenes in Japan -stream-

【癒し HEALING】日本の情景 -紅葉- Scenes in Japan -leaves in autumn-

【癒し HEALING】日本の情景 -空・海- Scenes in Japan -sky and sea-

【癒し HEALING】日本の情景 -町並- Scenes in Japan -town-

ブログ記事⇒http://feedproxy.google.com/~r/blogspot/XWgpaF/~3/Z1shHLLMjRQ/scenes-in-japan2.html


【癒し HEALING】日本の情景 -緑- Scenes in Japan -green-

【癒し HEALING】日本の情景 -雅- Scenes in Japan -elegance-

【癒し HEALING】日本の情景 -寂- Scenes in Japan -tranquillity-

【癒し HEALING】日本の情景 -里- Scenes in Japan -village-

ブログ記事⇒http://feedproxy.google.com/~r/blogspot/XWgpaF/~3/nVxbitmMj2U/scenes-in-japan3.html


【癒し HEALING】日本の情景 -諸々- Scenes in Japan -miscellanea-

【癒し HEALING】日本の情景 -侘- Scenes in Japan -simplicity-

【癒し HEALING】日本の情景 -山・虫- Scenes in Japan -mountain and insect-

【癒し HEALING】日本の情景 -雪- Scenes in Japan -snow-

ブログ記事⇒http://feedproxy.google.com/~r/blogspot/XWgpaF/~3/81YbyLauHVA/scenes-in-japan4.html


2016年8月26日金曜日

シリーズ「日本の情景 Scenes in Japan」その4

日本にいるとつい見過ごしがちな光景でも、改めて見ると新たな発見があったりします。
4年後の2020年には日本で開催される4度目のオリンピックがありますから、街は180度(とまでいかないにしても)様変わりし、外国人観光客も多く訪れることになるでしょうね。
日本人なら「ああ、そうそう、こういう光景あったよね」と再認識する機会、外国人の皆さんには「日本はこういう国なのか」とイメージを膨らませる機会を、それぞれ提供したいと思い、作った一連の動画です。
全部で16本、カテゴリー別の写真に合う音楽を併せたものを公開しています。
なかには季節的に時期外れのものもありますが、まあ観てやってください。

今回のこのシリーズ、写真はすべて手持ちの素材集(A&Pコーディネータージャパン株式会社さん(http://www.apjapan.co.jp/)の『具満タン』という市販品)のものを使用しています。
当然?ですが、写真撮影を生業とするプロのカメラマンの方々の作品です。
残念ながら個々のカメラマンさんのお名前はわかりませんが。
カテゴリーはその素材集のものをそのまま使っています。
シリーズ名の「日本の情景 Scenes in Japan」はcocolo supplie ココロさぷりのオリジナルですよ、念のため。
○RなりTMなりつけたほうがいいんでしょうか(笑)。

先にもお伝えしたとおり、それぞれの動画に相応しいものを選んで併せています。
が、今回の4本もすべてDOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/) さんの曲です。
「和」のイメージで検索したしたものを聴き比べてチョイスしています。

【癒し HEALING】日本の情景 -諸々- Scenes in Japan -miscellanea-


和紙やお守りといった身近な「和」を感じさせるものの写真ですね。

【癒し HEALING】日本の情景 -侘- Scenes in Japan -simplicity-


外国人に対して説明が難しい「侘」の概念。
『ブリタニカ国際大百貨事典』ではどう説明されているのでしょうか。
美的理念を表わす語。閑寂な風趣を意味し、ある面では「さび(コチラを参照してください)」と近い。「わび」は本来「つらく思う」「零楽している」「さびしく暮す」というような意味の動詞「わぶ」の連用形で、在原行平の「わくらはに問ふ人あらばすまのうらにもしほたれつゝわぶとこたへよ」の歌にあるように、都遠い地での不足をかこつような語感を含むとみられるが、中世以降、閑寂、枯淡の美に対する愛好が深まるとともに、物の面における不足、不自由を肯定し、簡素、閑寂な生活を積極的に楽しむという意味を生じた。特に茶道においてはその究極を表わす語として重要視する。武野紹鴎(たけのじょうおう・1502~1555)は「侘(わび)ということばは、故人も色々に歌にも詠じけれども、ちかくは正直に慎しみ深くおごらぬ様を侘と云ふ。一年のうちにも十月こそ侘なれ」といい、千利休は「わび」の本意として、藤原家隆の「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」の歌を常に吟じたという。こういう美意識は中世の連歌などにも通じるものであったが、中世美術に貫通する美を継承し、近世的卑俗美を加えて蕉風を開いた松尾芭蕉においても「わび」は重視されている。
現代では日本人でもなかなか理解しにくい気がします。
まぁ、昔の人の風情ですね。

【癒し HEALING】日本の情景 -山・虫- Scenes in Japan -mountain and insect-


「山」と「虫」はあまり接点がないようですが、これは写真の数の関係で組み合わせたものです。
他はだいたい同じくらいの数だったんですが、この2つはどちらもちょっと少なかったので。

【癒し HEALING】日本の情景 -雪- Scenes in Japan -snow-


雪国の人にとっては迷惑な代物でしかなく、風流には思えないかもしれませんね。
でも古来日本では、雪は月や花と同じように美しいものとして扱われていたようですし、写真を見る限りは綺麗だと言ってもいいと思います。

2016年8月25日木曜日

シリーズ「日本の情景 Scenes in Japan」その3

日本にいるとつい見過ごしがちな光景でも、改めて見ると新たな発見があったりします。
4年後の2020年には日本で開催される4度目のオリンピックがありますから、街は180度(とまでいかないにしても)様変わりし、外国人観光客も多く訪れることになるでしょうね。
日本人なら「ああ、そうそう、こういう光景あったよね」と再認識する機会、外国人の皆さんには「日本はこういう国なのか」とイメージを膨らませる機会を、それぞれ提供したいと思い、作った一連の動画です。
全部で16本、カテゴリー別の写真に合う音楽を併せたものを公開しています。
なかには季節的に時期外れのものもありますが、まあ観てやってください。

今回のこのシリーズ、写真はすべて手持ちの素材集(A&Pコーディネータージャパン株式会社さん(http://www.apjapan.co.jp/)の『具満タン』という市販品)のものを使用しています。
当然?ですが、写真撮影を生業とするプロのカメラマンの方々の作品です。
残念ながら個々のカメラマンさんのお名前はわかりませんが。
カテゴリーはその素材集のものをそのまま使っています。
シリーズ名の「日本の情景 Scenes in Japan」はcocolo supplie ココロさぷりのオリジナルですよ、念のため。
○RなりTMなりつけたほうがいいんでしょうか(笑)。

先にもお伝えしたとおり、それぞれの動画に相応しいものを選んで併せています。
が、今回の4本はすべてDOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/) さんの曲です。
「和」のイメージで検索したしたものを聴き比べてチョイスしています。

【癒し HEALING】日本の情景 -緑- Scenes in Japan -green-


「新緑」「若葉」をイメージさせる写真なので、ちょっと時期外れですね。

【癒し HEALING】日本の情景 -雅- Scenes in Japan -elegance-


実は、どうして「雅」なのかわからないんです、コレ。
ちょっとフィルターがかかったような画だからでしょうか。
『ブリタニカ国際大百科事典』の項目説明にはこうあります。
日本文学の美的概念の一つ。「みやび」は「宮ぶ」から出た言葉で、宮廷風であることが本来の意味で、それが美意識の次元まで高められたもの。都会的な文化と密着し、都会人の繊細で鋭敏な感受性によって見出された、上品で優雅で、知的に洗練された情趣美であって、粗暴、やぼ、無知などに背反する。実生活の日常性から遊離した宮廷生活の風流で遊戯的な雰囲気のなかでの産物である。奈良時代末期からすでにみられるが、平安時代に入って京都を舞台として展開された貴族文化の美意識が核心をなしていた。

【癒し HEALING】日本の情景 -寂- Scenes in Japan -tranquillity-


外国の方には伝えにくい概念なんですよね、「寂(さび)」って。
次回ご紹介する「侘(わび)」同様、日本独自の文化なので。
翻訳家泣かせの筆頭。
『ブリタニカ国際大百科事典』の説明を抜粋しておきます。
俳諧用語。中世以来の幽玄美に、さらに枯寂な色調が加えられたもの。表面的、題材的な情調ではなく、対象をとらえる作者の心的観照、体験が「さび」をもっているのである。

【癒し HEALING】日本の情景 -里- Scenes in Japan -village-


どの写真もそうですが、一昔(ずいぶん?)前の日本の光景ですね。
これなんかはまさに典型的。
のどかな田園風景の広がる、人間がまだ自然と共存していた里山の風景です。
野には花があふれ、虫たちが地を這い空に舞い、田にはカエルの声が響く──。
都市化が甚だしい都心では見られない景色です。
親たちの実家も都市部にある今の子供たちは知らないんでしょうか?

2016年8月24日水曜日

シリーズ「日本の情景 Scenes in Japan」その2

日本にいるとつい見過ごしがちな光景でも、改めて見ると新たな発見があったりします。
4年後の2020年には日本で開催される4度目のオリンピックがありますから、街は180度(とまでいかないにしても)様変わりし、外国人観光客も多く訪れることになるでしょうね。
日本人なら「ああ、そうそう、こういう光景あったよね」と再認識する機会、外国人の皆さんには「日本はこういう国なのか」とイメージを膨らませる機会を、それぞれ提供したいと思い、作った一連の動画です。
全部で16本、カテゴリー別の写真に合う音楽を併せたものを公開しています。
なかには季節的に時期外れのものもありますが、まあ観てやってください。

今回のこのシリーズ、写真はすべて手持ちの素材集(A&Pコーディネータージャパン株式会社さん(http://www.apjapan.co.jp/)の『具満タン』という市販品)のものを使用しています。
当然?ですが、写真撮影を生業とするプロのカメラマンの方々の作品です。
残念ながら個々のカメラマンさんのお名前はわかりませんが。
カテゴリーはその素材集のものをそのまま使っています。
シリーズ名の「日本の情景 Scenes in Japan」はcocolo supplie ココロさぷりのオリジナルですよ、念のため。
○RなりTMなりつけたほうがいいんでしょうか(笑)。

先にもお伝えしたとおり、それぞれの動画に相応しいものを選んで併せています。
下記、個別にご紹介しますね。

【癒し HEALING】日本の情景 -清流- Scenes in Japan -stream-


このシリーズ中4作目になるアメリカのChris Martyn氏とGeoff Harvey氏の二人組みによる楽曲です。検索はPurple Planet Royalty Free Music、URLはhttp://www.purple-planet.com/ です。
Facebook: @PurplePlanetM
この二人の曲はタイトルと曲との印象に違和感がないので(あくまで個人的な感想ですが)、曲選びに助かります。
暑苦しい夏にはもってこいの映像だと思いますよ。

【癒し HEALING】日本の情景 -紅葉- Scenes in Japan -leaves in autumn-


時期的には合わないんですけどね。
曲は DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/) さんのもの、もう何度も使わせていただいていますが、登録されている曲数が膨大なので、実はぴったりの曲を探し出すのが大変だったりします。
「和」のイメージで検索しました。

【癒し HEALING】日本の情景 -空・海- Scenes in Japan -sky and sea-


上記「清流」同様、Purple Planet Royalty Free Music (http://www.purple-planet.com/) の音楽です。
これはタイトルからではなく、曲を聴いてみて選んだものです。

【癒し HEALING】日本の情景 -町並- Scenes in Japan -town-


「紅葉」と同じくDOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/) さんの曲です。
検索して視聴したうえでのチョイスです。

2016年8月23日火曜日

シリーズ「日本の情景 Scenes in Japan」その1

日本にいるとつい見過ごしがちな光景でも、改めて見ると新たな発見があったりします。
4年後の2020年には日本で開催される4度目のオリンピックがありますから、街は180度(とまでいかないにしても)様変わりし、外国人観光客も多く訪れることになるでしょうね。
日本人なら「ああ、そうそう、こういう光景あったよね」と再認識する機会、外国人の皆さんには「日本はこういう国なのか」とイメージを膨らませる機会を、それぞれ提供したいと思い、作った一連の動画です。
全部で16本、カテゴリー別の写真に合う音楽を併せたものを公開しています。
なかには季節的に時期外れのものもありますが、まあ観てやってください。

今回のこのシリーズ、写真はすべて手持ちの素材集(A&Pコーディネータージャパン株式会社さん(http://www.apjapan.co.jp/)の『具満タン』という市販品)のものを使用しています。
当然?ですが、写真撮影を生業とするプロのカメラマンの方々の作品です。
残念ながら個々のカメラマンさんのお名前はわかりませんが。
カテゴリーはその素材集のものをそのまま使っています。
シリーズ名の「日本の情景 Scenes in Japan」はcocolo supplie ココロさぷりのオリジナルですよ、念のため。
○RなりTMなりつけたほうがいいんでしょうか(笑)。

先にもお伝えしたとおり、それぞれの動画に相応しいものを選んで併せています。
下記、個別にご紹介しますね。

【癒し HEALING】日本の情景 -灯- Scenes in Japan -light-


アメリカのChris Martyn氏とGeoff Harvey氏のコンビによる音源サイト、Purple Planet Royalty Free Music (http://www.purple-planet.com/) のものを使わせていただきました。
二人は作曲も手がけています。
Facebook: @PurplePlanetM
cocolo supplie ココロさぷりの動画では2回目です。
前回の動画はコチラ↓
sb お父さん HD
ずばりタイトルは「明り」(翻訳したものですから、当然英語ですけど)。

【癒し HEALING】日本の情景 -花- Scenes in Japan -flower-


もう何度も使わせていただいている DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/) さんの音楽です。
春の風をイメージした曲のようで、花の間を吹きぬけるような感じでしょうか。

【癒し HEALING】日本の情景 -花火- Scenes in Japan -fireworks-


「灯」同様、Purple Planet Royalty Free Music (http://www.purple-planet.com/) の音楽です。
こちらもタイトルからのイメージ想起で選びました。

【癒し HEALING】日本の情景 -寺社・城- Scenes in Japan -temple, shrine, castle-


「灯」「花火」に続いてまたもや Purple Planet Royalty Free Music (http://www.purple-planet.com/)。
これも曲名から写真に結びつけました。

2016年8月21日日曜日

和のいろどり Colors in Japan

和のいろどり Colors in Japan


日本という国は四季が豊かなためか、様々な色に満ちていますね。
どこの国も同じように街には色が溢れているはずですが、日本人として生まれた贔屓目でしょうか、特に色に対して敏感な気がします。
色の呼び名も洒落ているものが多いと思います。

今はブラジルのリオ・デ・ジャネイロが熱いですが、4年後の2020年は東京でのオリンピック──。
外国人観光客も多くなるはず。

そんな日本の色合いや雰囲気を感じてもらうために、この動画を作ったんですが、使用した写真は実はすべてパソコン用の壁紙。
テーマ毎に該当する(と思われる)壁紙を投稿するという趣旨のブログ?キュレーション?記事のものを拝借しました。
もともとオリジナルの出典が記載されていなかったので、どこから持ってきたものか、さっぱりわかりません。

音楽は HURT RECORDさん (www.hurtrecord.com)ですが、cocolo supplie ココロさぷり では以前にも何度か使用させていただいています。

著作権フリーBGM配布サイト HURT RECORD 応援バナー

タイトルの「いろどり」ですが、漢字の「彩り」にしようかとも思ったんですが、ひらがなにしました。
最初は「和」も「倭」にして、「倭の彩り」を考えていたんですが、なんか、硬いイメージなのでやめました。
日本語は同音異義語が多く、すべてひらがなにしてしまうとイメージは柔らかくなりますが、意味が分からなくなる可能性が高いんですよ、実は。

2016年8月7日日曜日

動機づけのための素晴らしい名言10選/10 Excellent Motivational Quotes

《日本語版 Japanese version》


《英語版 English version》


何ごとであれ、行動を起こすためには動機が必要ですね。
でもその一歩が踏み出せないときもある。
そんなときに勇気づけてくれる言葉を集めました。
日本語版の翻訳はcocolo supplie ココロさぷりで行っています。

写真は複数のサイトからダウンロードしたのですが、どこから入手したか記録をとっていなかったので不明です。
すみません。
デザイン素材のサイトからだった記憶はあるのですが。

音楽はオルゴールの音色にアレンジされたクラシック名曲ですが、AC WORKS.CO.,LTD.所属のyanchiさんの手によるものです。
フランスの作曲家、エリック・サティ(1866~1925)のピアノ曲『ジムノペディ第1番』、CMなどで耳にしたことがある方も多いでしょうね。

さて、それぞれの名言の作者の経歴はどうなっているのでしょうか。
(日本語の解説がないものはcocolo supplie ココロさぷりの翻訳です。)



チャールズ・R・スウィンドル Charles R. Swindoll

1934.10.18生。福音主義のキリスト教牧師、作家、教育家、ラジオ宣教師。テキサス州プラノに本部を置く「生命の本質 Insight for Living」を創設し、同名のラジオ番組を、世界中の2000を越える放送局で15ヶ国語で放送している。現在、テキサス州フリスコのストーンブリア・コミュニティチャーチで主任牧師をしている。
     ──ウィキペディア英語版(https://en.wikipedia.org/wiki/Chuck_Swindoll

オグ・マンディーノ Og Mandino

192312月12日~1996年9月3日
米国の自己啓発書作家、小説家、講演家。「世界中で最も多くの読者をもつ自己啓発書作家」と呼ばれたベストセラー作家。"セールスマンのグル"などとも形容される。
高校卒業後の4年間を空軍で活躍したのち、生命保険会社に勤務した。その後、シカゴの「サクセス・アンリミテッド・マガジン」の編集長となり、1976年まで同社代表を務めた。そのかたわら、1968年に『地上最強の商人』を執筆し、作家としてデビューした。以後、『この世で一番の奇跡』など続々とベストセラーを発表し、著書は世界22か国で3600万部を売り上げた。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E

ニコス・カザンツァキス Nikos Kazantzakis

1883.02.18生~1957.10.26没
ギリシアの詩人、小説家、劇作家。幅広い教養と偏見のない目をもって人間の自由とは何かを生涯追及した。ホメロスに題材をかりて現代人の苦悩を描いた24巻3万3333行の長編叙事詩『オデュッセイア Odysseia』(1938)が代表作。小説ではクレタ的人間像によって大きな反響を呼んだ『その男ゾルバ Vios kai politeia tou Alexe Zorba』(47)およびギリシア人難民の辛苦と立場を異にする同胞同士の醜い葛藤をあばきだした『再び十字架にかけられるキリスト O Christos xanastauronetai』(55)、『神の貧民―アッシジの聖フランシスコ O ftochoulis tou Theou』(56)が最も有名。戯曲はキリスト、ユリアヌス帝など歴史上の偉人の苦闘を扱ったものが多い。また『グレコへの報告 Anofora ston Greko』(61)は断片的な自伝もしくは遺作といった性質をもつ。そのほか、古典の翻訳や旅行記も多数。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ラルフ・マーストン Ralph Marston

1907.02.16生~1967.12.07没
プロフットボール選手。1929年NFLボストン・ブルドッグスで活躍した。
     ──ウィキペディア英語版(https://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Marston

アイン・ランド Ayn Rand

アイン・ランド(Ayn Rand、/ˈaɪn ˈrænd/;、1905年2月2日 - 1982年3月6日)は、ロシア系アメリカ人の小説家、思想家、劇作家、映画脚本家である。本名アリーサ・ジノヴィエヴナ・ローゼンバウム(露: Алиса Зиновьевна Розенбаум)。2つのベストセラー小説『水源』(The Fountainhead)および『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)で知られる。また自ら「客観主義」と名付けた思想体系の創出者としても知られる。ロシアで生まれロシアで教育を受け、1926年にアメリカ合衆国に移住した。ハリウッドで映画脚本家として働き、劇作品の一つは1935年から1936年までブロードウェイで上演された。初期の小説2作品は当初それほど評判にならなかったが、小説『水源』(The Fountainhead、1943年)で名声を得た。
1957年には代表作の小説『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged)を出版。その後は自らの思想を伝播するノンフィクションに転向した。自ら雑誌を刊行し、いくつかのエッセー集を発表し、1982年に死去した。ランドは理性を知識を得る唯一の手段として擁護し、信仰や宗教を拒絶した。合理的かつ倫理的なエゴイズムを支持し、倫理的利他主義を拒絶した。政治においてはInitiation of Force(自分の側からの強制力の行使)を非難し、集産主義および国家主義に反対した。また無政府主義にも反対した。最小国家主義および自由放任資本主義を、個人の権利を守る唯一の社会システムと信じ、支持した。芸術においてはロマン主義的写実主義を唱道した。一部のアリストテレス派哲学者や古典的自由主義を除き、ほとんどの思想家および思想的伝統を辛辣に批判した。
文芸評論の世界では、ランドのフィクションはほとんど認められていない。アカデミズムの世界では、ランドの思想はほぼ無視または否認されている。客観主義運動は、ランドの思想を一般およびアカデミズム界に広めることを目指す運動である。リバタリアンおよびアメリカ保守主義者の間では、ランドは大きな影響力を持ち続けている。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

サム・レベンソン Sam Levenson

すみません。
この人については「オードリー・ヘプバーンが好きだった詩人」としかわかりません。
ウィキペディア英語版にはSam Levensonなる人物の項目があるんですが、この名言を残した人であるかどうかは不明です。
一応リンクはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Sam_Levensonです。
本を出版しているようなのでAmazonも参照したんですが、著者の詳細はありませんでした。

孔子, Confucius

紀元前551生~紀元前479没
中国、春秋時代の学者、思想家。儒教の祖。名は丘。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(いみな)は至聖文宣王。先祖は公族であったが家はきまめて貧しく、魯に使えて大司寇となったが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊し、諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられる。『論語』は彼とその弟子との言行録である。堯、舜、文王、武王、周公旦らを尊崇し、古来の思想を大成し、為政者の特によって民衆を教化する徳治主義を根幹とし、周の遺制たる礼楽制度による周への復古を説いた。その教えは、儒教として中国思想の根幹となり、後世に大きな影響を及ぼした。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ウォルト・ディズニー Walt Disney

Walter Elias Disney
1901.12.05生~1966.12.15没
アメリカ合衆国シカゴで生を受けたアニメーション映画制作者。1928年『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』でアニメーション映画初のトーキー化に成功し、ミッキーマウス、ドナルドダックの生みの親として世界的に人気を博す。1937年初のカラー長編アニメーション映画『白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs)』を制作、以降『ピノキオ(Pinocchio)』(1940)、『ファンタジア(Fantasia)』(1940)、『ダンボ(Dumbo)』(1941)、『バンビ(Bambi)』(1942)、『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)』(1951)、『眠れる森の美女(Sleeping Beauty)』(1959)などを発表。まんが映画のほかに『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』(1964)などに代表される家族向け娯楽映画、さらに記録映画も制作。1955年には巨大な遊園施設ディズニーランドをカリフォルニア州アナハイムに開設した。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

セオドア・ルーズベルト Theodore Roosevelt

1858.10.27生~1919.01.06没
アメリカの政治家。第26代大統領(在任1901~09)。1881~84年ニューヨーク州議会議員。84~86年ダコタ准州で農場を経営、86年ニューヨーク市長選挙に出馬したが、落選。89~95年連邦公務員制度委員会委員。95~97年ニューヨーク市公安委員会委員長。97~98年海軍次官補。98年アメリカ=スペイン戦争が勃発すると義勇軍「ラフ・ライダーズ」を組織してキューバに転戦、勇名をはせた。99~1900年ニューヨーク州知事。01年W.マッキンレー(1843~1901)大統領のものとで副大統領。同年9月マッキンレーが暗殺されたため大統領に就任。04年再選。その間カリブ海に進出し、パナマ独立を達成させ、03年新政府とヘー=ビュノーバリヤ条約を結んで、パナマ運河地帯を獲得、運河建設事業に着手した。05年には日露の和平会議で仲介の労をとり、06年ノーベル平和賞を受けた。また国内では反トラスト法によるトラスト規制、資源保護に尽した。12年の大統領選挙に革新党を組織して立候補したが、民主党候補T.W.ウィルソン(1856~1924)に敗れた。第1次世界大戦では対外強硬論を主張、みずから義勇軍を率いて参戦しようとしたが果たせなかった。主著『ニュー・ナジョナリズム New Nationalism』(10)、『アメリカと第1次世界大戦 America and the World War』(15)など多数。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

2016年8月6日土曜日

愛についての優れた名言10選/10 Excellent Love Quotes

《日本語版 Japanese version》


《英語版 English version》


写真はwww.alltollz.orgのもので、デザイン素材を扱うサイト経由でダウンロードした65点の花の写真セットの中から選びました。
(※リンクしていなのは、サイトが閉鎖されてしまったと思われるためです。
ダウンロードしてからそんなに経っていないんですけどねぇ。)

音楽は再度AC WORKS.CO.,LTD.さんによるクラシック名曲アレンジで、今回はシューマンの『子供の情景』から『トロイメライ』です。
ドイツ語のトラウム Traum(=夢、憧れ)から派出した言葉で、「夢み心地」といった意味だそうです。
メロディから選んだ曲でしたが、なぜか偶然にも内容と重なりました。

日本語への翻訳はcocolo supplie ココロさぷりで行っています。

では、心に響く名言を残してくれた人たちの経歴を見ることにしましょうか。



ロレッタ・ヤング Loretta Young

本名:Gretchen Young
1913.01.06生~2000.08.12没
アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ出身の女優。3歳のときに家族でハリウッドに移り住む。

両親が離婚したため、一家はロサンゼルスで下宿屋を開業。家計を助けるために姉のポリー・アン、サリーと共に子役として映画に出演。マーヴィン・ルロイ監督に声をかけられ、1928年に本格的に映画デビューした。
1930年、17歳のときに26歳の俳優グラント・ウィザーズと駆け落ちするが、翌年に関係を解消。1934年にはクラーク・ゲーブルと共演をきっかけに関係を持ち、翌年に妊娠をしたが世間にはそれを隠し通したまま極秘に娘を出産。世間には養女をとったとしていたが、晩年に書かれた自伝でゲーブルとの間にできた子であることを告白している。当時ゲーブルには妻がおり、またカトリック教徒として育てられたヤングは中絶することを拒んだという。1940年にプロデューサーのトム・リュイスと結婚するが、これもまたのちに離婚。
1947年の『ミネソタの娘』でアカデミー主演女優賞を受賞。それまでは賞とは一切無縁で、この時もロザリンド・ラッセルが本命視されていたが、予想では最下位だったヤングが受賞するという結果となった。受賞スピーチでは感極まって「やっとのことで…」と言ったまましばし絶句した。女優20周年目での出来事だった。
その後テレビにも進出し、1953年から1961年まで自分のテレビ番組『ロレッタ・ヤング・ショー』で活躍した。ちなみにこの番組は日本ではNHK総合テレビジョンで1960年から1962年にかけて放送された。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0


H・ジャクソン・ブラウン・ジュニア H. Jackson Brown, Jr.

H.ジャクソン・ブラウン, Jr.はアメリカの作家で、ひらめきの本『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』でよく知られている。この作品はニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーであった(1991~1994)。続編『人生のちょっとした教え2 Life's Little Instruction Book: Volume 2』も同様、1993年にベストセラーとして名を連ねている。

1940年、テネシー州中部に生まれ(今でもそこに住んでいる)。作家になる前は、テネシー州ナッシュビルの広告代理店で制作ディレクターとして働いていた。
『父親の知恵の本 A Father's Book of Wisdom』を出版し、間を空けず『追伸、愛している P.S. I Love You』を発表。父や母から聞かされていた言葉や観察を集めたものであった。後者は旅行に関する有名な名言を含み、マーク・トウェインの発言としてあやまって引用されることがよくある。両者ともとても有名であり、『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』に導くが、この本は本来大学進学を希望する彼の息子アダムへの餞別として書かれたものである。「いかに幸せで実り多い人生を送るか」についての511もの覚書で、世界中でベストセラーになった。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーとして2年以上もランクインし続け、1年以上首位の座を保っていた。『人生のちょっとした教え Life's Little Instruction Book』はハードカバー、ペイパーバックの形態どちらもで同時に1位を獲得した最初の本である。『生き、学び、前進する Live and Learn and Pass It On』もまたニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーになった。『生き、学び、前進する Live and Learn and Pass It On』は彼の妻、ローズマリー・C・ブラウンとの共著で、彼女もまた『ローズマリー・ブラウンのキッチンでの教え Rosemary Brown's Big Kitchen Instruction Book』を始めとする作家である。
ブラウンの著作は35ヶ国語に翻訳されており、大量のカレンダー、ポスター、服飾小物、日記帳、グリーティングカード、オーディオカセット、スクリーンセーバー、はたまたフォーチュンクッキーなどに用いられている。
     ──ウィキペディア英語版(https://en.wikipedia.org/wiki/H._Jackson_Brown,_Jr.


アルバート・アインシュタイン Albert Einstein

1879.03.14生~1955.04.18没
理論物理学者。チューリヒのスイス連邦工科大学に学ぶ。ベルンの特許局技師を経て、プラハ大学、スイス連邦工科大学、ベルリン大学各教授を歴任したが、1933年ナチスのドイツを逃れてアメリカに渡り、プリンストン高級研究所で研究生活をおくった。1905年にチューリヒ大学に学位論文を提出する一方、ブラウン運動の理論的解明、光量子仮説、特殊相対性理論、質量とエネルギーの等価性に関する4つの論文を次々と発表。いずれも物理学史上画期的なものであった。16年には一般相対性理論を発表して、太陽のそばを通る光線が屈曲することを予測し、これは19年の皆既日食の際、A.S.エディントン(1882~1944)の観測により確かめられた。さらに万有引力と電磁気力を包合する統一場理論の構築に努めた。量子統計力学にも多くの業績をあげたが、量子力学の発展につれて主流を占めたN.ボーア(1885~1962)らのコペンハーゲン解釈には最後まで反対し続けた。熱烈な平和主義者であり、ユダヤ人の同胞のためにも献身的な努力を惜しまなかった。第2次世界大戦に際しては、ナチスの脅威に対抗するためにルーズベルト大統領に原子爆弾開発を勧告したが、戦後は核戦争の危険性を除去するよう熱心に訴えた。21年ノーベル物理学賞受賞。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』


エーリヒ・フロム Erich Fromm

1900.03.23生~1980.3.18没
ドイツ生れのアメリカの精神分析学者、社会心理学者。新フロイト派の一人。精神分析の社会学派といわれ、政治的、宗教的、経済的条件で個人の「社会的性格」が形成されると主張し、社会の健全な発展のため、精神分析法を導入することを提唱した。ナチスに追われ、フランスを経て1933年にアメリカに渡り、シカゴ精神分析研究所などの研究員をつとめ、40年アメリカに帰化。49年メキシコに移住し、以降アメリカと両国で活躍していた。51年、メキシコ国立大学教授。主著『自由からの逃走 Escape from Freedom』(1941)。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』


マザー・テレサ Mother Teresa

1910.08.27生~1997.09.05没
アルバニア系のカトリック修道女。フルネームBlessed Mother Teresa of Calcutta。本名Agnes Gonxha Bojaxhiu。マザーテレサ、カルカッタのテレサ、Blessed Teresa of Calcuttaとも呼ばれる。インドのカルカッタの最貧民や遺棄されて死に瀕した病人、老人、子供のため献身的な活動を行なった。現代における最も徹底した愛の使徒として知られる。1928年インドに渡り、ロレット会の修道女としてカトリック系女子高校で教えたが、1946年修道会を出てスラムで働く。1950年厳しい清貧を守りつつ悲惨な境遇の人々に奉仕する「神の愛の宣教者会 Order of the Missinaries of Charity」を設立、1965年からは活動をインド国外にも広げ、1978年には同系の男子修道会が東京都台東区に支部を置いた。1952年「死を待つ人の家 Place of the Pure of Heart」、ハンセン病患者のための「平和の村 Town of Peace」設立。1971年にヨハネス23世教皇平和賞、1979年にノーベル平和賞受賞。1981、1982、1984年日本訪問。世界の宗教者平和会議WCRPなどで講演し、生命の尊厳とそのための施設づくりを提唱した。2003年、異例の早さで福者となった。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』
※2001年から地名の“カルカッタ”は“コルカタ”に改められています。


オードリー・ヘップバーン Audrey Hepburn

1929.05.04生~1993.01.20没
アメリカの映画女優。アイルランド系イギリス人貿易商の父とオランダ貴族の母の子として生れる。両親の離婚でオランダに移り、バレエを学びながら、対独レジスタンス運動に参加する。1948年より舞台や映画に出演しはじめ、51年フランスの女流作家コレット(1873~1954)に見出され『ジジ』のブロードウェー公演に主演。これをみた映画監督W.ワイラー(1902~1981)に『ローマの休日』(1953)の主役に抜擢され、映画女優としてデビュー、アカデミー主演女優賞を受賞した。54年に男優のメル・ファーラーと結婚、68年に離婚。翌年、イタリア人医師と再婚したが、80年に再び離婚した。晩年、国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として活躍した。おもな作品に『麗しのサブリナ』(54)、『戦争と平和』(56)、『尼僧物語』(59)、『ティファニーで朝食を』(61)、『シャレード』(63)、『マイ・フェア・レディ』(64)、『おしゃれ泥棒』(66)、『暗くなるまで待って』(67)、『華麗なる相続人』(79)、『オールウェイズ』(89)などがある。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』


オスカー・ワイルド Oscar Wilde

1854.10.16生~1900.11.30没
イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランド出身。オックスフォード大学に学び、ロンドンの社交界に出て、機知と耽美的生活態度によって注目を浴びた。唯一の小説『ドリアン・グレーの肖像 The Picture of Dorian Gray』(1891)や、『ウィンダミア卿夫人の扇 Lady Windermere's Fan』(92)、『サロメ Salomé』(93刊)、『まじめが肝心 The Importance of Being Earnest』(95)などの戯曲、また、詩や批評など多彩な文筆活動で名声を得たが、1895年男色事件のために入獄し『深淵より De Profundis』(1905、完本62)を執筆。出獄後はフランスへ移り、貧窮のうちに死んだ。いわゆる「世紀末文学」の中心人物。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』



フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー Francois de La Rochefoucauld

ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(François VI, duc de La Rochefoucauld, 1613年9月15日 - 1680年3月17日)は、フランスの貴族、モラリスト文学者。

名門貴族の生まれであり、多くの戦いに参加した後、いわゆる『箴言集(しんげんしゅう)』を執筆した。彼の作品に見られる辛辣な人間観察には、リシュリューと対立して2年間の謹慎処分を受けたことや、フロンドの乱でマザランと対立したことなどで味わった苦難が反映されているとも言われる。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%BC


ジャン・ド・ラ・ブリュイエール Jean de la Bruyere

ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(仏: Jean de La Bruyère, 1645年8月16/17日 - 1696年5月10日/11日)は、フランスのモラリストであり作家である。
17世紀のフランスの宮廷人たちを描き、人生を深く洞察した著書『カラクテール』(フランス語: Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle)(和訳: 『人さまざま』)(1688年)によって知られる。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB

アインシュタインなどは、科学一辺倒なのかと思いきや、思いのほか人間的でおもしろいですね。
まさか彼が「愛」にまつわる名言を残しているとは、いやはや意外でした。

余談ですが、さんざん引用させていただいている『ブリタニカ国際百科事典』、送り仮名などの表記が古いようですね。
きっと、記事をお書きになった方はけっこうお年をめされていると推測します。
全面改訂するとなると膨大な時間がかかりますからねぇ。

2016年8月5日金曜日

人生に関する素晴らしい名言10選/10 Excellent Life Quotes

《日本語版 Japanese version》


《英語版 English version》


人生は山あり谷あり、いつも順風満帆とはいかないもの。
だからこそ、明るい未来を迎えたいですよね。
いつも肝に銘じておきたい名言の数々を集めてみました。

写真はプロカメラマン満載のDepositphotosさん(http://depositphotos.com/)、音楽はAC WORKS.CO.,LTD.さんによるクラシック名曲アレンジです。
ショパンの『別れの曲』ですが、メロディーが綺麗で、あまりマイナスのイメージを与えないような気がしたので使ってみました。

さすがと唸らされる、人生を豊かにしてくれる名言を残した人たちの経歴は以下のとおりです。


ブッダ(釈迦) Buddha

紀元前463頃生~紀元前383頃没
仏教の開祖。釈迦牟尼(しゃかむに)ともいう。釈迦は種族名Śākyaの、牟尼は聖者を意味するmuniの音写。釈尊は釈迦牟尼世尊の略称と考えられる。古代北インドの部族、シャカ族(パーリ語ではサーキャ)の国王浄飯王を父とし、摩耶夫人を母とし、姓をゴータマ Gotama(瞿曇〈くどん〉)、名をシッダールタ Siddhārtha(悉達、悉陀)という。生後まもなく母を失い、叔母の手で養育された。16歳で結婚、息子ラーフラをもうけたが、29歳のとき意を決して出家。修業の末、35歳頃ブッダガヤー Buddh Gayāの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダ buddha(仏陀)、すなわち覚者(=悟れる者)となった。ワーラーナシの郊外サールナート Sārnāthの鹿野苑で最初の説法を行い、以降80歳で没するまで、ガンジス川流域の中インド各地を周遊して人々を教化した。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

オードリー・ヘップバーン Audrey Hepburn

1929.05.04生~1993.01.20没
アメリカの映画女優。アイルランド系イギリス人貿易商の父とオランダ貴族の母の子として生れる。両親の離婚でオランダに移り、バレエを学びながら、対独レジスタンス運動に参加する。1948年より舞台や映画に出演しはじめ、51年フランスの女流作家コレット(1873~1954)に見出され『ジジ』のブロードウェー公演に主演。これをみた映画監督W.ワイラー(1902~1981)に『ローマの休日』(1953)の主役に抜擢され、映画女優としてデビュー、アカデミー主演女優賞を受賞した。54年に男優のメル・ファーラーと結婚、68年に離婚。翌年、イタリア人医師と再婚したが、80年に再び離婚した。晩年、国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として活躍した。おもな作品に『麗しのサブリナ』(54)、『戦争と平和』(56)、『尼僧物語』(59)、『ティファニーで朝食を』(61)、『シャレード』(63)、『マイ・フェア・レディ』(64)、『おしゃれ泥棒』(66)、『暗くなるまで待って』(67)、『華麗なる相続人』(79)、『オールウェイズ』(89)などがある。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

孔子 Confucius

紀元前551生~紀元前479没
中国、春秋時代の学者、思想家。儒教の祖。名は丘。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(いみな)は至聖文宣王。先祖は公族であったが家はきまめて貧しく、魯に使えて大司寇となったが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊し、諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられる。『論語』は彼とその弟子との言行録である。堯、舜、文王、武王、周公旦らを尊崇し、古来の思想を大成し、為政者の特によって民衆を教化する徳治主義を根幹とし、周の遺制たる礼楽制度による周への復古を説いた。その教えは、儒教として中国思想の根幹となり、後世に大きな影響を及ぼした。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ジョージ・バーナード・ショー George Bernard Shaw

1856.07.26生~1950.11.02没
アイルランド出身のイギリスの劇作家。ロンドンに出て小説家を志したが成功せず、音楽批評や劇評を執筆。社会主義に関心をもち、1884年フェビアン協会に入る。イプセン(1828~1906)、ワーグナー(1813~1883)、ニーチャ(1844~1900)らの影響を受ける。喜劇『男やもめの家 Widower's Houses』(1892)によってようやく劇壇に登場。『キャンディダ』(1895)、『人と超人』(1905)、『シーザーとクレオパトラ』(1906)、『メトセラへ帰れ』(1921)、『聖ジョーン』(1923)など作品多数。いずれも思想性と機知に富む喜劇である。その他『イプセン主義真髄 The Quintessence of Ibsenism』(1891、改訂増補1913)、『知識階級婦人のための社会主義および資本主義入門 The Intelligent Woman's Guide to Socialism and Capitalism』(1928)などの著書がある。1925年ノーベル文学賞受賞。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

セーレン・キルケゴール Søren Aabye Kierkegaard

1813.05.05生~1855.11.11没
デンマークの哲学者、神学者。現代実存哲学の創始者。プロテスタンティズムの革新的思想家として知られる。コペンハーゲン大学で神学を学んだ。父の死後(1838)本格的研究を決心、1840年17歳のレギーネ・オルセンと婚約したが、翌年破棄した。41年ベルリンでF.シェリングの講義を聞き、42年帰国、著作活動を始めた。哲学的にはヘーゲル、シェリングの観念論の批判から出発し、「単独者」「主体性」などの概念を中心にして実存論的思索を展開した。神学的には当時のデンマークの教会のあり方を攻撃し、教会的キリスト教の変革を説き、信仰と実存の問題を深く掘下げた。主著
『あれか、これか Enten-Eller』(43)、『おそれとおののき Frgyt og Baeben』(43)、『反復 Gjentagelsen』(43)、『不安の概念 Begrebet Angest』(44)、『人生行路の諸段階 Stadier paa Livets Vei』(45)、『死に至る病 Sygdommen til Døren』(49)。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

アブラハム・リンカーン Abraham Lincoln

1809.02.12生~1865.04.15没
アメリカの政治家。第16代大統領(在任1861~65)。ケンタッキー州の農民の子として生れ、インディアナ州、次いでイリノイ州に移り、ニューセーレムで商店の経営、測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を勉強、1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。34~40年ホイッグ党イリノイ州議会議員となり、46年連邦下院議員に当選、一期(47~49)をつとめて引退。54年カンザス=ネブラスカ法の成立に憤激して政界復帰を決意し、共和党の結成に参加。58年S.ダグラスを敵として連邦上院議員候補となり、敗北はしたが7回にわたって行われた「リンカーン=ダグラス論争」によって全国的に有名となった。60年共和党の大統領候補に指名され、当選。南北対立の激化を前にリンカーンは連邦の維持を政策目的として努力したが、61年4月には南北戦争が開始された。戦況は初め北軍に不利であったが、62年9月戦況が好転しはじめた。同月22日奴隷解放予備宣言を公布、63年1月1日に奴隷解放宣言を発布し、反乱状態にある南部諸州の奴隷解放を宣言。軍事的に後方攪乱をはかるとともに北部、あるいは海外の世論を味方につけ、南部連合側とイギリスの同盟をはばんだ。戦争中の64年大統領選挙で再選。戦争が終りに近づくにつれ、寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画したが、南軍R.リー(1807~1870)将軍降伏(1865.04.09)後、65年4月14日フォード劇場で観劇中、南部人俳優J.ブース(1838~1865)によって撃たれ、翌朝死亡した。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius

マルクス・アウレリウス・アントニヌス Marcus Aurelius Antoninus
121.04.26生~180.03.17没
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。
外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女ルキッラを嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが死んだ事で単独の皇帝となった。
ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で没した。
軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これはプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。
また、後漢書に見られる安敦とは、彼のことだとされている。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9

チェーザレ・パヴェーゼ Cesare Pavese

1908.09.09生~1950.08.27没
イタリアの小説家。英米文学に強い関心を示し、すぐれた翻訳を多数残した。反ファシズム活動のため、流刑(1935~36)。難解な叙事・抒情詩集『働き疲れて Lavarare stanca』(36)のなかに、後年の神話的文学観が凝縮されている。ストレーガ賞を受賞(50)した名声のさなかに自殺。主著、小説『故郷 Paesi tuoi』(41)、『青春の絆 Il compagno』(47)、『月とかがり火 La luna e i falò』(50)、小説集『美しい夏 La bella estate』(49)、『鶏の鳴くまえに Prima che il gallo canti』(49)。ほかに、神話論『異神との対話 Dialoghi con Leucò』(47)、日記『生きるという仕事 Il mestiere di vivere』(52)などがある。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

ショーロム・アレーカム Sholom Aleichem

ショーレム・アレイヘム(イディッシュ語: שלום־עליכם‎、英語: Sholem Aleichem、ヘブライ語: שלום עליכם‎、1859年3月2日(ユリウス暦2月18日) - 1916年5月13日)は、ウクライナ出身のイディッシュ劇作家、小説家、ジャーナリスト。小説家というよりは劇作家と呼ぶほうが良いとも言われる。

キエフ近郊ペレヤースラウ生まれ。少年時代から執筆活動を行い、オデッサ、キエフ等でジャーナリスト生活に入った。
1889年、キエフで雑誌『ユダヤ民衆文庫』(Folksbibliotek)を創設。これは、自らの伝統の豊かさに源を求めるが、また周辺の文化と歩調を合わせる文学を提唱することによって、輝きを失ったイディッシュ語文学の再興を試みたものである。
はじめコンパクトな短編で読者の心を捉え、次第に連作形式の小説から長編小説へと手を伸ばした。連作の短編としては『牛乳屋テヴィエ(英語版)』(『屋根の上のバイオリン弾き』の項を参照)、長編では『ステンペーニュ(英語版)』、『嵐の中で』、遺作『Mottel the Cantor's Son(英語版)』など。
1905年アメリカに渡り、1906年のアメリカ滞在時にマーク・トゥエインと会う。マーク・トゥエインは、ショーレム・アレイヘムに「私がアメリカのショーレム・アレイヘムです」と自己紹介したという。
のち一時ヨーロッパに戻り、イタリアに住んだが、1914年第一次世界大戦の勃発で再びニューヨークへ移住した(ニューヨークで逝去)。
郷土のシュテットルのユダヤ教徒の生活を描いたユーモラスな作品が多いといわれ、イディッシュ語の口語性をみごとに活かしきっている。「ユダヤ教徒の純情」さを描いて同志愛の必要性を促したともいわれる。
     ──ウィキペディア日本語版(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%A0

ウィリアム・J・クリントン William Jefferson Clinton

1946.08.19生~
アメリカの政治家。第42代大統領(1993~2001)。1968年ジョージタウン大学卒業後、ローズ奨学生として2年間オックスフォード大学に留学、エール大学ロースクールで法学博士、弁護士資格を取得。77年からアーカンソー州検事総長、78年全米最年少(32歳)で同州知事に当選、2期目に落選したが83年に返り咲き、5期つとめた。92年の大統領選挙では民主党候補のなかでも当初不利とされていたが、組織的キャンペーンを背景に予備選挙を勝ち抜き、本選挙でも若さと変革を強調して共和党現職のブッシュ(1924~)大統領に圧勝、12年ぶりに民主党政権を誕生させた。就任後は、国内では財政赤字の削減、健康保険制度の改革、外交面ではロシア支援、国際紛争の解決・防止などを政策の中心課題とした。96年の大統領選挙で共和党のR.ドール候補を敗り、97年から2期目の大統領をつとめた。
     ──『ブリタニカ国際大百科事典』

「ショーロム・アレーカム」は“ショーレム・アレイヘム”でしたね。
すみません。
翻訳は一度Google翻訳したものを再度日本語らしく組み立て直したので、人名などはすっかり信用していました。
ネット上の文献をあたって適切な表記を導き出してくれるのかと思っていましたが、間違った認識でした。
反省。

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