2017年1月11日水曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #003


003
拾遺・巻十三
Shui(waka)-shu, vol. 13
love
題知らず──人まろ
untitled
足引の
山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
独かも寝む
あしびきの
やまどりのおの
しだりおの
ながながしよを
ひとりかもねむ
Ashibiki no
Yamadori no o no
Shidario no
Naga-nagashi yo o
Hitori ka mo nemu.
山鳥の長く垂れ下がった尾のような、長い長いこの秋の夜を私はひとり寂しく寝るのかなあ
Long is the mountain pheasant’s tail
That curves down in its flight;
But longer still, it seems to me,
Left in my lonely plight,
Is this unending night.
秋の夜長に孤独をつのらせながらひとり眠る
初句の枕詞「あしびきの」から三句の「しだり尾の」までが序詞となって秋の夜の長さを強調し、ひとり寝の寂しさをいっそう際立たせている。
山鳥はキジ科の鳥で、雄は長い尾を持つ。また、夜は雄と雌が離れて眠るにつくことから、ひとり寝の寂しさや恋しさを表現するとして多くの歌に詠まれている。ひとり寝を嘆く歌は男を待つ女の立場から歌ったものが多いが、この場合は「しだり尾」から雄=男性の悲哀を詠んだものと思われる。
「の」の音を4回も重ねることで流れるような調べをつくった余情豊かな歌だが、実際に人麿の作かどうかは定かでない。しかし、定家はこの歌を高く評価し、中世以降は人麿の代表作として定着したようだ。《歌091》の後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん・藤原良経・ふじわらよしつね)の歌でも本歌取りされている。
The writer was a foundling, picked up and adopted by Abaye at the foot of a persimmon tree, which is in Japanese kaki, from which he got his name. He was an attendant on the Emperor Mommu, who reigned A.D. 697-707, and was one of the great poets of the early days of Japan; he is known as the rival of Akahito Yamabe (see next verse), and after death was deified as a God of Poetry. There is a temple erected in his honor at Ichi-no-Moto, and another at Akashi, not far from Kobe; he died in the year 737.
In the fourth line nagashi may be taken as the adjective ‘long’, or the verb ‘to drift along’; and yo may mean either ‘night’ or ‘life’; so that this line, which I have taken as as ‘long, long is the night’, may also mean ‘my life is drifting, drifting along’. Yamadori (pheasant) is literally ‘mountain bird’, and ashibiki is a pillow-word for mountain, which is itself the first half of the word for pheasant.
柿本人麿
かきのもとのひとまろ
THE NOBLEMAN KAKI-NO-MOTO
生没年未詳。持統天皇の御代のはじめに石見国(いわみのくに)から上洛して持統、文武(683~707)両朝に仕え、文武天皇の御代の末に石見国の役人となって赴任。709、710年ころ、任地で没したと伝えられる。
「万葉集」第2期の代表的歌人で、歌聖といわれる。勅撰集には240数首はいっている。

拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)

平安中期、第3番目の勅撰和歌集。八代集の1つ
100509年成立。20巻。歌数約1350首。撰者は花山院、藤原公任《歌055》の2説がある。風情が可憐で調べはしめやか。歌風としての優雅を完成した。集名は『古今和歌集』『後撰和歌集』にもれ遺(のこ)ったものを拾うの意による。
  ──『日本史事典』

PHOTO (F):
Syrmaticus soemmerringii.JPG by Alpsdake

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
1…作者 poet
2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002
3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。







2017年1月10日火曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #002


002
新古今・巻三
Shin-kokin(waka)-shu, vol. 3
summer
題知らず──持統天皇御歌
untitled
春過ぎて
夏来にけらし
白妙の
衣干すてふ
天の香具山
はるすぎて
なつきにけらし
しろたえの
ころもほすちょう
あまのかぐやま
Haru sugite
Natsu ki ni kerashi
Shirotae no
Koromo hosu teu
Ama-no-kagu yama
春が過ぎて夏が来たらしい。昔から夏に白い着物を干すと言われている天の香具山に、純白の着物が干されていることよ
The spring has gone, the summer’s come,
And I can just descry
The Peak of Ama-no-kagu,
Where angels of the sky
Spread their white robes to dry.
雄大な景色に夏の到来を感じる
春から夏に移ろう季節を山の緑と衣の白という色の対比で鮮やかに歌った一首である。『新古今集』では夏歌の巻頭に置かれ、立夏の歌として解釈されている。
原歌は『万葉集』の「春過ぎて夏来るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天(あま)の香具山」である。比べると二句の「夏来るらし」が「夏来にけらし」に、四句の「衣干したり」が「衣干すてふ」に変わっている。これは、万葉の歌を平安時代に読み下す際に「夏来良之」と「衣乾有」の読み方が統一されていなかったためで、意図的に改訂されたのではないようだ。
定家は調べの美しい『新古今集』のかたちをそのままとっているが、意味の上では、「衣ほすてふ」とすることで、万葉の時代には目前に実景としてあった衣が平安の時代には甘檮(あまかし)明神が人の嘘を見抜くために神水にぬらした衣を干すという香具山の伝説を連想させる、より複雑なつくりとなっている。
The Emperor Jito reigned A.D. 690-696, during which time sake was first made and drunk in Japan; she was the daughter of the Emperor Tenji, the writer of the previous verse, and she married the Emperor Temmu, ascending the throne herself on his death. The poem refers to a snow-capped mountain just visible on the horizon. One of the No dramas relates, that an angel once came to a pine forest on the coast near Okitsu, and, hanging her feather mentle on a pine tree, climbed a neighboring mountain to view Mount Fuji; a fisherman, however, fond the robe and was about to carry it off with him, when the angel reappeared and begged him to give it her, as without it she could not return to the moon where she lived. He only consented to do so, however, on condition that she would dance for him; and this she accordingly did, draped in her feathery robe on the sandy beach under the shade of the pine trees; after which she floated heavenward, and was lost to view.
持統天皇
じとうてんのう
THE EMPEROR JITO
645年~702年。第41代天皇。天智天皇《歌001》の第2皇女。天武天皇の皇后。天武天皇崩御のあとをうけて即位。都を藤原宮にうつす。在位12年(686697)。
天武天皇崩御を悼(いた)んでの挽歌(ばんか)が知られている(万葉集159160261)。勅撰集に8首。この時代は柿本人麿(かきのもとのひとまろ)や高市黒人(たけちのくろひと)などすぐれた歌人がでて、万葉歌風の最盛期である。



新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)

鎌倉初期、八代集最後の勅撰和歌集
略称『新古今集』。1205年完成。20巻。歌数約1980首。後鳥羽上皇の命で藤原定家《歌097》、藤原家隆《歌098》、寂蓮《歌087》らが撰び、上皇の親撰。幽玄・妖艶・象徴的ないわゆる新古今調をつくり、万葉・古今とともに三大歌風をなす。本歌取り、体言止め、三句切れなどが特色。
  ──『日本史事典』

PHOTO (F):
Kaguyama-mt.jpg by terumasa

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
B1…作者 poet
B2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002)
B3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down)
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。









2017年1月9日月曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #001


001
後撰集・巻十
Gosen(waka)-shu, vol. 10
autumn
題知らず──天智天皇御製
untitled
秋の田の
かりほの庵の
苫をあらみ
わが衣手は
露に濡れつつ
あきのたの
かりほのいおの
とまをあらみ
わがころもでは
つゆにぬれつつ
Aki no ta no
Kariho no io no
Toma o arami
Waga koromode wa
Tsuyu ni nure-tsutsu
秋の他のかたわらにある仮小屋は、草を粗く編んで葺(ふ)いた簡素なものなので、そこで番をする私の袖は夜露に濡れつづけていることだ
Out in the fields this autumn day
They’re busy reaping grain;
I sought for shelter ‘neath this roof,
But fear I sought in vain,
My sleeve is wet with rain.
農民の辛苦を詠んだ慈悲深い歌
夜を徹して田の番をする農民の着物の袖を、露がしめらせている。感情表現をおさえた詠みで、わびしい秋の静けさをしみじみと味わっている姿が目に浮かぶようだ。この歌は天皇が農作業に携わる農民のつらさに心を寄せて詠んだものとして解釈されているが、実際は天智天皇の作ではない。『万葉集』に見える「秋田刈る仮慮(かりいほ)を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」というよみ人知らずの歌がいつしかかたちを変えて伝わったという説が有力で、『後撰集』に「題知らず 天智天皇御製」として選ばれたことから、以後天皇の歌とされてきた。
百人一首を編纂した藤原定家(ふじわらのていか)は、日記『明月記』で「古来の人の歌各一首、天智天皇より以来、家隆雅経(いえたかまさつね)に及ぶ」と書いており、天智天皇の歌を最初にもってくることを決めていたようだ。天智天皇は桓武(かんむ)天皇以降、平安時代の天皇の祖であり、平安の人々に敬愛された帝であった。定家も天智天皇に敬意を払い、この歌を巻頭に据えたのだろう。
The Emperor Tenji reigned from A.D. 668 to 671, his capital was Otsu, not far from Kyoto, and he is chiefly remembered for his kindness and benevolence. It is related, that one day he was caring birds away, while the harvesters were gathering in the crop, and, when a shower of rain came on, he took shelter in a neighboring hut; it was, however, thatched only with coarse rushes, which did not afford him much protection, and this is the incident on which the verse if founded.
[The picture shows the harvesters hard at work in the field, and the hut where the Emperor took shelter.]
天智天皇
てんじてんのう
THE EMPEROR TENJI
627年~671年。38代舒明天皇の息子。母は皇極天皇。持統天皇《歌002》の父。在位4年(ただしその前に6年間政事を治めたので実際は在位10年)。帝位につく前は葛城皇子(かつらぎのおうじ)、のちに中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という。中臣鎌足(なかとみのかまたり=藤原鎌足)らとともに、蘇我入鹿(そがのいるか)を討滅し、大化の改新を行ない、都を近江国志賀(おうみのくにしが=大津)にうつした。
歌人としては「万葉集」第1期の歌人で、131415に大和三山をよんだ長歌と反歌がとくに有名で「日本書紀」にも歌がみえ、「古今集」などの勅撰集に6首入首。

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
B1…作者 poet
B2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002)
B3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down)
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。








2017年1月8日日曜日

百人一首 100 verses by 100 poets #000


000
古今集・仮名序
Kokin(waka)-shu, preface
spring
おほささき(大鷦鷯)のみかど(帝)をそへたてまつ(奉)れるうた
for celebration of the enthronement of Emperor Oosasaki
難波津に
咲くやこの花
冬ごもり
今を春べと
咲くやこの花
なにわづに
さくやこのはな
ふゆごもり
いまをはるべと
さくやこのはな
Naniwa-dzu ni
Sakuya kono hana
Fuyu gomori
Ima o haru beto
Sakuya kono hana
難波津に咲くこの梅の花よ、冬の寒い間は芽を出さなかったけれど、今はもう春だと咲くこの梅の花よ
Ume blossoms blooming at Naniwa harbor,
You haven’t bud during long winter,
Now it’s already spring, you say,
Oh, blooming ume blossoms
仁徳(にんとく)天皇の即位を、春になって花が開くことにたとえて祝った歌。王仁は百済(くだら)から渡来した学者で、日本に「論語」「千字文」をもたらしたという。この歌と「安積山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井(ゐ)の浅き心を我が思はなくに」〈万葉集〉は、手習いをする人がまず最初に習う歌として知られている。
応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合ったため、3年間も空位となっていたが、のちに難波高津宮において大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となった際、その治世の繁栄を願って詠まれた歌とされている。なお、この歌に詠まれている花は桜ではなく梅である。
仮名序で安積山の歌と並んで「手習ふ人のはじめにもしける」と言われたように、古来書道の初学としても用いられた。実際に徳島県の観音寺遺跡から、万葉仮名で「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」と記された7世紀のものとみられる習書木簡が出土しているのをはじめ、各地から数多くこの歌を記した木簡が出土している。平安時代には「難波津の歌」と言えば「誰でも知っている歌」の代名詞となっていた。
競技かるたにおいては競技の開始時に難波津の歌を詠むことが通例となっているが、決まり字の「いまは」との混同を避けるため、四句は「今“を”春べと」に変更されている。
A verse to compare the enthronement of Emperor Nintoku to blooming flowers in the spring. Wani was a scholar from Kudara (ancient Korea), is said to have brought “the Analects of Confucius” and others. This verse is known as the first verse which calligraphy beginners learn at first.
This is recited at the beginning of the competitions.
王仁博士
わにのふみひと
DOCTOR (or SCHOLAR) WANI
王爾、和爾吉師(わにきし)とも書く。西文氏(かわちのふみのし)ら3氏の始祖。伝承では、応神(おうじん)天皇の命令で、4世紀後半に百済王が貢進。『論語』『千字文』などの書籍をもたらし、中央政府の記録を職掌とする「博士(ふみひと)となったという。日本における中国学術の本格的受容による文教興隆の祖、漢字の国字化による文字言語・表語体系の創出者とされている。6世紀前半の百済王が倭(わ)王に提供した中国南朝系の学芸・技能・思想を体得した知識人として造型された伝承上の人物であろう。



古今和歌集(こきんわかしゅう)
平安中期、日本最初の勅撰和歌集
略称『古今集』。20巻。歌数約1100首。醍醐(だいご)天皇の勅により編集を始め、905(延喜5)年撰進された。撰者は紀貫之《歌035》、凡河内躬恒《歌029》、紀友則《歌033》、壬生忠岑《歌030》ら。『万葉集』に入らなかった古歌とそれ以後の新しい歌を集大成したもので、巻頭に貫之の「仮名序」、巻尾に紀淑望(よしもち)の「真名序」を置く。歌風は七五調・体言止めが多く、優美典雅、理知的で機知を尊ぶ。のちの勅撰和歌集の理想となった。代表歌人としては撰者らのほかに六歌仙がいる。


  ──『日本史事典』

今回の動画、ブログとも体裁こそ同じですが、本来の「百人一首」に含まれる歌ではないため、資料がほとんどありませんでした。
が、音声は入手できたので、せっかくなので、動画を作ることに。
英訳も「cocolo supplie ココロさぷり」でしているので、拙いかもしれません。
競技かるた(札取りの速さを競うもの)で競技開始の合図として詠まれる歌だそうです。
使用している画像も異なります。
作者画像(B2、B3)は http://tei1937.blog.fc2.com/blog-category-17.html から拝借しました。

動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
B1…作者 poet
B2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002)
B3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down)
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.  
No English.  
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。













2017年1月7日土曜日

百人一首 100 verses by 100 poets~序 preface



かつてはお正月の風物詩だった百人一首。
現在は核家族どころか個々に過すことが多くなって、家族で百人一首を楽しむ家庭はほとんどないような気がします。
とはいうものの、授業の一環として取り入れている学校もあると聞きます。
そんな学校の生徒さんたちは100首すべて暗記しなければならないとか──、文字だけ音声だけで覚えるよりも視覚的刺激があるほうが記憶に残るのではないでしょうか。
日本人に限らず、海外にも和歌のファンが少なからずいるみたいですし。

1000年以上の長きに渡って親しまれてきた百人一首、日本の文化の一端ともいうべき百人一首について紐解いてみましょうか。
ここで取り上げているのは『小倉百人一首』です。

小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)

歌がるた(和歌の全句が書かれた読み札と下句のみが書かれた取り札から成り、取った札の多少を競う室内遊戯の一種)の一種で、その代表的なもの。藤原定家(さだいえ・「ていか」とも 1162~1241)が京都の小倉山荘で撰したと伝えられる100首の和歌(1歌人1首)が札に記されていることからこの名がある。札は和歌の全句を書いた読み札と下句だけの取り札(拾い札)各100枚に分れ、読み札には作者の肖像画が描かれているのが普通。この遊戯は江戸時代の寛永年間頃江戸城大奥の御殿女中たちの間から始り、元禄年間には遊女や武家の女たちに広がった。当時は文芸的、教育的要素が強かったが、明治中期以降、現在のような正月行事となった。遊び方は、読み手が読み札を朗詠風に読み、取り手が取り札を取る。取り手が2組に分れ、取り札も2分して競うのが「源平」、取り札を座の中央にまき、取り手ひとりひとりが競うのが「散らし」である。また読み札を裏返して積重ね、順次めくり捨てて坊主の札がくると拾い札を拾う(その逆もある)「坊主めくり」という遊び方もある。100枚をめくり終ったときの餅札の少い者が勝つ(その逆もある)。
──『ブリタニカ国際大百科事典』

百人一首(ひゃくにんいっしゅ)

1人1首ずつ、100人の作品合計100首を集めた秀歌選の一種。最も知られるのは『小倉百人一首』で、これは天智天皇から順徳天皇にいたる100人の秀歌100首から成り、歌がるたとして広く民衆の生活に浸透し、古典和歌の普及に役立った。なお将軍足利義尚撰『新百人一首』をはじめ、「武家」「女房」「道歌」「英雄」などを冠した百人一首の類が多数つくられ、江戸時代には歌がるたとして流行した。
──『ブリタニカ国際大百科事典』

◎小倉百人一首の鑑賞

小倉百人一首は、いまから千三百年ほど前の、大和時代から鎌倉時代のはじめまでの約六百年にわたって詠まれた、当代の代表的歌人百人の歌から、各一首ずつ選ばれた秀歌百首である。
出典は、わが国ではじめての勅撰歌集で、和歌の伝統を確立した「古今和歌集」からの二十四首を筆頭に、「続後撰和歌集」までの、中世の和歌の代表的な歌が選ばれた十代勅撰和歌集である。
詠人は、第三十八代天智天皇から第八十四代の天皇順徳院まで、御鳥羽(ごとば)院と順徳院を別格にして、歌人の年代順に配列されている。
詠人の身分は、天皇八人、親王二人、関白、大臣九人、大納言、参議などの朝臣(ちょうしん)四十五人、女房二人、官女(かんじょ)十七人、その他菅家、人麻呂、赤人、猿丸太夫、蝉丸の五人で、男性七十九人、女性二十一人である。恋歌がいちばん多く四十四首、ついで雑、秋、春、冬、夏、旅の歌となっている。

◎900種こえる百人一首

百人一首とは、百人の歌人の和歌を一首ずつ選び、百首まとめた歌集である。なかでも、百人一首として知られているのは「小倉百人一首」である。本書も百人一首の一つである小倉百人一首である。
百人一首には、足利義尚(よしひさ)が撰んだと伝えられる「新百人一首」や「後撰和歌集」から二条良基(よしもと)が撰んだとされる「後撰百人一首」をはじめ、「武家百人一首」「女房百人一首」「源氏百人一首」「道歌百人一首」「畸人百人一首」「花街百人一首」「現存百人一首」などがあり、明治時代には「古今百人一首」「明治百人一首」「教訓百人一首」などがあり、太平洋戦争中の昭和17年には、日本文学報国会撰「愛国百人一首」が刊行され、戦後は「平和百人一首」が出るなどある。
また、「続武家百人一首」「新葉百人一首」といった百人一首という名がつかない“百人一首”つまり「蔵笥百首」「万葉山常百首」「心学道歌古今百首」「古今和歌集一首撰」「近代百首」「当世通歌仙」、明治にはいってからの「名教百首」「明治英名百首」「明倫百首歌」「近世名婦百人撰」などが、研究者によって明らかにされている。
そして類書をふくめると、その数は900種をこすとさえいわれている。
このように多くの“百人一首”があるなかで、百人一首という場合は「小倉百人一首」をさすわけでそれがいかにすぐれた撰集であるか、いかに日本人に親しまれてきたものであるか、改めて、小倉百人一首の魅力がよみがえり、惹かれるのである。

◎小倉百人一首の原形

百人一首の名がはじめて文献に見えるのは、室町時代の末期で、一条兼良(かねよし)の著と伝えられる「とうてん暁筆(ぎょうひつ)」に出ている“今の世に百人一首と申し侍(はべ)るなり”という藤原定家の嵯峨(さが)山荘の色紙のことを記した文字が最初とされている。
小倉百人一首は百人一首ともいわれているが、はじめは「小椋(おぐら)山庄色紙(しきし)和歌」、「小倉(おぐら)山庄色紙形(がた)和歌」「嵯峨山庄色紙形」などといわれ、「小倉百人一首」ともよばれたことが文献に見える。
小倉とか嵯峨というのは地名で、この「小倉百人一首」の撰者(異説がある)と伝えられる藤原定家の山荘があった、いまの京都市右京区嵯峨の小倉山のことである。
百人一首の原形は、定家の日記「明月記(めいげつき)」の文暦(ぶんりゃく)2年(1235、この年の10月に嘉禎(かてい)と改元)5月27日の記事などから、古来の人の歌を、定家が書いて、嫡男・為家の妻の父・宇都宮頼綱におくり、頼綱が嵯峨中院別荘の障子(ふすま)に貼った色紙である。
この小倉色紙ともよばれる色紙和歌は、一面に歌一首を四行書きにしたもので、作者名はない。「小倉山山庄色紙形和歌」という題名は、色紙を書き写して冊子にしたときにつけられたものとされ、現在のような「小倉百人一首」という名称が定着するのは、のちのことである。
◎小倉百人一首の成立と成書
百人一首の原形である小倉色紙の和歌は、「古今和歌集」から「新古今和歌集」にいたる八代集の中から、定家が撰した「二四代(にしだい)集」(1791首収録)から撰している。このときの元本として成ったと推定されるのが、百一人百一首の「百人秀歌」である。
この「百人秀歌」と現在の「百人一首」を比較すると、配列順はちがっても、97首が一致する。
こうして抄出した和歌を定家が書き、頼綱におくられたと考えられるが、この小倉色紙を「百人一首」という冊子にしたのは定家の子、為家である、という説が定着しつつある。定家が撰した和歌百首を為家がほぼ年代順に配列し、色紙にはなかった作者名と官位を記し、巻頭・巻末にそれぞれ天智・持統両天皇、後鳥羽・順徳両院父子の歌を揚げた、という説である。
もっとも、この説には異論があり、現在の百人一首の成立についても、文中元(1372)年前後とする説があるが、明らかではない。

◎小倉百人一首の内容

小倉百人一首は、奈良、平安、鎌倉の三期、約570年にわたる時代の、天智天皇から順徳院にいたる百人の歌である。
百種はすべて勅撰集から撰ばれた歌で、「古今和歌集」から24首、「後撰和歌集」から7首、「拾遺和歌集」から11首、「後拾遺和歌集」から14首、「金葉和歌集」から5首、「詞花和歌集」から5首、「千載和歌集」から14首、「新古今和歌集」から14首、「新勅撰和歌集」から4首、「続後撰和歌集」から2首となっている。
歌の部立(分類)は、春の歌6首、夏の歌4首、秋の歌16首、冬の歌6首、恋の歌43首、雑の歌20首、覉旅の歌4首、離別の歌1首で、恋の歌が多い。ついで秋の歌が多いなど、心の歌を求めて撰したといわれる定家の和歌によせる気持ちがしのばれる。

◎かるた遊び・いまむかし

小倉百人一首のかるたは、一首全歌詞(5-7-5-7-7)が書いてある「上の句札」(読札)と、下の句(7-7)だけ書いてある「下の句札」(取札)と各百枚ずつある。
かるた遊びは、読人(よみびと)が読札を持ち、取札を並べ、読人が作者の名前から読みはじめて、全歌詞を読むうちに、一座の人たちが並べた取札のなかからさがして取るのである。
いまは作者の名前を読まないのが普通であるが、むかしはいまのような早取り競技ではなかった。与えられ、並べた札のなかに出札(該当札)があれば、それを裏返しに伏せ、伏せおわった順に勝ちとなるしくみであった。
もっとも、出札があった場合には、右隣りに座った人にそのかわりの一枚を送る、あるいは月、雪、花の文字がはいった札が出た場合には二枚送る、などの“送り勘定”なども行われたようであるが、いわゆる「早取り競争」ではない優雅な遊びであったと想像される。

◎競技かるたの由来

小倉百人一首のかるた競技は優雅な娯楽である。もっとも、このかるた競技を「かるた道」として取り組んでいる人もおり、段位があり、名人戦があり、各種の大会がひらかれ、技を競い合っている。その競技人口は約18万人といわれ、年毎にふえつつある。女性の有段者も多い。
正月に自宅で百人一首を楽しもうという人は、およそ400万世帯1千万人を超える。お座敷かるた、つまり、遊びにしても、それをより楽しくということで、それぞれ早取りの工夫がなされている。
小倉百人一首のかるた競技は、読人が上の句札(読札)で全歌詞を読むうちに、一座の人たちが下の句札(取札)をさがして取るわけで、早取りのポイントは歌を知っていることである。
お座敷遊びであった小倉百人一首のかるたを競技として、のちの盛況をもたらしたのは黒岩涙香(くろいわるいか)という人の努力に負うところが大きい。小説家であり、「萬朝報」新聞社の社長であった黒岩涙香氏は、ながい伝統をもつ小倉百人一首のかるたを科学的に分析研究し、早取り法をあみだし、従来の遊び方法を変え、1対1で対戦する競技方法を打ち出した。
その新しい競技方法による初の全国かるた大会が開かれたのは、日露戦争中の明治37年2月であった。これが全国各都市に波及、地元新聞社などの後援で、各地でかるた大会がひらかれるようになった。中心は東京かるた会で、毎年選手権大会が開かれ、現在にいたっている。
──『絵入り百人一首入門』佐藤安志・著(土屋書店)

This early translation of one of Japan’s most famous anthologies of poetry has preserved its charm for almost a century, and remains by far the most popular of classical poetry anthologies among the Japanese.  The Hyaku-nin-isshu (literally “one hundred poems by one hundred poets”) is a collection of a hundred evocative and intensely human specimens of Japanese tanka (poetry written in a five-line thirty-one syllable format in a 5-7-5-7-7 pattern) composed between the seventh and thirteenth centuries and compiled by Sadiye Fujiwara in 1235.  These little gems consist almost entirely of love poems and picture poems intended to bring some well-known scene to mind: nature, the round of the seasons, the impermanence of life, and the vicissitudes of love.  There are obvious Buddhist and Shinto influences throughout.  To make the sounds more familiar to English readers, the translator has adapted a five-line verse of 8-6-8-6-6 meter, with the second, fourth, and fifth lines rhyming.  His accompanying notes put the poems into a cultural and historical context.  Each poems is illustrated with an eighteenth-century Japanese woodcut by an anonymous illustrator.
──"A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)

百人一首とは何か、大まかに把握したところで、動画の見方、ブログの読み方などの説明をしましょう。
まず、朗詠音声はプロのもので、左大臣光永さん(http://ogura100.roudokus.com/)による朗詠です。
BGMとして使用させていただいた曲は、雅楽『平調 越天楽』というもので、クラシック名曲サウンドライブラリーさん(http://classical-sound.seesaa.net/)からダウンロードしました。
動画では多くの画像を組み合わせています。
以下の画像をご参照ください。

(クリックすると拡大画像がご覧いただけます。)
まず右上の画像を見てください。
これは動画中の和歌部分の画像です。
各記号の示すものは以下のとおりです。

A…作品番号 number of the verse
B1…作者 poet
B2…作者肖像画 portrait of the poet
『錦百人一首あつま織』勝川春章(1775年)"Nishiki Hyakunin-isshu Azuma Ori" by Shunsho Katsukawa (1775)/国立国会図書館(http://www.ndl.go.jp/)(※#002除く except #002)
B3…作者肖像画 portrait of the poet
『今様百人一首吾妻錦』永楽屋東四郎(江戸時代後期?)"Imayo Hyakuninn-Isshu Azuma Nishiki" by Toshiro Erakuya (late Edo era?)
C…出典 origin
D…部立 category(左下画像参照 see the image of left down)
それぞれの色は平安時代女房装束のかさねの色です。
四季はそれそれの着用時期に合わせたもの、恋・旅・他は通年での着用の色。
E…詞書 description
F…イメージ画像 image picture of the verse
基本的に明記されていないものはすべてPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)の写真です。
歌に詠まれた事象がメインですが、時刻、時期、場所などは歌の内容とは異なる場合がありますので、あくまで歌の世界を堪能する助けとして見てください。
当然ながら歌の詠まれた当時の写真ではありません。
なかには現代社会が映りこんでいるものもあります。
なお、恋の部立などの象徴的なものに関しては、独断でそれらしいものを選んでいます。
G…歌意イメージ画像 image picture of the meaning of the verse
英語の解説書にあった画像ですが、題名・作者など一切不明です。
18世紀の木版画とありますが、著者のWilliam N. Porter氏も作者はわからなかったようです。
(英語では画像について説明されている歌もありますが、日本語はありません。)
Sentences in [ ] describe about the picture.

右側の画像はブログの表に関してです。
この画像に用いている色は各部分を区別するためのもので、特に意味はありません。
黄色のアルファベットは動画のものと対応しています。
詳細は上記を参照願います。
緑のアルファベットはブログのみです。
H…歌 verse
これなくしては成り立たないので、当然動画にも入れています。
左:漢字かな表記(歴史的仮名遣い) LEFT: Kanji + Hiragana (old writing)
漢字を使っているもの、かなを使っているもの、漢字も異なるもの、かなりのヴァリエーションがありますが、個人的に見て美しいものを選んでいます。
中:ひらがな表記(現代仮名遣い) MIDDLE: Hiragana (modern writing)
右:ローマ字表記 RIGHT: rōmaji
I…歌意 meaning of the verse
日本語:『一冊でわかる百人一首』吉海直人・監修(成美堂出版)のものを採用しています。
English: from "A Hundred Verses from Old Japan: a translation of the hyaku-nin-isshu" by William N. Porter (TUTTLE PUBLISHING, 1979, first edition 1909 by The Clarendon Press, London)
J…解説 explanation of the verse
同上
same as above
K…作者について about the poet
Sorry.
No English.
Some have description by Mr. William N. Porter in J section.

余談ですが、動画の和歌部分上下の千代紙柄、背景の和紙素材はAC Worksさんの提供による素材を使っています。











2017年1月4日水曜日

midday



パルコの「Good Day Books」シリーズ第3弾。
夜明けに続いて昼。
写真を撮った人の名前はわかりますが、どの人がどの写真なのかは訊かないでください、答えられません。

PHOTO:『Good Day Books 昼の本』(PARCO出版・1995年)
NASA/PPS
Jun Yokokura/COSMO & ACTION
Hisashi Mochizuki/PPS
Kazuyoshi Miyoshi/PPS
Denise Deluise/MEGAPRESS
William Mever/MEGAPRESS
Thomas Braise - The Stock Market/IMPERIAL PRESS
Tony & Liz Bomford - Survival Anglia/IMPERIAL PRESS
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Pictor International/IMPERIAL PRESS
Sherman Hines - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Visual Communications Ltd./PPS
Takanori Yamakawa/PPS
Tsuneo Nakamura/VOLVOX
J. Carolyn/PPS
Masanori Marubayashi/COSMO & ACTION
Fujio Nakahashi/COSMO & ACTION
MUSIC: DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)

evening


これも夜明け同様、パルコの本の写真です。
やはり、写真家と作品との関連性が不明です。
すみません。
スキャンしたものなので、ちょっとモアレ(網点を重ねる多色印刷などで現れる斑紋現象)が出ているかもしれません。
プロによる綺麗な写真なんですが……。

PHOTO:『Good Day Books 夜の本』(PARCO出版・1995年)
Atsushi Tsunoda/COSMO & ACTION
Takanori Yamakawa/PPS
Kenji Goshima/Q PHOTO INTERNATIONAL
Norio Nakajima/Q PHOTO INTERNATIONAL
Mitsuyuki Shibata/COSMO & ACTION
Courtney Milne - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Dewitt Jones/PPS
D. Cavagnaro/PPS
Carolina Biological Supply - Phototake/IMPERIAL PRESS
Courtney Milne - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Visions/IMPERIAL PRESS
Carlo Borlenghi/COSMO & ACTION
Takashi Katahira/Q PHOTO INTERNATIONAL
Anselm Spring/Q PHOTO INTERNATIONAL
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Courtney Milne - Masterfile/IMPERIAL PRESS
F. Garnham/PPS
MUSIC: DOVA-SYNDROME (http://dova-s.jp/)

daybreak



夜明けの写真に音楽を合わせ動画に仕立てました。

PHOTO:『Good Day Books 夜明けの本』(PARCO出版・1995年)
Jeff Horn Baker/PPS
Mark Stephenson - West Light/IMPERIAL PRESS
Mike Dobel - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Alain Evrard/PPS
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
John Gerlach/PPS, Noriyuki Azegami/PPS
Jeannie Mackinn/PPS
Kazuyoshi Nomachi/PPS
Visual Communications Ltd./PPS
Dewitt Jones/PPS
Albano Guatti/PPS
Toshi Otsuki/MEGAPRESS
Mike Dobel - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
Daryl Benson - Masterfile/IMPERIAL PRESS
MUSIC: Purple Planet Royalty Free Music (http://www.purple-planet.com/)

さすがにプロの写真ですね。
写真家の名前を列挙しておきましたが、どれがどの方の作品なのかは不明です。
本の写真をスキャンしたものがパソコンにはいっていたので。
印刷物で見るときとは感じが違うと思います。

2017年1月2日月曜日

お目当ての記事はブログ内検索をご利用ください

YouTubeの日本・日本文化のチャンネル「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」、もうお楽しみいただいていますか?
癒し動画チャンネル「cocolo supplie ココロさぷり」ともどもよろしくお願いしますね。

さて、今回新規に「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」を立ち上げたわけですが、これによりブログの記事をシリーズごとにまとまった形で投稿することが難しくなった気がします。
癒し系動画も並行して投稿していくので、その記事も掲載していくことになります。
現在「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」の企画として、百人一首が進行していますが、一首一記事の予定でいますので、当然100の記事になります。
これを週に数首ずつYouTubeにアップロードしていくつもりですが、順調に記事投稿ができたとしても、動画投稿よりもペースは落ちると思います。
(事実、今現在も動画は投稿したものの、ブログ記事作成が追いついていない状況で、記事なしの動画がかなりあります。)
シリーズとはいえ、動画としては単独で楽しんでいただけるものばかりなので、「どうしても順次、記事を読みたい!」という方以外はそれほど問題ないとは思いますが。
なので、「どうしても」の方は、お手数ですが、右の検索窓に記事タイトルを入力し、検索してお読みください。
検索はブログ内検索になっていますし、シリーズもののタイトルには通し番号をふっていきますので。

Googleの提供するこのBloggerサービス、他のGoogleサービスとの連携はいいのですが、単独だと若干使いにくいところもあるんですよね。
たとえば「カテゴリー」、ここでは「ラベル」という名称ですが、他のブログサービスでいう「タグ」と「カテゴリー」が一緒になってしまっているんです。
つまり、お目当ての記事が探しにくいという状況なんですよ。
タグとカテゴリーが分かれていれば、たとえば「cocolo supplie ココロさぷり」の動画の分類では「名言 quotes」でニーチェのものが含まれる動画に関する記事を拾い出すことも可能なんですが。
他者の作ったシステムを間借りする分際では、従わざるをえないですね。

ということで、ご不便をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いします。

なお、Gメールご利用の方はいずれもチャンネル登録しておくと、新規動画が投稿された際、Googleから通知が届いて便利ですよ。
チャンネル登録はコチラ
cocolo supplie ココロさぷり ⇒ https://goo.gl/2Kw70i
wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり ⇒ https://goo.gl/XkZufY

運営はどちらも「cocolo supplie ココロさぷり」ですが、YouTubeでは別個のチャンネルになっているので、「cocolo supplie ココロさぷり」にチャンネル登録したら「cocolo supplie ココロさぷり」の動画、「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」だったら「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」の動画の分しか通知されません。
チャンネルのトップページなども見やすくしていく考えでいますので、もう少し待っていてください。

2017年1月1日日曜日

New Year celebration in Japan - 日本の新年の祝い




迎春 gēshun (to have a new year)
あけましておめでとうございます。akémashité omédétō gozaimas(u).
めでたき新年を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げます。We pray for your health and happiness sincerely on New Year.
旧年中は格別のご芳情にあずかり感謝に堪えません。We appreciate very much your kindness during the last year.
本年も相変わらずご交誼のほどひとえにお願い申し上げます。We do hope to have your friendship this year too.

"hatsu-hinode;" sunrise on New Year's day, "hatsu-mōde;" first visit to shrine of the year, "osechi;" the special dish for new year, "(o)toso;" spiced saké, "(o)zōni;" rice cake soup, "kadomatsu;" pine/bamboo decoration, "mochi-tsuki;" making rice cake, "jūnishi;" chinese zodiac, "shichi-fuku-jin;" seven lucky gods, "tako;" kite, "koma;" top, "hagoita;" battledore..., collected video of various lucky images of new year.  Send the link as new year greetings.
 初日の出、初詣、おせち料理、お屠蘇(とそ)、お雑煮、門松、餅花、餅つき、十二支、七福神、凧、独楽(こま)、羽子板といったお正月からイメージされる画像を集めた動画です。新年のご挨拶としてシェアしていただけるといいですね。

昨年は「cocolo supplie ココロさぷり」を立ち上げ、多くの方々に動画をご覧いただきました。
ありがとうございます。
今年は姉妹チャンネル、「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」を開始し、日本および日本文化についての動画を投稿していこうと思っています。
本家「cocolo supplie ココロさぷり」同様、よろしくお願いします。

記念すべき「wa-gocolo supplie 和ゴコロさぷり」第1作は新年の風物詩の画像を集めた動画に仕立てました。
初日の出、初詣、おせち料理、お屠蘇(とそ)、お雑煮、門松、餅花、餅つき、十二支、七福神、凧、独楽(こま)、羽子板などの縁起物です。
ぜひ新年のご挨拶として活用してください。

写真はフォトストックサイトのPhoto Libraryさん(https://www.photolibrary.jp/)のものと手持ちの素材集のものを組み合わせています。
音楽はHURTRECORDさん(http://www.hurtrecord.com/)。
<a href="http://www.hurtrecord.com/" target="blank"><img src="http://www.hurtrecord.com/img/bn/468-60b.gif" alt="著作権フリーBGM配布サイト HURT RECORD 応援バナー" title="ハートレコード" width="468" height="60"  border="0" ></a>
何度も使わせていただいているので、もうおなじみですね、きっと。

写真の点数が多いので、ちょっと長くなってしまいました。
小さいサイズのものを無理やり大きくして使っているので、画質が粗いかもしれません。

さて、お正月の縁起物、そのいくつかその由来を辿ってみたいと思います。
すべて『ブリタニカ国際大百科事典』からの引用です。
(おせち料理の各構成料理と鏡餅は、某スーパーのチラシに載っていたものです。)

初詣

正月に初めて社寺に参詣すること。江戸時代に恵方(えほう)参りと称して、その年の恵方(古くは正月の歳神(としがみ)の来臨する方向をいった。陰陽道が入ってのちは、その年の歳徳神(としとくじん)、恵方神がおり、たたり神のめぐってこない最もよい方向とされた)にある社寺に詣でる風習が盛んになったが、古くは1日の境を日没時としたため、大みそかの夕刻から一家の主人が氏神のやしろにこもったり、社前で火を焚いて夜明かししたりする年籠りが行われた。しかし、除夜の鐘を合図に新年を迎える考え方となってから、今日のような形となったものと思われる。

御節(おせち)料理

おせちは御節供(おせちく)の略で、御節料理は正月および五節供(季節ごとの食物を神に供えて、節日を祝う、公家以下庶民の儀式行事、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうようの5回)に用いる料理を意味したが、現在では正月に用意するごちそうのことをいう。古くは、ごぼう、芋、人参、こんにゃく、大根、焼き豆腐、こぶ巻などの精進物を主とした煮しめであった。現在では、このほかに新年を祝う心を表わす祝い肴(こぶ巻、田作り、黒豆、数の子など)、口取り(会席料理で食膳の初めに皿盛りして吸い物と一緒に出す料理で、3~9品の奇数の盛り合わせ。日の出かまぼこ、きんとん、伊達巻など)、焼き物および酢の物などがある。味つけはやや濃い目で保存性に富み、彩りのよいものが多い。重詰にして供するのが一般的である。

・かまぼこ

紅と白は縁起の良い色。かまぼこの形が初日の出を表し、新しい門出を意味します。

・伊達巻(だてまき)

形が巻物(書物)に似ていることから、知識が増えるという縁起をかついでいます。

・栗きんとん

黄金色がお金にたとえられ、財産に恵まれ、金運が上昇するという意味があります。

・海老(えび)

腰が曲がるまで丈夫に長生き出来ますようにという願いがこめられています。

・酢だこ

8本の足が末広がりをあらわしているので縁起が良いといわれています。

・数の子

にしんの卵は数が多いことから、子宝に恵まれるという意味があります。

・黒まめ

まめ(まじめ)に働き、まめ(健康)に暮らせるように願います。

・田作り

豊作を願い、田んぼに小魚をまいたことから五穀豊穣を意味します。

・昆布巻

昆布は「よろこぶ」の語呂合わせ。結び昆布には、良い縁が結ばれますようにとの願いが込められています。

・なます

縁起の良い紅白の色には平和に暮らせるようにとの願いが込められています。

鏡餅

古来、金属製の鏡の形を連想して名づけられた丸く平たい餅。各地の祭礼の折にもつくるが、一般には正月用の飾り餅をいう。正月には歳神の霊威にふれて各自の霊を更新するため、家族ひとりひとりの霊をかたどった身祝いの餅を並べておくものであったが、これと、歳神への供物であった蓬莱(お手かけともいう)とが合体し、三方(食品や盃などを載せる儀式的な台)に2重か3重の餅を飾り、だいだい、伊勢えび、昆布、干し柿、かちぐり、しいの実、裏白などを添え、床の間などに供えるようになった。
丸い餅は、神様が宿るといわれる鏡に似ていることから鏡餅とよばれ、丸い形は家庭円満、重ねた姿は1年をめでたく重ねるといわれています。

屠蘇

正月の祝儀に用いる酒の一種。味醂を台として、山椒、肉桂、桔梗、大黄など漢薬を加えたもの。中国から伝わったもので、平安時代初期には正月の薬酒として広く用いられた。中国では蘇と呼ばれた鬼を屠(ほふ)るということを意味しており、日本では健康を祝うための祝儀用として使われている。

雑煮

餅に数種の野菜、鶏肉、魚介類、魚肉練製品、豆製品などを加えて煮た汁物。正月三ヵ日に食べて新年を祝う。古くは室町時代にもつくられたが、一般的に行事食となったのは江戸時代からである。地方により汁や加える副材料に特色があり、汁は大別して濃尾平野を境にして関西地方の味噌汁と中部・関東地方以北の澄まし汁に分けられる。たとえば東京付近では焼いた切り餅に鶏やかもの肉、えび、かまぼこ、青野菜、ゆずなどを加え、こんぶとかつお節で出汁をとり、澄まし仕立てとする。京阪地方では、大根、人参、八頭などの野菜や焼き豆腐などを入れ、丸餅を焼かないで湯煮して加え白味噌仕立てとする。

門松

正月に歳神を家々に迎える依代(よりしろ・祭りにあたって神霊が依りつくもの、また神霊が意志を伝えるため人間界に現れるときに依りつくもの)として門口に立てる松飾り。古風な例では12月13日、普通は年末近くに山へ行き、松の木の芯の部分をとるが、どこの山からとってきてもよいとされていた。門松は1月4日、または7日頃まで立てておき、供物を供えたりしたのち、注連飾りなどとともに小正月(1月15日を中心とする一連の正月行事、その年の豊凶を占うものが多い)のドンドの火で焼く。以前は椿、榊、樒(しきみ)、椎、杉などを立てる例もあったが、松をめでたい木と考えるようになってから松に固定し、また同じ理由から竹を添える地方も多くなった。また門口に立てず、拝み松などといって床の間や神棚だけに飾る地方もある。小正月を重んじている地方では、門松との重複を避けて、小正月には若木を立てる。若木は一般に落葉樹のことが多い。また先祖が松で目を突いたとか、戦いに負けて年末にこの地に落ちのび、門松を立てる暇がなかったなどの由来をもって門松を立てない家もある。門松は松の芯をとることから、森林保護のために廃止運動が盛んになっているが、大都市の近郊農村では、門松用の小松を別に栽培しているのが実情である。

十干十二支(じっかんじゅうにし)

干支(えと)ともいう。中国の上古に始る暦法上の用語。十干は、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸で、何を基準にしたかは明らかでないが、もと一旬(10日)を表わす。十二支は、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。すでに殷代に、干支の組み合わせで暦日を表わしていた。紀元前4世紀頃、十干が五行(木、火、土、金、水)に配当され、紀元前2世紀頃、十二支が鼠、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪に配当され、これが伝えられて、日本では甲子を「きのえね(木鼠)」、乙丑を「きのとうし(木牛)」、丙寅を「ひのえとら(火虎)」のように呼ぶ。漢代、紀元前2世紀頃、干支の組合せが、年、月の順を表わすのに用いられ、十二支の時刻、方角などを表わすのに用いられるようになった。また、この頃から、占星術、五行説、その他の俗信と結びついて、迷信が盛んに行われるようになった。

七福神

福徳をもたらす神として信仰されている7人の神。地域住民の日常生活のなかで伝統的に形成された宗教現象である民間信仰。インド、中国、日本に伝わる信仰対象を組合せて竹林の七賢などにならって室町時代に「七」に整えられ、福の神としたもの。えびす(恵比須〈日本〉)、布袋、福禄寿、寿老人(以上中国)、大黒天、毘沙門天、弁財天(以上インド)の7神。

風力を利用して空高く揚げる遊び道具の一種。細く削った竹、木を骨として、菱形、長方形、やっこ形などに組み、これに紙または布を張り糸をつけたもので、字凧と絵凧とがある。ヨーロッパでは紀元前4世紀頃にギリシアで、中国では紀元前3世紀の漢代に初めて揚げられたと伝えられる。初めは気象観測や軍事利用などの目的をもっていたらしいが、のちには遊び道具となった。世界各国に多くの種類がみられる。日本には平安時代末期に中国から伝わり紙老鴟(しろうし)、紙鳶(しえん)と呼ばれていたが、次第に一般化し江戸時代には正月の代表的な子供の遊び道具となった。名称も凧(関東)、イカ(関西)、ハタ(長崎)など地方によりいろいろに呼ばれた。しかし本来は単なる遊びではなく、地方によっては端午の節供などに行われる大凧揚げや凧合戦にみられるように、幸福祈願、魔よけ、年占(その年のよしあし、農・漁業の豊凶、年間各月の天候状況などを占うこと)などの意味をもっていた。

独楽

玩具の一つ。機能的には心棒を対称軸とする回転対象形をし、心棒を固定点としてそのまわりに回転する物体をいう。世界的に古くから分布しているが、日本では奈良時代以前に高麗(こま)から鳴りごまが伝えられたので、この名があるという。こまの原形は木の実、貝殻などと考えられるが、轆轤(ろくろ)細工の木のこま、貝(べい)に似せた鋳鉄のべいごま、竹でつくった鳴りごまなどの種類がある。心棒を指でひねるもの、胴に紐などを巻き、投げるようにして回転させるもの、中国大陸には多い鞭打ちによって回転させるもの、また輪鼓のようにヨーヨーまがいのものなどがある。日本では大人の手によって、曲ごま、からくりごまなどもよく発達し、寄席芸として現在にも伝えられている。

羽根つき

羽根を羽子板でつく正月の遊び。年占に由来すると思われる古い遊びであるが、羽根を蚊を食うとんぼに見立て、子供が蚊に刺されないまじないとしてつかせとする説(一条兼良『世諺問答』)もある。『看聞御記』に永正4(1507)年に追羽根が行われた記事があるところからみれば、初めはもっぱら追羽根が競技として行われたものらしく、1人でつき遊ぶ衝羽根が行われるようになったのは、のちのことらしい。

とはいえ、凧、独楽、羽根つきなどの遊びは、今ではすっかり見かけなくなりましたね。
都市部では、凧を揚げられたり羽根つきができたりするほど広い土地はないでしょうし、ただただ廻るのを眺めたり回転時間を競うだけの独楽は、プレイステーションやDSなどのゲームほどの魅力はなさそうですし。

時間に追われる現代社会では、年始もゆっくり休んでいらられないのか、コンビニはもとより、スーパーも元旦から営業してますからねぇ。
昔は少なくとも三ヵ日は街もひっそりとしていたものですが。

遊びも生活様式もどんどん変化していく──。
伝統的なものが失われるのはちょっと寂しいですね。



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