※YouTube外部での動画再生はできないようです。
↑このリンクをクリックしてご覧ください。
紫式部の『源氏物語』って、ヨーロッパ人のギリシャ神話なみの知名度なんでしょうね、きっと。
って、「ノッケから何を?」と思う方もいらっしゃるかも。
源氏物語絵巻の画像を入手したので、動画に仕立ててみたんですが、この絵巻物、文章が書かれてから約100年後に作られたらしいんです。
ということは、その100年間、読み継がれていたってことですよね。
ギリシャ神話の題材は絵画やオペラとして身近な存在(貴族階級に限りますが)であったのに対し、日本では『源氏物語』なんだろうな、とふと思ったりして──。
下記、引用にもありますが、成立は西暦1000前後、ということはゆうに1000年以上経過しています。
今なお読者を魅了しているところをみると、ギリシャ神話より上かもしれませんね。
江戸時代には挿絵や注釈つきの本が広く出回ったようです。
庶民階級(とはいえ裕福な家柄だろうと思いますが)でも、寺子屋があったおかげで読み書きができる人も多数いたはずで、今でいうベストセラーで、一般教養でもあったとか。
作品と作者、登場人物についてちょっとおさらいしましょうか。
源氏物語 ゲンジモノガタリ
平安時代中期の物語。紫式部著。ただし、そのすべてが紫式部の筆に成るのではないとする説もある。54帖。寛弘(1004~12)頃成立か。物語は3部に分けてみることができる。第1部は、容貌、才能などすべてにすぐれた主人公光源氏が、多くの女性と関係をもちながら、運命に導かれて栄華をきわめる姿を描く。これに対して第2部は苦悩の世界であって、光源氏は最愛の紫の上を失い、栄華は内側から崩壊する。第3部(宇治十帖)は光源氏没後の物語で、不義によって生れた薫大将を主人公として、不安に満ちたくらい世界が展開される。さまざまな恋愛と運命的な人生のうちに、貴族社会の苦悩を摘出したところに価値があり、現代では、世界的な文学として広く迎えられている。
紫式部 ムラサキシキブ 天延1(973)頃~長和3(1014)頃
平安時代中期の物語作者。『源氏物語』の作者。漢学者であった藤原為時を父として生まれ、母は藤原為信の女で早く亡くなり、父の手で育てられた。長保1(999)年頃年齢の違う藤原宣孝と結婚、後冷泉院の乳母になった大弐三位賢子を産んだが、同3年夫と死別。この寡婦時代に『源氏物語』の執筆を開始したと推定される。寛弘2(1005)年あるいは翌3年の年末、一条天皇の中宮彰子に出仕したが、女房生活にはなじめなかったらしい。その間の事情は『紫式部日記』に詳しい。その点、清少納言とは対照的で、同時代の女流文学者として、和泉式部、赤染衛門らとともに対比されることが多い。40歳余で没したと推定される。家集『紫式部集』があり、伝記資料としても重視される。
光源氏 ヒカルゲンジ
『源氏物語』の主人公、桐壺帝と桐壺更衣(こうい)との間に生まれた皇子。非常に美しかったため世人や高麗(こま)の人が「光る君」と呼んだ。「桐壺」から「幻」までの41帖に彼の生涯が描かれている。
紫の上 ムラサキノウエ
『源氏物語』に登場する女性。藤壺の姪で、10歳の頃、北山の庵にいたとき光源氏に発見され、二条院に引取られる。容貌、性格、才芸など一つとして欠点がない理想的な女性に成長し、源氏の妻となる。しかし女三の宮の降嫁を迎えて、気苦労のはてに重病を得て死去。『源氏物語』の正編はこの人の追憶のうちに過す光源氏の姿を描くところで終る。
薫大将 カオルタイショウ
『源氏物語』の「宇治十帖」の主人公。光源氏の子。実は源氏の妻女三の宮と柏木右衛門督との不義の子。思慮深く、仏教に心を寄せるが恋愛に失敗する。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
Why?シリーズでもちょっと触れました
が、ヒカルが姓でゲンジが名ではありませんよ。(Japanese names are a family name first, then a personal name.)
が、ヒカルが姓でゲンジが名ではありませんよ。(Japanese names are a family name first, then a personal name.)
上の説明にありますが、「光る(ような源氏の)君」、今でいえばニックネームみたいなものでしょうか。
源氏もゲンジと読まれることが多いですが、本来はミナモト氏、
天皇の子でありながら、臣下にくだり、皇籍を離れた人たちの姓です。
(余談ですが、鎌倉幕府を興した源頼朝も元は天皇家の血筋だったんだろうと思います。)
絵巻そのもののウンチク(引用)も記しておきましょうね。
源氏物語絵巻 ゲンジモノガタリエマキ
『源氏物語』の絵画化として現存最古の遺例であり、絵巻物としても最も質の高い作品。54帖の物語からそれぞれ1~3場面を選んで絵画化し、対応する本文の一節を美しい料紙に写して挿入、絵巻として鑑賞させたもの。当初は80~90場面の詞書と絵を10~12巻に仕立ててあったと推定されるが、現在では「蓬生」から「東屋」にいたる絵19段と詞20段が、徳川美術館と五島美術館に分蔵される(国宝)ほか、「若紫」の画面の一部が補筆を受けながらも東京国立博物館に保存されており、また詞書のみの残欠も9種類ほど知られる。各場面は一定の紙幅のなかに人物の心理的な葛藤や情趣を凝集させるが、これを可能にしたものは濃彩な作り絵(岩絵具による厚い彩色で完全に塗り隠し、最後に仕上げの細い墨線で描き起す日本画の技法)の技法である。特に人物の顔は引目鉤鼻(ひきめかぎばな・長い黒髪と面長の顔に細い筆線のやや長めの目を引き、同じ筆線で鉤状の鼻を描くやまと絵の表現技法)と通称される類型に従いながら、細線を微妙に引重ねて目鼻や眉毛がやわらかく表され、緊密な画面構成や象徴的色彩効果と相まって、作中人物の心理を見る者に共感させる。保安1~保延6(1120~40)年頃、院や女院を頂点とする入念な企画として制作されたと思われ、詞書の書体が四、五手に分かれるように、絵もまたすぐれた絵師や宮廷女房たちの分担制作に成るものと推定される。各画面の縦は21.5cm、幅は39cmと48cm前後の2種に分れる。
──『ブリタニカ国際大百科事典』
美術館での手厚い管理でも劣化は防げないそうで、復元模写も併せて展示してあるとのこと。
顔料・染料が剝落して見るも無残な姿ですが、復元模写のおかげで、描かれた当時の色が鮮やかによみがえっています。
BGMは平安時代からほぼ形式が変わっていない雅楽の「長沙女引(ちょうさじょいん)」という曲で、伶楽舎(れいがくしゃ)の演奏です。
雅楽では笙の音色がメインになることが多いような気がしますが、ここでは笛と箏の掛け合いになっています。
紫式部の『源氏物語』では、登場人物が楽器を弾き鳴らす場面が度々でてきます。
この絵巻の中にも、横笛を吹く姿や琵琶を弾く姿が描かれていますね。
雅楽は式典用の音楽なので、実際物語中で演奏されるものとは異なるかもしれません。
日常生活でどんな音楽を奏でていたんでしょうね。
動画も絵巻を意識した構図にしてみました。
なお、「cocolo supplie ココロさぷり」ではコラボ作品も随時募集中です。
詳しくはコチラの記事をご覧ください。
Your works needed.
See this post for the details.
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
励みになりますので、よろしければコメントを残してくださいね。
Thank you for reading.
See you next time.
Please leave your comment to give us more inspiration.
「cocolo supplie ココロさぷり」
アトリエ 9-1/2(ヌフ・エ・デミ) atelier neuf et demi
※お問い合わせ、ご注文は本ブログ右コラムの「cocolo supplie ココロさぷり」問い合わせフォームからお願いします。
■無料で使える版権フリー素材 写真
■無料で使える版権フリー素材 シルエット